ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

今年の10冊

恒例のエントリーです。以下、順不同で。

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真の失業率──2020年10月までのデータによる更新

 完全失業率によって雇用情勢を判断する場合、不況時に就業意欲を喪失し労働市場から退出する者が発生することで完全失業率が低下し、雇用情勢の悪化を過小評価することがある。この効果(就業意欲喪失効果)を補正し、完全失業率とは異なる方法で推計した「真の失業率」を最新のデータを加えて更新した。

※ 真の失業率のグラフは、後方12カ月移動平均から季節調整値に変更

 10月の結果をみると、完全失業率(季節調整値)は3.1%と前月から0.1ポイント上昇したが、真の失業率は3.0%と前月(3.1%)より0.1ポイント低下した*1

 休業者(前年差)の増加幅はほぼ例年ベースとなり、新型コロナウイルスの蔓延に伴い、就業者数は、最終的には前年差で概ね100万人の減少となったとみられる。*2

 所定内給与と消費者物価の相関に関する9月までの結果は以下のようになる。物価は引き続き停滞、賃金は若干上昇した。

(注)本稿推計の季節調整法を、2020年1月分から変更*3した。

*1:4月は、季節調整のための事前調整モデルを推計する際、AICテストの結果レベルシフトが検出されている。

*2:就業者数(季調値)とESPフォーキャスト調査の結果を用いたGDP就業者関数による予測では、2020年第4四半期の前年差は、約163万人の減少(2021年第4四半期まで、さらに約27万人減少)と予測していた。月末1週間の就業時間別にみた当該データは、即位の日を含むゴールデンウィークに重なる昨年4月等、祝日の変化による前年差への影響が大きい。

*3:X-12-ARIMAからX-13-ARIMA-SEATSに変更し、曜日効果、異常値はAICテストにより自動検出(モデルは自動設定)とした。

シン=トゥン・ヤウ、スティーブ・ネイディス(久村典子訳)『宇宙の隠れた形を解き明かした数学者 カラビ予想からポワンカレ予想まで』

 微分幾何学者で数理物理の世界に大きな名を残す数学者シン=トゥン・ヤウの自伝。原題は”The Shape of a Life One mathematician’s search for the universe’s hidden geometry”。全体がヤウの一人称で書かれており、もう一人の著者であるネイディスの役割は、よくわからない。
 客家の出であるという著者の出自から、父を早く亡くし、極貧の中にあっても教育に重きを置く家庭環境に支えられ、20歳でUCバークレーに進学する、といったところから本書の物語は始まる*1。著者の名は、超弦理論のブームもあり、カラビ予想の解決、カラビ=ヤウ多様体の発見といったところからよく知られているように思うが、それだけではなく、多くの分野にわたる実績があり、若手研究者への教育・共同研究でも極めて活動的に仕事をしてきたことがわかる。
 数学の内容に関しては、(素人の読者にも概ね理解できる範囲で)わかりやすく触れられる。ただし、読後感として残るのは、(著者にとって最も重要であろう)数学の話題ではなく、特に中国人研究者との確執や、中国社会や学会に対する批判的視座である。中には、著者の師であり(自身、微分幾何学の「チャーン類」などに名を残す)陳省身や、著者の指導した田剛との確執も現れる。陳との関係については、中国人若手数学者の間にも話が広まり、陳の「自称支持者」たちが著者が行ったと思われる「悪いこと」を陳に電話をし聞き出そうとしたり、中国から派遣された研究者が著者らの講義ノートをまとめることができず、それを棚に上げて著者を批判する報告を本国に送った話などが出てくる。しかし(考えてみれば当然のことであるが)、何らか確執があるにしても、陳と著者、あるいは本国の研究機関と著者の間にはしばしばやりとりがあるわけで、ある種、微笑ましい話でもある。
 田については、中国本国の研究者の報酬が著しく低い中、「中国としては天文学的な12万5千ドルの報酬を与える『百万元の教授職』」に就いたことに批判的で、そのことに触れた雑誌『ニューヨーカー』の記事にあった、田を「ヤウの最も成功した教え子」とする表現をキッパリと否定する。この種の行為を可能にした中国の施策にも批判的で、(最近、日本でも話題になった)「千人計画」に関しては、つぎのように記載する。

