備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

シン=トゥン・ヤウ、スティーブ・ネイディス(久村典子訳)『宇宙の隠れた形を解き明かした数学者 カラビ予想からポワンカレ予想まで』

 微分幾何学者で数理物理の世界に大きな名を残す数学者シン=トゥン・ヤウの自伝。原題は”The Shape of a Life One mathematician’s search for the universe’s hidden geometry”。全体がヤウの一人称で書かれており、もう一人の著者であるネイディスの役割は、よくわからない。
 客家の出であるという著者の出自から、父を早く亡くし、極貧の中にあっても教育に重きを置く家庭環境に支えられ、20歳でUCバークレーに進学する、といったところから本書の物語は始まる*1。著者の名は、超弦理論のブームもあり、カラビ予想の解決、カラビ=ヤウ多様体の発見といったところからよく知られているように思うが、それだけではなく、多くの分野にわたる実績があり、若手研究者への教育・共同研究でも極めて活動的に仕事をしてきたことがわかる。
 数学の内容に関しては、(素人の読者にも概ね理解できる範囲で)わかりやすく触れられる。ただし、読後感として残るのは、(著者にとって最も重要であろう)数学の話題ではなく、特に中国人研究者との確執や、中国社会や学会に対する批判的視座である。中には、著者の師であり(自身、微分幾何学の「チャーン類」などに名を残す)陳省身や、著者の指導した田剛との確執も現れる。陳との関係については、中国人若手数学者の間にも話が広まり、陳の「自称支持者」たちが著者が行ったと思われる「悪いこと」を陳に電話をし聞き出そうとしたり、中国から派遣された研究者が著者らの講義ノートをまとめることができず、それを棚に上げて著者を批判する報告を本国に送った話などが出てくる。しかし(考えてみれば当然のことであるが)、何らか確執があるにしても、陳と著者、あるいは本国の研究機関と著者の間にはしばしばやりとりがあるわけで、ある種、微笑ましい話でもある。
 田については、中国本国の研究者の報酬が著しく低い中、「中国としては天文学的な12万5千ドルの報酬を与える『百万元の教授職』」に就いたことに批判的で、そのことに触れた雑誌『ニューヨーカー』の記事にあった、田を「ヤウの最も成功した教え子」とする表現をキッパリと否定する。この種の行為を可能にした中国の施策にも批判的で、(最近、日本でも話題になった)「千人計画」に関しては、つぎのように記載する。

(中略)何十億ドルもかけて有名な学者たちをアメリカその他西洋諸国からスカウトして、国内の大学を増強する計画だった。しかし中国がその計画で得たものは多くなかった。訪問して報酬を受け取りながら、多くの時間とエネルギーを中国に捧げない学者が多すぎた。実際、その制度は悪用のし放題だった。同じ年に中国で三つの職を持ち、アメリカにも常勤の職を持っていた研究者がいた。それに比べて、現地の中国人教授の俸給は微々たるものだった[p.388]。

 こうした著者と他の研究者との確執はそこかしこに現れるのだが、それは何にもまして数学の業績に重きを置く一方、人間関係の機微に関わる話題でもさほど意識することなく言葉や文章にしてしまう著者の性格にも依るところがありそうである。例えば、小平邦彦の義理の息子となった研究者について、「そうしなければ偉大な先生に対して無礼だと思ったからだ」と、その友人の「日本人の数学者数人」と話をしたことが、何気もなく書かれている[p.126]。

 中国の学生について、著者は「良い職を得るのに熱心だが数学その者にはそれほど熱意がなさそう」な者をよく見るとし、その理由については、「教材を丸暗記させて生気を吸い取りかねない中国の教育制度の予期せぬ結果ではないか」という。中国の中高生世代は、国際数学オリンピックでは極めて高い実績を長年、上げ続けており、アメリカや欧州、オセアニアの代表の中にも中国系の生徒は多かったりするのだが、著者は、むしろそうした問題を解くことを競わせるのではなく、真の研究を経験できるよう手を差し伸べることに力を尽くそうとする。

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 また、著者がUCバークレーに留学後、初めて中国を訪れた際の話として、「親類を重要視しすぎ期待しすぎる中国文化に困惑した」ことが書かれている。子息を米国留学させるため口利きを依頼された話などは、かつての日本の地方などでもあり得る話で、アジアの「古き良き」ウェットな文化という風にも感じられる。

ポワンカレ予想

 このような(数学の本筋を離れた)研究者間の確執に係る話題としては、ポワンカレ予想をめぐるグレゴリー・ペレルマンとの関係は避けて通れないものだろう。例えばマーシャ・ガッセン『完全なる証明』によれば、著者(ヤウ)はペレルマンの証明に致命的欠陥が含まれる可能性があることを指摘し、その一方で、自身が指導する二人の数学者、曹懐東、朱熹平にペレルマンの証明の詳細に関する論文を書かせ、通常の査読のプロセスを省略して専門誌に掲載したとされる。また、二人の数学者は、ポワンカレ予想の証明の詰めは自分たちが行ったのであり、賞金は当然自分たちのものであると主張したとも書かれている。同書では、ペレルマンがクレイ研究所の賞金及びフィールズ賞の授与を拒否し、数学を離れ、孤独に生きることとなった過程の中に、この事実が含まれることを仄めかしている。

 この話が大きくなったきっかけは、雑誌『ニューヨーカー』に掲載されたシルビア・ナサー(『ビューティフルマインド』の作者)とデビッド・グルーバーの記事であるが、本書には、二人の取材を受けた際の状況についても記載されている。それによると、ナサーと著者との会話は和やかなもので、彼女がひも理論の会議に出席し、何人かの数学者・物理学者に取材できるよう中国行きの手配を手伝いまでしたが、彼女の本心は記事を見るまで知ることがなかった、とのことである。
 また、ペレルマンの業績については、ポワンカレ予想に関わりなくフィールズ賞に値するものである、との評価を示しており、曹・朱論文を自分が査読することとなった理由を述べるとともに、論文中で先行研究について触れずに数ページにわたる引用を行なったことについて一部過失があったとも認めている。しかしながら、ポワンカレ予想に関しては、著者は「異説かもしれないが、私は証明が確定したとは確信していない」と述べる。この点に関しては、(「ニューヨーカー」記事の作者が考えたように)業績の横取りを意図したものではなく、純粋に数学面からの認識に基づく発言であるように感じられる。

 何れにしても、ペレルマンがクレイ研究所の賞金及びフィールズ賞の授与を拒否することとなった理由は、自身の業績が拠って建つ基礎を創り上げたリチャード・ハミルトンの業績への「気兼ね」、あるいは、むしろ自分よりもそれを受け取るべき人間が他にいる、という事実によるものと思われる。そしてその後、彼が世捨て人のように生きることとなり、結果としてその才能を無駄にしてしまったことの最大の責任は、その数学をまともに理解せずスキャンダルを創り上げたナサー、ガッセン他のジャーナリストやマスメディアにある、と強く感じる。このように、ひねもすスキャンダルを作りたがるマスメディアの習性は、現日本のマスメディアの報道姿勢にも相通じるものがある。

*1:こうした記述を読むと、改めて中国は多民族国家であることを認識する。