備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

竹森俊平「資本主義は嫌いですか それでもマネーは世界を動かす」

資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす

資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす

※若干修正しました。また、平家さんのコメントを受け、追記を追加しました。(09/18/09)
※注記を追加しました。(09/28/09)

 本書が出たのは2008年の秋、リーマン・ショック以後の急激な経済の変動が生じる直前であり、サブプライム・ローン問題がベアスターンズ救済によって人口に膾炙し、米国の金融機関が抱える損失についての不透明感がさらに高まりつつあった時期である。本書では、リスクと不確実性、バブルと流動性といったキーワードを媒介としながら、著者が注目する経済学者のこの金融危機に対する解釈が流れるように論じられており、読後、第一に感じたのは、もっと早く読んでおくべきだったということである。
 構成としては3つのパートに分かれ、第1部ではバブルとは何か、また世界経済の不均衡とその解釈について、第2部ではインセンティブ報酬と時価会計をめぐる数年前の学会での議論、そして第3部では流動性の現代的な解釈について、それぞれ論じられる。個人的には、これらを読みつつも、今回の金融危機でみられたFRBの果敢な金融政策と、金融機関のバランスシートがそれほど傷んでいない我が国の中央銀行がとるべき政策はどのように異なる(べき)か、我が国経済は輸出を中心とする大きな需要の縮小を経験したが、今後は内需中心の経済を目指すべきか、その場合にとるべき方法は何か、といったことに思いをめぐらせていたのだが、その話をする前に、まずは、本書の内容を簡単に捕捉しておくことにする。

バブルの発生と低金利(政策)

 第1部では、ゲーテファウスト」のモデルにもなったジョン・ロウと「ミシシッピー・バブル」を枕に、バブル発生のメカニズムについてのサーベイから始まる。今回の金融危機では、証券化の技術によって格付けの低い原資産が高格付けの金融商品に生まれ変わり、それが金融機関に広く保有されることによって、世界的に危機が波及した。しかし、そもそもそのような高格付けの金融商品の組成が可能であったのは、米国の住宅バブルが住宅ローンのデフォルト率を低下させたためでもある。そこで、この住宅バブルと低金利政策をめぐって話は始まる。
 まず、この住宅バブルの発生原因を心理的要因に求めるロバート・シラーの議論が参照される。シラーの説では、『「住宅供給の価格弾力性」が小さく、住宅価格の上昇がわずかな住宅供給の増加しか生まなければ、住宅市場を均衡させるために大幅な住宅価格の上昇が必要』となり、この「自己増殖的メカニズム」により、住宅バブルが発生したとされる。この説によれば、住宅バブルは低金利とは無関係に発生することになるが、これに対し、ジョン・テイラーの説では、今回の住宅バブルに与えた低金利の影響が重視され、『政策金利が「テイラー・ルール」に従って、2002年初めから2004年初めにかけて緩やかに引き上げられていたと仮定』すれば、住宅バブルは発生していなかったとされる。このように、テイラーの説は、住宅バブルの発生とFRBの低金利政策の間には密接な関係があったことを示すものであるが、そもそもこの時期の低金利FRBの金融政策とは別の要因によって生じていた可能性もある。実際、米国の金融政策は2004年後半から引き締めに転換したが、長期金利は2005年を通じて低水準にとどまり、グリーンスパン前議長はこの現象を「コナンドラム」とよんだ。そして、その主たる要因とされているのが、ベン・バーナンキが指摘するグローバルな貯蓄過剰である。
 新興国における経常収支黒字は、それらの国々の過剰な貯蓄となり、それが先進国、特に米国経済をファイナンスしている。米国の経常収支赤字は、通常であれば、ドル安を誘発することで、経常収支がバランスする方向への調整を生む。しかしながら、リーマン・ショックが生じる前の世界経済において、新興国を中心とした経常収支黒字と米国の経常収支赤字というグローバル・インバランスが維持されたのは、この、新興国から米国への資本輸出が行われていたためである。低金利下で資本輸出が進んだことは、米国の過小貯蓄よりも新興国の過剰貯蓄にグローバル・インバランスの要因があった可能性を示唆している。また、バーナンキは、1997年のアジア通貨危機をきっかけにアジアの新興国が資本輸入に依存した経済成長を嫌うようになり、むしろ国内投資を抑制して国内貯蓄の余剰を生み、それを海外に輸出するようになったと推測している。

