二つの「自己欺瞞」論
08/06/24付けエントリーの続き。追記の田中先生のエントリーより。
上記の記事では、経済学では「最大化や均衡をモデル化のための道具として、便利に使う」のであり、通常の場合は、それをフィクション以上のものと考えている訳ではないことが指摘されている。また、「均衡の発想」を「個人の相互作用を理解するには、他のみんなの行動を前提としてその人物にとって最善の行動は何かを考えるのが便利だという発想」と表現している。
過剰な自我を抱え、その根拠に対する確信に満ちている場合、「他のみんなの行動を前提」として自らの行為を模索することは、それ自体、「ハラスメント」として認識されてしまう危険があるのではないか。*1そこに、複雑性に切り込む便利な「道具」に過ぎないものであっても、それを否定し、複雑性の中で自我が「そのままに生き」ることのできる秩序の形成学を検討しようとする立場が生まれる素地がある。
安富先生の議論では、本当は自由はないのに自由があると思わせることを「自己欺瞞」と表現するが、A・スミスは、意志の弱さから、心の中の「公平な観察者」の是認・否認を無視するよう仕向けることを「自己欺瞞」という。前者には、自己を基礎にそこから外側に向かう志向性があるが、後者には、むしろ自己の内側へと向かう志向性がある。
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