牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』
2018年刊。秋丸機関とは、陸軍省に設置された戦争経済を研究する機関であり、経済学者の有沢広巳らが参加した。ケインズが『一般理論』を刊行した1936年以前、あるいはレオンチェフの産業連関表はまだ使われていない段階での戦争経済・抗戦力研究であり、手法としては、「再生産」の考えに基づくマルクス経済学の「科学的」手法が用いられたと考えられている。
「日英米開戦」は避け得ることはできたか
秋丸機関をなぜ、著者は研究することになったか、その理由を本書のあとがきに記載している。
(中略)秋丸機関の報告書や諸資料の内容は英米の経済抗戦力の大きさを示しているものの、全体としては当時の論壇での言説や他の政府機関やシンクタンクの研究内容とそれほど変わらないものであった。したがって秋丸機関の報告書は無数にある情報の中の一つに過ぎず、「国策に反する」という理由で焼かれるようなものでは無かったはずだが、なぜそのような評価が定着したのだろうか。さらに、秋丸機関の報告書の内容自体は当時の「常識」なのであったとすれば、対英米開戦の困難さは誰もが知っていたことになる。「開戦すれば高い確率で敗北する」という正確な情報があったにもかかわらず、なぜ日本は対英米開戦という選択肢を選んでしまったのだろうか。「秋丸機関の謎」を解くには、根本的な問題である「日米開戦の謎」を解かなければならなかった。
この「なぜ日本は対英米開戦という選択肢を選んでしまった」のか、との問いに対して著者が導いた答えは、第1に、行動経済学におけるプロスペクト理論をもとにしたものである。南部仏印進駐により日米関係は悪化し、アメリカは日本に対する石油禁輸を発表する。この場合、開戦せず数年後に確実に国力を失う選択肢に対して、高い確率で敗北するとしても、わずかな確率でもイギリスを屈服させアメリカの戦意喪失を導く可能性のある選択肢が、より魅力的に見えたのではないか、としている。
また、第2に、「集団意思決定」の状態では、個人が意思決定を行うよりも結論が極端になることが多いという社会心理学の研究が取り上げられる。スペインのフランコ独裁とは異なり、日本では、強力なリーダーシップをとれる人物は誰もおらず、大日本帝国憲法下における意思決定の機能不全状態を打破するための取り組みであった昭和15年の「政治新体制運動」が挫折したことを批判的に指摘する。
本書では、開戦後の経緯を秋丸機関の報告書と比較しつつ、特に、アメリカの造船力に対する想定の誤りを指摘する。また、日英米開戦はどうすれば避けられ、経済学者は何をすべきだったのか、との問いに対し、昭和天皇が「戦争に反対する者の意見は抽象的であるが、内閣の方は、数字を挙げて戦争を主張するのだから、遺憾乍ら戦争論を抑える力がなかった」と述べたことも踏まえ、つぎのように指摘する。
恐らく日本の経済学者が「日英米開戦」の回避に貢献できたとすれば、日本とアメリカとの経済格差という「ネガティブな現実」を指摘することだけではなく、こうした「ポジティブなプラン」*1を経済学を用いて効果的に説明することだったろう。この「ポジティブなプラン」はあくまでも開戦論を抑えて時間を稼ぐためのレトリックなので、必ずしもエビデンスに基づく必要はなく、極端な場合、事実や数字を捏造しても良かっただろう(「満州国で発見された油田は極めて有望である」等々)。その上で「ドイツの国力は現在が限界なので数年でソ連と英米に挟撃されて敗北する、その後は英米とソ連との対立が起きるのでそれを利用すべきだ」とエビデンスを踏まえてヴィジョンを示せれば、「臥薪嘗胆論」に説得力が増し、「日英米開戦」は回避された可能性がある(もちろん硬化している国民世論をどう説得するかという問題は残る)。
著者の指摘する、なぜ日本は対英米開戦という選択肢を選んでしまった」のかとの問いに対する答えは非常に興味深い。また、この指摘を導くことができたのは、秋丸機関の報告書の内容は当時の「常識」に属するものだった、という「通説を超えた」事実を発見することができたためである。
一方、日英米開戦はどうすれば避けられ、経済学者は何をすべきだったのか、との問いへの答えはどうか。確かに、開戦を1年程度延期すれば、欧州戦線の変化によって開戦決定はより困難なものとなった可能性はある。ただしこれも「たられば」の域を出ない。そもそも1938年の近衛声明、あるいは1941年の南部仏印進駐以後においては、最終的に「日英米開戦」に至る道は避け得なかったのではないか、という印象も拭い難くある。
ちなみに2017年に刊行された宮川公男『統計学の日本史』という書籍があり、秋丸機関について取り上げているようである。その書評*2では、「時の東条英機首相は統計にまったく理解はなく」、国家資力が戦争の重荷に耐えられるかどうかを判断するのに不可欠な国勢統計は「統計制度の未発達や経済統制による数字の歪曲のために劣化していた」、との同書の記述を踏まえ、その上で、秋丸機関の報告は杉山参謀総長に採用されず、資料は焼却処分を命ぜられた、との「通説」をもとに、「実際に太平洋戦争は秋丸の意見の通りに推移したから、秋丸機関の客観的な報告に基づいて決定したならば、日米開戦はなかったかもしれない」との見方を示す。
このような見方には一理あるように感じられ、世の中のストーリーに乗せることも容易であるが、経済学者の先見性をやや過度に見積もるもので、現実には、陸軍や政府の見識は、経済学者等と比較して、さほど劣るものではなかったことを本書は証明している。