備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

小島寛之『世界は2乗でできている 自然数にひそむ平方数の不思議』/『数学は世界をこう見る 数と空間への現代的なアプローチ』

 経済学者であり数学エッセイストである著者の本を続けて読んだので、内容を少し整理しておきたい。著者の本については、かなり以前に『算数の発想 人間関係から宇宙の謎まで』のことを取り上げたことがある。
http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20101215/1292423182
改めて読んでみると、あまり好意的な書き方ではないが、そのときの気持ちとしては、「ガウス算」「仕事算」等の算数の典型的な「受験テクニック」を物理学や経済学の関連分野に結びつける意義がよく分からなかったということに尽きる。著者が想定しているような読者として同書を読むことが、自分にはできなかったということではないかと思う。
 とはいえ、著者の想定しているような「読み方」にあえて従わずとも、十分に読書を楽しむことはできたわけで、そのことが書籍の魅力を損なわせたわけではない。同じ意味で、『世界は2乗でできている』についても、「2乗」という部分に特段大きな価値をおかずに読んだとしても、十分に数学を楽しむことができる。むしろ、自分にとっての著者の本の魅力とは、専門書を読むことでは(能力的な制約から)つかむことのできない数学の魅力に、より身近な話題から接近し、十分な訓練なしでも飛躍的に到達させてくれることにあると思う。

 『世界は2乗でできている』は、以下の章立てからなる。

1.ピタゴラスの定理
2.フィボナッチと合同数
3.ガリレイと落体運動
4.フェルマーと4平方数定理
5.ガウス虚数
6.オイラーとリーマン
7.ピアソンとカイ2乗分布
8.ボーアと水素原子内の平方数
9.アインシュタイン E=mc_2

 こうしてみると、ピタゴラスの定理や4平方数定理など「2乗」が明示的に現れ主役となっている定理もあるが、必ずしも「2乗」にとらわれる必要がないものもある。一方で、本書を読むことで、どこかで聞いたことがありながらそれらの関係を論理的に理解できていなかったような話題に、ダイレクトかつ最短距離で到達するような感覚を覚える。著者の本を読むことの喜びは、少なくとも自分にとっては、むしろそうした点にあるような気がする。当初はリーマン予想に関する興味からその分かりやすい見通しを得ようと本書を手にした。この部分では、自分の知りたいツボが得られたわけではなかった一方*1、上記の9つの話題の中では、ガリレイ変換とローレンツ変換の関係、古典的力学から相対性理論に至る道筋が明確にされていて、とても分かりやすかった。

 現代数学に「ダイレクトかつ最短距離で到達するような感覚」という意味では、後者の『数学は世界をこう見る』を読むとより強烈になる。章立ては次の通りである。

1.素数の見方
2.「同じとみなす」ことで数世界を広げる
3.図形の「形」を解く計算
4.「関係性」を代数で捉える
5.方程式を対称性から見る
6.整数と多項式は同じ
7.図形のなかの”素数
8.空間でないものを空間とみなす

 ここで特に書いておきたいのはホモロジー群等の位相幾何学に関するところである。数や代数方程式に関する部分は、これまで類書を各種読んでおり、その確認という感覚に近かった。(それでも、「現代の数学者にとって、方程式の解とは、どこかから見つけてくるものではなく、作り出してしまう対象」といった記述は目から鱗である。)一方で、位相幾何学に関する類書にはあまり接触していなかった。本書ではホモロジー群をより低次元のところから丁寧に説明し、イデアルによって分類される有限群との「同一視」によって論理づける*2という手法で、読者の理解を促している。最終章では、位相空間の基本的な定義付けから一気にザリスキー位相による素イデアル位相空間化、スキームといった高度な概念まで進むなど、爽快感すら感じさせる*3

 なお、ここで取り上げた位相幾何学については、大学時に講義を受講したことがある。菅原正博『位相幾何学』という教科書を利用したのだが、ほぼ開くことなく、講義ではひたすら講師の板書を写すことに明け暮れた。あくまで写すだけであって、内容は理解できなかった。どのようにして単位を取得できたのか、今では定かでない。
 それ以上に理解できなかったのは曲面幾何学の講義だった。この講義では教科書がなく、板書も少なく、黒板に書かれた図を見ながらただ教授の話を聴いていた。確か単位も取得できなかったように思う。この教授の指摘は手厳しく、自分は恐れをなして近づくこともできなかったが、大学の中で最も気になる存在であることは否定しがたく、その周囲の分野を衛星のように回っていたという記憶がある。教科書の指定はなかったが、後で調べたところ、大森英樹『一般力学系と場の幾何学』という本のさわりの部分に関するものだった。

一般力学系と場の幾何学

一般力学系と場の幾何学

 このようなことは当時は日常茶飯事で、その後もロシアのイズライル・ゲルファンドという人の論文を読み、ほんの数行で置いてけぼりを食らうどころか一歩も進めなくなったことがある。
http://israelmgelfand.com/
著者の小島氏もブログで書いていたと思うが、前提となる分野の知識が欠如していると、往々にしてこうしたことが起こる。また、その前提知識を得ようにも「無限後退」に陥る危険がある。しかし考えてみると、当時はそんなことがあっても「屈辱」を感じることなどなく、価値観を変えることで自分の「心」を保っていたように思う。(まあ、「自分語り」はよくないので、この辺でやめておく。)

 この本については、当初『数学オリンピック問題にみる現代数学』という同じ著者の別の本を買おうと思っていたのだが、どうも絶版らしく手に入らなかったので、同じ書店で手に入ったこちらを買ってみたものである。思わぬ誤算であったが十分に「元が取れた」気分である。

 ところで平方数といえば、それそのものを規則性あるものとして捕らえることが難しい代物である。169くらいまでならまだよいが、289、361、529、841など、(素因数分解を見つけることが困難な)桁数の多い素数の平方数では、受験生などは暗記に頼らざるを得ないだろう*4
 暗記といえば、背景の理解なく公式等の暗記に頼るようになると、徐々に、数理的なセンスが失われていくような感じがする。それがより早い段階、初等関数(対数関数や三角関数等)の導関数の公式あたりからそうなってしまうと、徐々に演習量も少なくなり(いやになり)、センスの喪失が決定的になってしまうような感覚がある。これを防ぐにはどうしたらよいものだろうか。例えば代数的な数式展開だけに頼らず、グラフ的な意味も考えながら問題を解くことなどは、数学の学習法として有効なのかもしれない。このことは引き続き考えてみたい。

*1:複素解析を出だしにして、そこからゼータ関数リーマン予想へという流れは、『数学ガール』の将来的な素材になるかも。

*2:例えば、二次元の射影平面は二元体 F_2と同一視される。「クラインの壺」もそうだが、こうした図形はなかなか直感的には「分かった感じ」がしない。

*3:いずれもイデアルという概念が話のコアな部分にあって分かりやすい。もちろん、本書の内容が理解できたからといって専門書が読めるようになるわけではない。

*4:同様のことは、 7 \cdot p 11 \cdot p素数 pの桁数が多くなる場合などでもいえることではある。しかし、こうした数字を暗記しておくと、数式展開によって、答えを出すことが容易な数式に持ち込めるケースが増える。