備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

石原千秋『教養としての大学受験国語』

教養としての大学受験国語 (ちくま新書)

教養としての大学受験国語 (ちくま新書)

  • かつて大学受験国語参考書の定番だった高田瑞穂『新釈 現代文』(昭34年出版)では、文章を正確に「追跡」することだけが説かれた。これは、現代文*1を読めば自然に「近代的自我」という思想が身につくという確信に裏打ちされたもの。高田は、「近代」の精神を人間主義と合理主義と人格主義*2という言葉で語る。「近代的自我」とは、この三つの精神を内面化した自我のことであり、戦後の日本人にとっては未来の思想だった。
  • 高田は同著で、「この近代精神――中世のものの考え方とはっきりちがった新しい精神は、まずヨーロッパに起り、次第に全世界に波及して、あらゆる国、あらゆる民族に、近代という新しい時期の到来を告げた」と語っており、「近代」とは、ヨーロッパというある限定された地域に生まれた一つの思想であることがはっきり見えていた。
  • ポストモダン」の現代に生きる僕たちにとって、「近代」がすでに過去の思想になりつつあることは紛れもない事実であり、僕たちの前には多様な思想が現れ始めた。「資本主義も社会主義も一つの思想にすぎない」と思えるような現代に生きる僕たちは、その中のたったひとつの思想に殉じて人生を貧しくする必要はない。信じることも大切だが、適度な距離をとり、多様な思想の中から自分の思想を選択できる時代でもある。
  • 辻本浩三『評論文ガッチリ読破術(MD BOOKS)』、森永茂『基礎強化 入試現代文』、Mini Dictionaryシリーズの国語辞典『現代文・小論文』の三冊は受験生必携。これらとは別に読者に身につけて欲しいと考えるのは、文章との距離の取り方。普通、受験国語の現代文読解では批評意識を持つことは許されないとされるが、本書の読者には、批評意識を持ってもらいたい。そのために必要なのは、思考のための座標軸を持つこと。
  • 例えば「自己」について考える場合、対立概念である「他者」を思い浮かべる。一方には「自己とはかけがえのない個別なもの」という考え方があり、他方には「自己とは他者との関係によって成り立つもの」との考え方が来る。こうした二項対立、二元論による思考で、「自己」をめぐる座標軸ができたことになる。このような座標軸をたくさん持つことが、本書でいう「教養」。この教養は、大学入試国語を解くのに大きな力を発揮する。
  • 中学までの国語には説明文というジャンルがあり、明確な主張を持たず、ただ事実を説明する。一方、大学受験国語では、はっきりした主張を持つ文章が出題されるのが普通であるが、その語り口は二つしかなく、①現実を肯定的に受け入れる語り口と、②現実を批判的に捉える語り口。特に、②の批評が圧倒的に多く、これらを具体的にまとめると次のようになる。
    • 現実を肯定的に受け入れる保守的な批評(①)――フェミニズム批評の主張に対し、「主婦を貶めてはいけない。主婦は誇りを持って主婦であることを選んでいる」と批判
    • 未来形の理想を掲げる進歩的な批評(②の一種)――「主婦とは、女性を家庭に閉じ込め、男性に従わせるためのあこぎな罠だ」とするフェミニズム批評
    • 過去形の思想を掲げるウルトラ保守の批評(②の一種)
  • 何が進歩的で何が保守的かは時代によって変わる。高度経済成長期までは「近代」を支持する評論が進歩的であったのに対し、公害問題を一つのきっかけとして、高度経済成長期以後は「近代」を批判する評論が進歩的となった。

*1:高田によれば、現代文とは、「何らかの意味において、現代の必要に答えた表現」のこと。

*2:人間主義とは、ヒューマニズムの訳語であり、人間性を尊重し、これを束縛し、抑圧するものから人間の解放を目指す態度。合理主義とは、人間の理性を人生観・世界観の中心におく考え方であり、自然科学と結合したことで、自然の法則は、無目的的な、没価値的な因果の法則であるという立場が確立され、それを知ることで、自然を人間のために利用することが可能になる。人格主義とは、人格に最高の価値を認めようとする立場。カントによれば、人格はいかなる場合においても他の目的の手段となることのない、自己自身を目的とするまったく自律的な自由の主体。