- 作者: B.ラッセル,安藤貞雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1991/03/18
- メディア: 文庫
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第1章 何が人びとを不幸にするのか
- (私が人生を楽しめるようになった理由の大部分は、)自分自身(と自分の欠点)に無関心になったことによる。
- 大画家に払われる尊敬に感銘するナルシストにとって、絵は目的に対する手段に過ぎない。
- 現在は事態が悪化し、人は、完全に意欲を挫かれたと感じるあまり、一切の満足を求めようとせず、気晴らしと忘却のみを求める。
第2章 バイロン風の不幸
- 一切を空しく感じる感情は、自然の欲求があまりにも容易く満たされることから生じる。
- 「川はみな海に流れ入るが、海は満ちることなく、川はその出てきたところにまた帰って行く」という事実は、空しいことの証明にはならない。13世紀のペシミズムの原因は、形而上学的なものではなく、戦争・貧困・暴力。(クルーチや文学者が)世界を荒涼と感じるのは、新しい刺激に対し昔ながらの情緒を感じることを学んでいないため。
第3章 競争
- アメリカのビジネスマンがより幸福になりたければ、その宗旨を変えることが必要。典型的な現代人が(金儲けで)手に入れたがっているのは、もっと金を儲けることであり、その目的は、見せびらかし、豪勢さ、これまで対等であった人達を追い越すこと。
- 成功は幸福の一つの要素でしかない。成功を得るために他の要素が全て犠牲にされたとすれば、あまりにも高い対価を払ったことになる。
第4章 退屈と興奮
- 退屈の反対は「快楽」*1ではなく興奮。多すぎる興奮に慣れると、病的にそれを欲するようになる。退屈に耐える力を持つことは、幸福に不可欠。偉大な人々の生活は、そと目には刺激的なものではない。
第5章 疲れ
- 現代生活において重要な疲れの種類とは、常に情緒的なもの。
- あらゆる種類の恐怖に対処する道は、理性的に、平静に、しかし大いに思念を集中して、その恐怖がすっかり馴染みのものとなるまで考え抜くこと。
第6章 ねたみ
- ねたみの唯一の治療法は幸福。手に入るものを楽しみ、しなければならない仕事をし、自分よりも幸福だと思っている人達との比較を止めるなら、ねたみから逃れることができる。人は、手に入れることができない幸福を羨むことはなく、社会階層が固定化している時代には、下層の人達は、上流階級を羨まなかった。
- ねたみの結果として期待される類の幸福は、最悪の種類のもの−−幸運な人達の幸福を減らすことによる公平−−。
第7章 罪の意識
- 罪の意識は人を不幸にし、劣等感を抱かせる。
- 自分が理性的に信じることができることについては、断固たる決意をもつべきであり、不合理な信念に支配されてはならない。陶酔を必要とする幸福はいんちきで不満足なものであり、本当に満足できる幸福は、己の能力を完全に発揮させてくれるもの。
第8章 被害妄想
- 被害妄想に係る一般的な4つの公理−−(1)自分は、自分自身が思うほど利他的ではない、(2)自身の美点を過大評価すべきではない、(3)自分が自分自身に寄せるような大きな興味を他の人も自分に対して寄せてくれることを期待すべきではない、(4)世の中の大抵の人は、自分を迫害しようと思うほど自分のことを思ってくれているわけではない。
第9章 世評に対するおびえ
- 大抵の人は、自分の生き方や世界観が、周囲の人々から大筋で是認されない限り、幸福にはなれない。
- 人々は自然であるべきで、明確に反社会的な趣味でない限り、己の自発的な趣味に生きるべき。
- (世評の)害悪に対する究極的な治療法は、一般大衆が一段と寛容になることであり、その方法は、真の幸福を享受している人間を増やすこと。
*1:シトフスキーでは、快楽/安楽を区別。