訳書の初出は2016年で、原著は2014年刊。原題は”Dynamism Rivalry, and Surplus Economy: Two Essays on the Nature of Capitalism”。社会主義システムの下での経済は、商品と労働力が必要を満たない「不足経済」であると著者は名付けたが、本書では、一方の資本主義経済の特性を「余剰経済」と名付け、両経済の特性の違いに着目した上で、資本主義の評価を行い、計測上の問題等を検討する。特にイノベーションを促進する効果について、資本主義の最大の長所としている。
イノベーション、失業、均衡
社会主義経済の下では、何故イノベーションが促進されないのか。本書の第1部では、社会主義システムに付随する幾つかの特性を上げ検討する。そして、「不足経済」の下では、生産者/売り手は新製品や改良された製品を市場に投入することで顧客を惹きつける必要がないため、競争メカニズムが働かないこと、資本主義経済の下では数千、数百のおよそ成果のない試みが可能であり、それがそのうちの一つでも計り知れない成功をもたらすことを可能にするが、社会主義計画経済では誰もがリスクを回避する傾向が強いことなどが、その要因に上げられる。
以前読んだ渡辺努『物価とは何か』では、長期で緩やかなデフレ下にある日本の日本の商品開発について、まっさらな新商品を世に送り出すものではなく、減量化・小型化に勤しむものであったと述べらている。これは、「不足経済」下の商品開発とはさらに対極にある、商品市場が飽和した世界での究極の「イノベーション」の姿を示すもののように思われた。
また、本書の中で注目されるのは、社会主義経済下の労働市場に関する見方である。マルクスの「相対的過剰人口」の考え方では、余剰労働力(労働力人口と仕事をする能力はあるが活動していない人口の合計)は文字通り「産業予備軍」であり、労働市場が必要とすれば、そこから労働力として動員される。ところがコルナイの理論では、社会主義経済を特徴づけるのは失業や慢性的な余剰労働力ではなく、慢性的な労働力不足である。
これはつぎのようなメカニズムで説明される。企業は国家所有であり、企業の指導者たちは、コストに拘らずできる限り多くの実物投資を行いたいと考えている。いわゆる「ソフトな予算制約」により、企業は節度なく投資する傾向を持ち、投資資源の官僚的配分のシステムも予算を超えた投資支出を黙認し、投資の損失は黙認される。このメカニズムにより、予備の労働力は遅かれ早かれ搾り取られることになる。
これはケインズとカレツキが示した失業のメカニズムに対する「鏡像」である。ケインズの場合、循環の変動が不十分な需要が雇用の低下を生む。さらに資本主義経済には、経済が上向きの時にも職を見つけることができない労働者、働く力があるのに失業登録をしていない者が存在し、さらにはイノベーションと創造的破壊により企業に退出を余儀なくされる構造的失業者も存在する。
さらに著者は、経済の静的な「均衡」という概念に懐疑的である。調整と配分の機能が働いている中、「均衡」は決して定常状態としてはあり得ないとする。
マーシャルやワルラスから現代の主流派にいたる経済学者たちは、均衡という概念にふさわしい厳格に定義された認識を守ってきたが、彼らの目の前にはニュートン物理学という模範がある。私からすれば、もし自然科学からのインスピレーションを求めるとしても、ダーウィンや進化生物学から着想を得た経済学者に加担することを好むであろう。生物学における自然淘汰や進化と、分権化した市場経済で起こる成長や技術進歩の間には示唆に富む類似点がある。[pp.226-227]
二つのレジーム、恒常的な非対称性
「不足経済」と「余剰経済」は異なる需要―供給レジーム下にある。これを示唆するのが本書のp.233にある図5.1である。
ここで45度線よりも上にあるのが「不足経済」であり、下にあるのが「余剰経済」である。また、ワルラス均衡点()は原点である。なお、は不足を示す合成指標、は余剰を示す合成指標である。
著者は、「との指標は広く撒き散らされているのではなく、二つのクラスターにまとまって別れており、次元の二つの範囲のなかに散らばって存在している」と考えている。また、これは実証的に証明あるいは棄却されるべき課題であるとする。同時に、この研究のために必要となる計測上の課題(例えば稼働率の計測など)に関し検討が加えられる。
なお、同じ国でも、その一国経済の中に「不足経済」と「余剰経済」が同居するケースがあり、戦時経済や福祉国家の社会サービスが言及される。
著者は、本書において、総じて社会主義経済に対する資本主義経済=「余剰経済」の優位性を強調するが、近年は、例えば食品ロスなど、特に環境や配分の観点からの課題も指摘されるようになっている。これらは、著者も指摘するように、マッチング理論やサーチ理論を用いて分析し、調整の仕組みを考えることが可能である。一方、需要と供給の関係が恒常的に非対称的で均衡が成立しない場合、双方の行動にどう影響するのかを研究することは、コルナイ理論の研究プログラムの中でも刺激的なものだとする。