備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

小林公夫『「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法』

「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法 (PHP新書)

「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法 (PHP新書)

 大学の法学講師を務めつつ、司法試験予備校でロースクール入試講座を担当する著者による教育論であり、巷間にみられるような入試ノウハウ本にありがちな空疎な知識の羅列に終わらず、飽くことなく最後まで読ませてくれる。これは、本書が著者の広い見識に裏打ちされたものであり、また、多様な年代の生徒に接してきた経験の深さに裏打ちされているからである。
 本書は6章から構成されているが、最後の2章はごく短いものであり、実質的には4章建ての構成である。最初の2章では、著者がこれまで接してきた実際の受験生のことが掲載されている。第1章では、「できる子」の実例、第2章では、「できない子」の実例が紹介される。この「できる」「できない」の違いは、子どもに対する親の接し方の違いによるところもあるのではないかとされ、子どもの可能性をつぶす親の接し方として著者が特に注意を促すのは、固定観念に縛られ、子どもの進むべき道を親が定め、それに向けた勉強を強いることである。先回りして子どもの進む道から障害を取り除いてやるようなことは、知らず知らずに打ちに子供をダメにするという。一方で、失敗に対してもポジティブに思考し、また子供とともに学び、苦楽を共にするような接し方を強く推奨する。
 これらの実例をもとに、著者は「できる子」の特性として、能動的に自分から働きかけること、継続的に成果が出るまでやり続けること、何度失敗してもくらいつく粘着性、そして論理性である。これらはそれぞれなるほどなと思わせるものであったが、しかしここまでの実例は、子育て・教育という視点からよりも、自分自身の経験を省みる中で興味をそそられるものであった。これは、著者のあげた実例が大学や司法試験の受験生であり、自分の子供の年代よりもかなり上だからでもある。自分自身は、明らかに「できない子」の実例にあてはまるような経験をしてきた。学部の選択からすでにして誤り、興味のない分野であるから勉強にも関心を持てず、ずるずると大学院まで行くことになったが、それは研究がしたいからというよりも「形式」への関心の強さによるものだった。まあ、その後も成功という成功の経験もなく、十数年同じことを繰り返してきた感じだ。その原因はいろいろあるだろうが、第一の理由としては、ここの実例にも多々みられるように、自分の逃げ道を「事前に」どこかに用意してきたからである。とはいえ、どこかに「拾う神」は居るものであり、失敗しても生きていくことはできる。失敗を改めるに越したことはないが、逃げ道を断って自分に追い込むほどナイーブにはなれないし、既に、それが許されるような立場にもないのである。
 さて、第3章では著者の子育ての経験、第4章では中学受験生を教えた経験について記述されており、このあたりから、ようやく親の立場としてのリアリティを感じられるようになる。同時に、どこかで聞いたような子育てノウハウの羅列に終わることなく、論理的な思考法に裏打ちされる説得力のある議論の展開がなされる。またそうした一種の頭の良さが、子どもと接する中にも効果的に生かされていることがわかる。特に、一緒に学び、一緒に経験するということは、それが結果的に子供に好影響を与えるだけではない、親自身が子育てを楽しみ、子育てをする中で自分も成長することにもつながるのである。激情に駆られることなく、子どももまた一人の人間として、「民主的」にものごとを判断することも同じように、親自身の成長にかかわることである。
 中学受験を戦う上での、親としてのノウハウに偏重したきらいがある第4章も、興味深かった。中学受験は、戦略的な対応が必要である。広い範囲で志望校の傾向をつかむことは親の役割であり、小学生にしては難しい文章の読解のために、親はそれをより深く理解し、子どもに話して聞かせることが必要になる。著者は、「親は泣きながら勉強しないとダメ」とまでいっている。また、受験を有利に戦うためには、判断推理能力、比較能力、直観的着眼能力を高めておくとよいという。自分の子供は上の子でもまだ小学校低学年だが、既に、四谷大塚の「全国統一小学生テスト」を受けたりしている。つい最近も受けたはずだが、考えてみれば、自分はまだその問題に目を通してはいない。ずいぶん長い文章問題だな、とかいった印象を持ちつつ、そのままにしてある。とはいえ、最近は、大学受験生が読むような英語や現代文の本を改めて読んでみたりもしている。自分はこれまで失敗を繰り返してきたとはいえ、失敗を続けるのもまた人生である。失敗したからこそ時間的な余裕もあり、子育て・教育の面では成功する可能性は高いかも知れない。ちょうどネット「論壇」(?)なるものに時間を費やすことにも飽きてきたところである。子どもと一緒に生きているということに、もう少し、自分の意識を向けてみたいと思う。
 最後に、「あなたが虚しく生きた今日は、昨日亡くなった人があれほど生きたいと願った明日」という本書の最後に述べられた名言をここに残しておきたい。

(了)