ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ティディエ・エリボン(塚原史訳)『ランスへの帰郷』

 フランスの労働者階級に出自を持ち同性愛者である著者が、父の死を機に十数年ぶりに帰郷したことを起点として、自伝の形式をとりつつ、フランスにおける(所得面のみならず文化資本を含めた)格差の再生産、(かつては左翼政党を支持した)労働者階級の右傾化等の社会情勢が論じられる。以前取り上げたヴァンス『ヒルビリー・エレジー』のフランス版の趣もあるが、文体は異なり、ペダンチックな上品さがある。また日本語版の解説を含め、著者とブルデューの関係について興味を惹く記述がある。

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右傾化の背景

 著者にとって同性愛者であることは受容し得るものであったが、労働者階級に出自を持つことを認めることは、自身のアイデンティティの否定にもつながり得るものであった。そのことは、著者に家族や地元との断絶と自己欺瞞をもたらす。

 ランスに戻って、私はそれまで否定してきた(中略)このしつこくつきまとう問題に直面することになった。家族との全面的な断絶の理由が自分の同性愛や、父の、そして私が育った社会全体のあからさまなホモへの嫌悪によって説明されるという一見明白な考え方を自分自身の理論的出発点(つまり、私の過去と現在を再考して自分が何者なのかを反省するための枠組み)としたのだったが、同時に、こうした考え方がどれほどもっともらしく見えても、私はそれを、私の出自との階級的断絶にも関わっているという考えを避けるための高尚で、異論の余地のない理由に仕立て上げようとしたのではなかっただろうか?

 帰郷を通じて著者が検討を進めるのは、労働者階級を待ち受ける社会的宿命と、左翼、共産主義に対する(社会的エリート層とは)異なる感情、意味合いである。著者の父や兄は、小学校が終わるとすぐに働き始め、それを待ち受けるように工場が存在した。彼らには、「教養」を身に付ける機会が(実質的に)与えられず、教育は、実用的な知識の習得に限られた。

 そんなわけで、二人の弟は私たちの両親の境遇以上の位置になんとかよじ登ったことになる。社会的地位は基本的には出自の階級に結びついたままであり、元の地位とそれにともなう決定論によって制約されているが、彼らの場合には社会的地位の上昇と見ていいだろう。結局、この種の制約は、まず自分の意思で学校に行かなくなることから始まり、学校教育のシステムから排除された者たちに提供される職業や職種の選択が制限される事態へとつながるのだが、教育システムは排除されることを自発的に選んだと、彼らに思い込ませてしまう。

 また彼らにとって左翼とは、ドゥルーズの発言が意味するような「第三世界の諸問題を自分の居場所より身近な緊急の課題としてとらえること」などではなく、その反対に、「自分の住む街や自分が生きる国だけに関心を集中すること」、「彼らが日常生活で耐え忍んでいる状況のごく実際的な拒否」を意味するものであった。このことは、後日、労働者階級の右傾化の問題につながる。
 1981年に成立したミッテラン政権は、左翼の勝利をもたらしたが、左翼諸政党と左翼知識人は「統治される者の言葉ではなくて、統治する者の言葉で」語るようになる。左翼諸政党や左翼知識人は、「統治される者の視点を尊大ぶって退けて、統治する者の視点で世界を見渡すことを選んだ」ことになる。

(中略)この場合、投票者は、投票先を決める際に考慮に入れた要素、恣意的に無視した要素を、どのようにして選択したのだろうか? たぶん重要なのは、自分が個人的、集団的に代表されていると思える、あるいはそう信じられると感じることである。つまり、たとえ不十分で不完全なやり方であっても、自分が支持した候補者に支えられていると感じられ、投票という行動や決断を通じて、政治の場面で存在感を意識できることだ。

(中略)正統的な政治的定義に関する独占を守ろうと意図する論者や学者たちは、彼らの定義から外れるあらゆる視点や自己規定をすべて「ポピュリズム」と決めつけるが、この種の非難は、民衆が彼らの「理性」や「叡智」に従わない場合に、彼らが民衆の「非合理性」とみなす事態を前にした無理解を暴露するだけである。

 したがって、社会運動や批判的知識人に課される任務は次の通りだ。社会組織、特に民衆的所階級の内部で作用するネガティヴな激情を消去するのではなくてーーそれは不可能な任務だーー、この種の激情を最大限に中立化することを可能にする理論的枠組みと政治的現実認識のスタイルを構築すること。これからの社会について、これまでと違う複数の見取り図を提供し、新たに左翼とみずから名乗ることができるような組織のために、未来を素描すること。

 これらを読むと、日本のネット、SNS等にみられる「歪な」心情の吐露のようなものを思い起こさせる。本書に語られる社会階層間の断絶は、米国や日本、あるいは(解説の三島憲一氏が指摘するように)ドイツとも異なるものだが、一部を切り取って当てはめると同様の事象もみえてくる。

 Ⅳの章以降は、自身の学業遍歴と同性愛者としての苦難について語られる。