(中略)何十億ドルもかけて有名な学者たちをアメリカその他西洋諸国からスカウトして、国内の大学を増強する計画だった。しかし中国がその計画で得たものは多くなかった。訪問して報酬を受け取りながら、多くの時間とエネルギーを中国に捧げない学者が多すぎた。実際、その制度は悪用のし放題だった。同じ年に中国で三つの職を持ち、アメリカにも常勤の職を持っていた研究者がいた。それに比べて、現地の中国人教授の俸給は微々たるものだった[p.388]。

 こうした著者と他の研究者との確執はそこかしこに現れるのだが、それは何にもまして数学の業績に重きを置く一方、人間関係の機微に関わる話題でもさほど意識することなく言葉や文章にしてしまう著者の性格にも依るところがありそうである。例えば、小平邦彦の義理の息子となった研究者について、「そうしなければ偉大な先生に対して無礼だと思ったからだ」と、その友人の「日本人の数学者数人」と話をしたことが、何気もなく書かれている[p.126]。

 中国の学生について、著者は「良い職を得るのに熱心だが数学その者にはそれほど熱意がなさそう」な者をよく見るとし、その理由については、「教材を丸暗記させて生気を吸い取りかねない中国の教育制度の予期せぬ結果ではないか」という。中国の中高生世代は、国際数学オリンピックでは極めて高い実績を長年、上げ続けており、アメリカや欧州、オセアニアの代表の中にも中国系の生徒は多かったりするのだが、著者は、むしろそうした問題を解くことを競わせるのではなく、真の研究を経験できるよう手を差し伸べることに力を尽くそうとする。

traindusoir.hatenablog.jp

 また、著者がUCバークレーに留学後、初めて中国を訪れた際の話として、「親類を重要視しすぎ期待しすぎる中国文化に困惑した」ことが書かれている。子息を米国留学させるため口利きを依頼された話などは、かつての日本の地方などでもあり得る話で、アジアの「古き良き」ウェットな文化という風にも感じられる。

ポワンカレ予想

 このような(数学の本筋を離れた)研究者間の確執に係る話題としては、ポワンカレ予想をめぐるグレゴリー・ペレルマンとの関係は避けて通れないものだろう。例えばマーシャ・ガッセン『完全なる証明』によれば、著者(ヤウ)はペレルマンの証明に致命的欠陥が含まれる可能性があることを指摘し、その一方で、自身が指導する二人の数学者、曹懐東、朱熹平にペレルマンの証明の詳細に関する論文を書かせ、通常の査読のプロセスを省略して専門誌に掲載したとされる。また、二人の数学者は、ポワンカレ予想の証明の詰めは自分たちが行ったのであり、賞金は当然自分たちのものであると主張したとも書かれている。同書では、ペレルマンがクレイ研究所の賞金及びフィールズ賞の授与を拒否し、数学を離れ、孤独に生きることとなった過程の中に、この事実が含まれることを仄めかしている。

 この話が大きくなったきっかけは、雑誌『ニューヨーカー』に掲載されたシルビア・ナサー(『ビューティフルマインド』の作者)とデビッド・グルーバーの記事であるが、本書には、二人の取材を受けた際の状況についても記載されている。それによると、ナサーと著者との会話は和やかなもので、彼女がひも理論の会議に出席し、何人かの数学者・物理学者に取材できるよう中国行きの手配を手伝いまでしたが、彼女の本心は記事を見るまで知ることがなかった、とのことである。
 また、ペレルマンの業績については、ポワンカレ予想に関わりなくフィールズ賞に値するものである、との評価を示しており、曹・朱論文を自分が査読することとなった理由を述べるとともに、論文中で先行研究について触れずに数ページにわたる引用を行なったことについて一部過失があったとも認めている。しかしながら、ポワンカレ予想に関しては、著者は「異説かもしれないが、私は証明が確定したとは確信していない」と述べる。この点に関しては、(「ニューヨーカー」記事の作者が考えたように)業績の横取りを意図したものではなく、純粋に数学面からの認識に基づく発言であるように感じられる。