合理的なバブルとデフレ

 これまでの議論は、バブルを「悪」視してこれを防ぐことは正しいとの視点に立った議論であった。だが、ジョン・ロウに対する評価が「ペテン師」と「天才」に分かれるように、バブルは必ずしも「悪」と言い切れるものではない。そもそも、ただの紙切れに過ぎない紙幣に価値をみることや、後世代につけを回す賦課方式による年金受給権もバブルといえばバブルである。
 ジョン・ティロールは、ゲーム理論を用いて「合理的バブル」についての研究を行っている。ティロールの説によれば、「動学的効率性の条件」、つまり「その経済における投資収益率が成長率を上回る」という条件が満たされない場合、国債で集めた資金を投資することで償還するよりも、次期の国債によって借り換えて償還した方が効率的な運用を実現したことになる。この「動学的効率性の条件」が満たされないような経済というのは、投資が既に過剰な社会のことである。
 また、この議論を住宅バブルのケースに当てはめると次のようになる。住宅ローン金利が成長率よりも低く、住宅価格が成長率と同率で上昇している場合、自分は住宅に住む必要がなく単に財テクの対象として扱ったとしても、転売によって利益を得ることが可能になる。つまり、投資収益率(概ね住宅ローン金利に一致すると考える)よりも、本来価値のない住宅に投資することが合理的になる。
 「動学的効率性の条件」に話を戻すと、まさに新興国では、「投資収益率」よりも成長率が高いという条件が備わっており、それが住宅バブルの根源にあったと指摘することができるだろう。さらに、この条件の下でバブルとデフレが同時に発生するメカニズムを説明したのがリカルド・カバレロである。実物財と金融資産という二財からなる経済においてワルラス均衡を考えたとき、新興国における金融資産への超過需要は、必然的に実物財に対する超過供給を生む。前者は株価の上昇や金利の低下となり、後者は物価の低下につながるのである。このように考えれば、仮にFRBの低金利政策が住宅バブルを生んだにせよ、その政策は合理的に生じたバブルとデフレに対する対抗策であったと解釈され、その責任を問うことは難しくなる。

グローバル・インバランスの行く末

 戦後に発生した銀行危機と今回の金融危機とを比較・分析したケネス・ロゴフは、米国の経常収支赤字の調整と、その過程におけるドル価値の大幅な減価の可能性を指摘している。ちなみに、2007年の末以降、米国の輸入は減少しており、グローバル・インバランスが解消する方向への調整は実際にみられるものだ。*1この過程が進めば、世界経済の成長率低下は避けられず、米国への輸出に頼ってきた中国や日本は、今後、内需の拡大を求められることになろう。しかし、成長率の低下が進むことは、同時に、新興国における「動学的効率性の条件」が回復することでもある。このように、『「成長率の低下」は、現在の世界経済が抱えるさまざまな「矛盾」と「ゆがみ」を一挙に解決する効果を持った「魔法の妙薬」』であるのかも知れない。
 こうした世界経済縮小への道に対し、著者は、本部の最後に「世界経済拡大への道」という別のシナリオを用意する。これは、新興国自らが国内への投資の対象を見いだしていくことによって可能になる。また、このような戦略は、東欧の新興国の経済に実際にみられるものである。この東欧の戦略とアジアとの違いを生んだものは、『「金融危機」についての原体験の違い』に求めることができよう。このような「上げ潮派」的戦略の可能性に関して、著者は政治の役割を重視する。

