備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

小島寛之『算数の発想 人間関係から宇宙の謎まで』

算数の発想 人間関係から宇宙の謎まで (NHKブックス)

算数の発想 人間関係から宇宙の謎まで (NHKブックス)

 著者は、多くの著書を持つ経済学者で、自分もその存在は知っていたが、これまでその著書を読むことはなかった。というより、おそらく、今後も読むことはないのではないかと漠然と感じていた。しかしながら、結局、本書を手にすることとなったのは、下のエントリーを読んだ上で、その内容がずっと意識の片隅に残っていたからである。

http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20100207/1265553342

 このエントリーでは、本書にあるような「算数の発想」を用いて、子供に算数への興味を持たせるやり方は、現実の中学受験には必ずしも役立たない(適合しない)ことが述べられている。ところで、自分にとって本書の読後感に残ったのは、「ガウス算」、「仕事算」といった個々の算数の類型化された問題についての記述の面白さと、一方で、それと関連させた物理や経済学の内容の面白さである。すなわち、この二つの系統を結び付けることの意味、必然性なるものはあまり理解することができず、それぞれを別の読み物として面白く読むことができたということである。このあたり、自分がこれまで著者の本に対して食わず嫌いを通してきた理由とも通じるものがある。算数についての、まるでパズルを解くような記述を読むことは、確かにそれ自体楽しいものであるが、時には、時間つぶしのためそれにつきあうことには空虚さを感じることもある。なんらかの意味、それを学ぶことの必然性が感じられなければ、読書という時間を過ごすことが無意味に思える。本書の二つの系統を結び付けることに必然性を感じることができなければ、こうした空虚さを避けることは難しい。

 本書を読む前に自分が期待していたのは、正に、序章にあるこの記述そのものである。

 ところが、ここに算数に対する大きな誤解、見落としがある。むしろ、算数の発想にこそ、さまざまな科学の思考法の原点のようなものが根づいているのである。成人してから、理数系と無縁な生活をしている人は当然として、理数系を利用するような職業に就いている人でも、このことに気づいている人は少ないだろう。では、算数の解法の中には、先端科学のどのような発想法が潜んでいるのだろうか。
 科学における発見の背後には必ず、「世界をどう見つめているか」という発見者の「特有の視線」がある。これは多くの学者が経験することだが、ある法則が見つかるとき、「これを計算すれば法則が示されるぞ」と思っている段階ではすでに、本人の直感のなかではその法則は確信にいたっているものなのである。式を計算するのは、もう、本人にとっては確認の作業にすぎない。

 例えば、数学における方程式系は、ある対象を「外」からの視点で体系化したものである。一方算数では、その対象を「内」からの視点で読み取り、設問に対する答えを導くことになる。本書では、例えば「ガウス算」とワルラスの定理、「仕事算」と経済成長理論というように関連付け、算数の問題が経済学などを考えるための基本的な視点を提供するものだということを主張する。しかしこの関連付けにどれだけの意味があるのかは理解できなかった。いわば、ワルラスの定理や経済成長理論に「パズル的」に算数の問題を当てはめているような印象すら感じられた。その意味では、自分が本書に期待していたものは、その序章だけに集約されていた。
 本書の第一章では、「相対的なものの見方」が取り上げられている。自分としては、ここにこそ経済学の考え方があてはまるように思うし、実際に、なぜ経済学では「相対的なものの見方」が重視されるのか、というような記述があることを期待した。しかし、この肝心な箇所には経済学の発想についての記述はなかった。このように、結果的には、どことなく隔靴掻痒の間が残る読後感であった。

 なお付記すれば、面白さという意味では第5章と第6章の二つの章が面白かった。シェリングの研究は本書に限らずよく見かける(しかもそれらはほぼすべてクルーグマンの『自己組織化の経済学』を経由して紹介されている)ものであるが、自然現象と人間社会における現象との違いを説明する上では、とても便利なツールであるように思えた。