 何れにしても、ペレルマンがクレイ研究所の賞金及びフィールズ賞の授与を拒否することとなった理由は、自身の業績が拠って建つ基礎を創り上げたリチャード・ハミルトンの業績への「気兼ね」、あるいは、むしろ自分よりもそれを受け取るべき人間が他にいる、という事実によるものと思われる。そしてその後、彼が世捨て人のように生きることとなり、結果としてその才能を無駄にしてしまったことの最大の責任は、その数学をまともに理解せずスキャンダルを創り上げたナサー、ガッセン他のジャーナリストやマスメディアにある、と強く感じる。このように、ひねもすスキャンダルを作りたがるマスメディアの習性は、現日本のマスメディアの報道姿勢にも相通じるものがある。

*1:こうした記述を読むと、改めて中国は多民族国家であることを認識する。

真の失業率──2020年9月までのデータによる更新

 完全失業率によって雇用情勢を判断する場合、不況時に就業意欲を喪失し労働市場から退出する者が発生することで完全失業率が低下し、雇用情勢の悪化を過小評価することがある。この効果(就業意欲喪失効果)を補正し、完全失業率とは異なる方法で推計した「真の失業率」を最新のデータを加えて更新した。

※ 真の失業率のグラフは、後方12カ月移動平均から季節調整値に変更

 9月の結果をみると、完全失業率(季節調整値)は3.0%と前月と同水準となったが、真の失業率は3.2%と前月(3.1%)より0.1ポイント上昇した*1

 休業者の動きをみると、9月は休業者(前年比)の増加幅がやや拡大した。*2

 所定内給与と消費者物価の相関に関する8月までの結果は以下のようになる。今回、賃金・物価の減少幅は大きく、ともに下落の方向となる。

(注)本稿推計の季節調整法を、2020年1月分から変更*3した。

*1:4月は、季節調整のための事前調整モデルを推計する際、AICテストの結果レベルシフトが検出されている。

*2:月末1週間の就業時間別にみた当該データは、即位の日を含むゴールデンウィークに重なる昨年4月等、祝日の変化による前年差への影響が大きい。

*3:X-12-ARIMAからX-13-ARIMA-SEATSに変更し、曜日効果、異常値はAICテストにより自動検出(モデルは自動設定)とした。

トーマス・カリアー(小坂恵理訳)『ノーベル賞で読む現代経済学』

 1969年に最初のノーベル経済学賞アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)を受賞したフリッシュ、ティンバーゲンから、2009年に受賞したウィリアムソン、オストロムまで、計64名の受賞者の業績と人物像を、著者なりに整理されたテーマ別にまとめている。原題は"Intellectual Capital: Forty years of the Novel Prize in Economics"。文庫版解説では、2010年から2019年までの計20名の受賞者の業績についても簡単に触れられており、この一冊で、現代経済学の大宗を俯瞰することができる。
 本書の特徴について触れると、類書にみられる時系列的配置ではなく、テーマ別の整理となっている。また著者自身の見解もふんだんに記載されており、文庫版解説に記載されているように、「自由主義者ミクロ経済学者、金融経済学者、新しい古典派のマクロ経済学者、ゲーム理論家、計量経済学者たちに対して、かなり批判的な態度が見られる」一方で、「行動経済学GDPなどの国民経済計算等の発明、経済史、制度の経済学などに対しては、比較的優しめ」の記述となっている。特にシカゴ派の経済学者については厳しく、一方で、ガルブレイス、ロビンソンについては、ノーベル財団はこれらの功績を何らかの形で評価すべきだとする。
 著者自身の考えは、人々にとって重要なトピックや現実的な価値を持つ研究を認めるべき、というもので、一理あると思われる一方、数学者や統計学者を選ぶべきではない、というのはやや行き過ぎではないかとも感じる。(であれば、心理学者のカーネマンについてはどう考えるべきか。)