とりあえずのまとめ

 以上、第1部の内容を振り返ってみたが、これらの議論を敷衍しながら、我が国の経済情勢を考えてみたい。先日のエントリーでは、完全失業率急上昇の要因として、

  • 就業者数の大幅な減少
  • 労働力人口の増加の停滞、その要因としての労働市場におけるミスマッチの可能性

という2点、特に後者については、過去の失業率上昇局面にはみられなかった今回の局面での特徴的な現象であることを指摘した。さて、金融危機後の世界経済が拡大への道を歩むのであれば、今後、雇用情勢の改善に寄与するのは、就業者数の拡大である。就業者数は、実質GDPにやや遅れつつ連動して推移するため、成長率の上昇は就業者数の増加につながる。
 その一方、世界経済が縮小への道を歩むのであれば、我が国の輸出産業、特に製造業の需要の回復は望めない。であれば、雇用情勢の厳しさを緩和するため、内需産業(特に、サービス業)の労働需要に頼る必要が生じ、マッチング機能を高めるためのさまざまな積極的労働市場政策が必要となるだろう。*2
 ここまでの経済の動きをみる限り、世界経済はロゴフの指摘する方向へと進んでいるようである。特に、「上げ潮派」的なミクロの成長戦略に説得力を見出すことは難しいようにみえる。しかしその一方で、近年の輸出の低迷は、過度の円高によって生じている可能性も否定できない。例えば、貿易サービス収支と円の実効為替レートの推移をみると、これまで、貿易為替レートに遅れて円の実効為替レートが調整され、それらの間で安定した関係がみられたものが、金融危機以後は、貿易為替レートが大きく低下する一方で実効為替レートは急上昇し、その後も高止まりしている。つまり、為替レートは、国内経済に対しいわば「逆噴射」の効果を与えているのである。*3

 この指摘に対し考え得る批判として、むしろそれまでの為替レートが過度に円安に安定していたのであり、グローバル・インバランスが調整される過程で、為替レートについても適正な水準へと向かっているのだ、という言い方ができる。また、金融政策についても、金融機関のバランスシートがそれほど傷んでいない我が国の中央銀行がとるべき政策はFRBやECBのそれとは当然に異なるものであり、そのバランスシートを過度に拡大する必要はない、との指摘にそれなりに妥当性を感じるところもあろう。
 これらの考え方のどちらが正しいのか、その判断は読者の識見に委ねるが、個人的には、「世界的視野を持ち世界的行動を提案」することよりもまず、国内の失業の痛みをいかに緩和することができるかを考える議論に期待したいと考えている。

 第2部以降についても、流動性をめぐっての興味深い議論が繰り広げられており、また気が向いたら整理してみたい。

(続く、かも)

(追記)

 平家さんの「弁明」に対する弁明になってしまいますが、自分も輸出の回復による雇用の回復を期待しないわけではありません。また、近隣窮乏化を招くような為替レートの切り下げ競争を求めているわけでもありません。これらの点を踏まえた上で、現下の為替レートが過度に円高である可能性を指摘しています。
 この議論は、必然的に、1990年代半ば以降、特に、2003年以降の為替レートをどう考えるか、との視点に行き着くように思います。「円安バブル」という見方がある一方で、1990年代後半以降の金融政策がより高い物価水準をターゲットとすべきものであったとすれば、その見方が正しいとは必ずしもいえません。
 実際、日本の産出量の落ち込みは、他の先進国と比較しても低くなることが見込まれています。

http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2009/update/02/

 なお、「世界経済が回復するためには、日本の金融機関の能力を生かして、むしろ、世界の生産、所得、雇用のサイクルに必要十分なマネーが供給し、世界全体の生産、所得、雇用を拡大すべき」との点に異論はありません。
 しかしながら、新政権の大臣が掲げる「金融モラトリアム」のような政策が発動されれば、貸倒損失の増加に備えるため各金融機関は自主的に自己資本比率を引き上げ、新規事業等への貸出態度は弱まると思います。このままでは、成長戦略の実行はますます難しくなります。金融庁にはリレーションシップ・バンキングのような取り組みと融合した効果的なプログラムを策定する構想力が必要になりますが、そう簡単ではないでしょうね。

*1:一方、ドルの実効為替レートは、足下で低下する傾向がみられるもののその水準は高く、大幅な調整過程にあるとは言い切れない。

*2:ただし、最近の対談記事よれば、著者自身は純輸出(著者の言葉では「貯蓄・投資ギャップ」)を縮小する必要はなく、百歩譲ってこれを解消する必要を認めたとしても、それは貯蓄・投資の関係のリバランスによって解消すべきで、医療のような特定の産業の育成を議論すること自体が的外れ、と考えているようである。(09/09/28付け追記)

*3:平成21年版労働経済白書、第2章の記述を参照した。なお、5月以降は、輸入の減少によって貿易サービス収支は増加傾向にあるが、輸出はそれほど改善していない。