備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ブルーノ・S・フライ「新しい経済学 ポリティコ・エコノミックス入門」

これまでの経済学と新たな政治経済学

 B・フライによる1978年の著作。原題は"Modern Political Economy"。本書の問題意識は、政治・国家と経済の相互関係を中心に据えることで、経済政策提言をより現実を直視したものに変えていこうというものであり、その意味で、経済学は政治経済学にならなければならないとする。より近年の著書である「幸福の政治経済学」においても、フライは、政治体制が国民の主観的幸福に与える影響を(マイクロ・データを用いた回帰により)分析し、優れた政治制度が現実に幸福を増大させているという事実を明らかにしている。

政治・国家が国民経済に与える影響を重視、それを分析モデルの中に組み込むとともに、厚生(効用、主観的幸福)の集計量にまつわる限界も踏まえながら、新しい経済学のあり方を模索する。特に、数量的に政治と経済の相互関係を検証しているところが、本書の大きな特徴であるといえよう。
 第一章では、経済学者に対して次のように苦言する。

 経済学者は往々にして、自らの経済政策提言がなぜ現実の政治においてほとんど無視されてしまうのか理解できないでいる。経済学者は、ひとたび正しい回答を提示すれば、それを実行するのが政治家のなすべきすべてのことであると思っているようにみえる。もしその勧告が遵守されなかったり、なおいっそう議論されたりすると、それは政治家の無能ないし愚かさの現われと考えるのである。経済学者は、つぎのことを見落としている。すなわち、経済学的には「正しい」提案なのだが、それによって不利な影響を受ける人々が反対するということが非常に多いが、これは全く合理行動に基づいているということである。しかもこの行動は、まさに経済学者自らが市場の枠組みでは当然のこととしているものに他ならないのである。

 この苦言に対して、経済学者に限らず、「耳が痛い」と感じる者はいるであろう。こうした問題意識は、公共選択論によって担われてきたものである。公共選択論は、政党や政府行政機関についても利己心を持った個人からなるとみなし、国家の有機体説との関係を完全に断ち切るところに特徴があり、広い意味での新古典派経済学的アプローチといえる。本書が提唱する政治経済学も、本質的には公共選択論の延長に位置するものであり、第十章以降では、政治−経済モデルによる動学的アプローチを理論面、実証面から試みている。その一方で、合理的経済人を前提とした新古典派経済学的アプローチに対し批判的な「非正統派」の経済学者に対する一瞥も忘れてはいない。本書は、大企業、トラストといった「総資本」の力を重視するガルブレイスの説には批判的*1だが、退出と告発という社会的決定システムを論じたハーシュマンの議論については、積極的に取り入れようとしている。

 なお、上記の苦言は、あるべき政策を実現するために何が必要かを論じた野口旭編著「経済政策形成の研究」(特に、第一部)の問題意識とも広い意味で共通している。同書の第二章(若田部昌澄「経済政策における知識の役割 思想、政策、成果」)では、政治経済学が公共選択論の問題意識にも触れつつも、特に知識のダイナミズムに基づいた分析を行い、経済学教育やさまざまな知識促進的な制度を工夫することが重要であることを指摘している。

政治−経済モデルに基づく分析

 モデルの中に政治過程を取り込むことで理論面から指摘される帰結は、経済は均衡成長経路に至らず、必然的に循環的な拡大をせざるを得ないというものである。これは、政府を景気循環の要因とみなす考え方であり、政府を経済の安定の役割を担うものとする通常の経済理論の見方とは異なるものである。
 著者の指摘によれば、技術進歩は、公共財として形成される社会基盤能力と、それに対応する経済活動との間の関係を単に反映するものである。社会基盤の提供が大きければ、資本・労働の投入が少なくても、経済は急速に成長する。一方、国民の意識は、社会基盤が十分に存在するときにはそれに対する関心は薄く、不足するときには極めて強い関心を持つ。このため、政治過程が明示的に扱われる経済成長モデルによれば、経済は必然的に循環的な拡大をすることになる。
 また、公共財には非排除原理が成立する*2が、そこから得られる便益は計測することができない。よって、国民の各層がフリーライドへのインセンティブを持つために、自発的な支払意志が示されることがない。このことを踏まえると、政治−経済システムの段階的(動学的)分析によれば、公共財パレート最適供給にもっていく力は存在しないことがわかる。
 さらに、政党や政治家は選挙によって国民に信を問われ、その支持率は、失業率、インフレ率、賃金上昇率等によって影響を受ける。政党や政治家は得票最大化をもくろむと仮定することで、これらの変数は、選挙時期に応じて変動することになるが、それは実際の統計データからも裏付けることができる。
 これらの分析は、中央銀行がモデル化されていないなどまだ不十分なものであるが、内容的には興味深く、またその後の研究の進展についても興味が持たれる。

*1:現実には、独占企業といえども市場の力を完全に避けることはできないわけであり、計画システムが宣伝活動を通じて完全な力を持つとするガルブレイスの説は、大企業が市場を最高に利用する手段として活用する計画と、「市場の代替物」としての計画との重要な相違点を見逃している。

*2:私的財の場合には、その財に応じた価格を支払ってはじめてそれを使用できるのに対し、公共財の場合には、費用負担と関係なく消費ができる。