ハイエクフリードマン

 本書の中では、ともに自由市場主義者に分類されるハイエクフリードマンであるが、この二人のマクロ経済政策に対する見解の違いについてもまた、詳しく記載される。

 そもそもハイエクのほうでも、シカゴ大学経済学部をそれほど高く評価しているわけではなかった。たしかにハイエクフリードマンは多くの見解を共有している。しかし、経済理論に対するフリードマンの大きな貢献、すなわち実証主義マネタリズムのふたつをハイエクは槍玉にあげ、経済のあらゆる現象に関して原因と結果を単純に考えすぎるあまりあやまちが繰り返されていると批判した。それでもお世辞を言うだけの余裕はあって、フリードマンの文章は簡潔でわかりやすいと持ち上げているが(間違いなく皮肉である)、その一方フリードマンの『実証経済学の方法と展開』に対し公式に批評しなかったことを後悔していた。ハイエクにとってこの著作は、「ケインズの『貨幣論』と同程度に危険なもの」に映ったのである。[pp. 48-49]

 リバタリアンの哲学を自由市場への情熱と融合させることは、ハイエクにとってもフリードマンにとっても難しくなかった。どちらも小さな政府を目指すからだ。しかし、リバタリアンの哲学を科学的客観性と結びつける難しい。たとえば、市場調査の結果がリバタリアンとしての価値観と矛盾するときにはどうすればよいか。科学的客観性とリバタリアンの原理のどちらを優先させればよいのか。この根本的な問題に対し、ハイエクフリードマンの回答は異なっていた。恐らくフリードマンよりも哲学者として優秀なハイエクは、経済学で科学的客観性を守ろうとしても時間の無駄だとしてジレンマを解消した。市場は規制されないほうがよいと信じていればそれで十分とし、科学的な正当化が必要だなどと思わないように諭した。経済データに埋め込まれている真実は、経済学者には簡単に発見できないとハイエクは信じていた。経済学賞受賞者としては興味深い発想である。
 しかしフリードマンのほうは、それほど簡単に科学への情熱を放棄しなかった。何しろ彼は、経済学は客観的にも科学的にもなり得る学問であり、政治や個人的偏見に影響されないとする"実証経済学"で有名になった人物である。フリードマンは、科学的研究と政治・思想上の立場とは切り離せると主張した。科学の「帽子」をかぶっているときには、考案した理論をデータにもとづいて客観的にテストすることが可能であり、フリードマンはこれを実証主義と呼んだ。一方、政治の帽子をかぶっているときには、必ずしも科学的とはいえない政治的な見解であっても自由に表現することが許され、これを"規範主義"と呼んだ。科学者フリードマンと政策提言者フリードマンとの間に一貫性がなくてもかまわない。前者は科学を追究し、後者は見解を述べる。クローゼットにふたつの帽子が用意されていれば、客観的な科学者とリバタリアンの間に矛盾は存在しないと言うのが彼の言い分だった。[pp. 63-64]

 ハイエクフリードマンの違いについては、本書の視点とはやや異なる(実証主義よりもマネタリズムの方に関係する)が、稲葉振一郎新自由主義の妖怪 資本主義史論の試み』の中でも指摘されている。同書では、フリードマンが管理通貨制度の支持者でありマクロ金融政策に積極的な立場をとるのに対し、ハイエクはそのような立場をとらず、むしろ金本位制への復帰を志向していたきらいもある、と指摘する。

「新自由主義」の妖怪――資本主義史論の試み

「新自由主義」の妖怪――資本主義史論の試み

  • 作者:稲葉 振一郎
  • 発売日: 2018/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

指向と趣向

 過去十数年のノーベル経済学賞の受賞理由には、一定の指向性があるようにもみえる。2007年の受賞理由はメカニズムデザイン論であるが、その後、特に2010年、2012年、2020年辺りに共通し、「市場を創る」視点からの研究が受賞理由となっているように感じる。また、2017年は行動経済学であるが、近年は実際の政策にもその研究成果は取り入れられており、2019年は貧困政策を因果推論により評価するもので、やはり実際の政策に新たな視点を持ち込む研究である。

 なお個人的に今後の動向に関心を持つのは、脳科学とも関連する神経経済学の分野である。また本書で取り上げられた受賞者の中では、シェリングの研究に興味を持つ。さらに「この中で好きな経済学者は誰か」と問われれば、恐らく「アローの不可能性定理」で知られるケネス・アローを上げる。

適応的期待によるフィリップスカーブの妥当性

 KaggleのNotebookにおいて、物価水準が安定した長期均衡状態における完全失業率である「インフレを加速させない失業率」(NAIRU)を推定した。

※ 可変NAIRUの収束性が高まることから、時系列データを四半期に改めました。推計結果に大きな違いは生じません。(10/22/2020)

www.kaggle.com

推定は、以下に示す非線型の期待修正フィリップスカーブによった。モデルの期待インフレ率は、適応的期待(過去のインフレ率)とした。
 
\begin{align*}
\pi_t = \sum_{i=1}^N \alpha_i \cdot \pi_{t-i} + \gamma \cdot \frac{u_t - u^*}{u_t} + \sum_{i=0}^N \beta_i \cdot ps_{t-i} \hspace{15pt} (\sum_{i=1}^N \alpha_i \fallingdotseq 1)
\end{align*}

ただし、 \pi_t  t期のインフレ率(消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)の増減率)、  u_t  t期の完全失業率  u^*はNAIRU、  ps_t  t期の価格ショック(輸入物価指数の国内企業物価指数に対する比)である。

 結果の詳細はリンク先のNotebookを参照されたいが、結果は、つぎのようにまとめられる。

  • 推計期間の1980年~2020年においてNAIRUは変化しないと仮定した推定値である固定NAIRUの値は、概ね3.70%。
  • 推計期間においてNAIRUは確率過程(ランダムウォーク)に従い変動すると仮定した推定値である可変NAIRUの値は、概ね3〜4%程度で推計期間中に変動*1

しかしながら完全失業率は1980年頃や1990年代初頭には2%程度まで低下しており、固定NAIRUの推計値は、完全雇用が達成された状態における失業率という自然失業率の定義からは、かけ離れた高い水準となる。可変NAIRUについても、期首(無情報事前分布から推定)において実態からかけ離れた高い水準となるほか、足許の2020年は3%を下回るものの現実の完全失業率より高くなる。

 このように推定値は必ずしも現実のデータに適合しないが、その理由として、つぎの点が考えられる*2

  • リンク先のNotebookにも指摘したが、期待修正フィリップスカーブのモデル選択には恣意性がある。本稿では、インフレ率と完全失業率が反比例となる非線形の期待修正フィリップスカーブを用いているが、現実のデータは、完全失業率が2%台前半のところでカーブの曲率がより大きい可能性を示している。このようなモデルの不適合性が推定値を歪めた可能性がある。
  • 固定NAIRUについては、「推計期間に変化しない」という仮定が強すぎる可能性がある。可変NAIRUでは、一部のパラメーターが適切に収束していない。
  • 「1980年代のインフレ率の急速な低下は、金融政策の転換により長期インフレ期待が変化したことに伴うもの」で、「フィリップスカーブはごくわずかにしかフラット化していない」とする米国のデータによる分析がある。この場合、期待修正フィリップスカーブにおいて、適応的期待にもとづく期待インフレ率を用いることは適当ではない。

www.nikkei.com

実際、推定に用いたデータをもとに日本のフィリップスカーブをみると、リーマンショック後の2010年以降、完全失業率が低下しだいに低下する中インフレ率は緩やかな上下を繰り返し、長期的にみれば、ほぼ水平となる。

 一方、賃金と物価には一定の相関性があることから、この仮説に従えば、完全失業率が低下しても賃金は上昇しないことになる。

 完全失業率が低下する中、日本の賃金が上昇しなかったのは、09/25/2020付けエントリーにも書いたとおり、高齢者や女性の就業意欲が高まったため労働供給が増え、労働市場がタイト化しなかったためである*3労働市場がタイト化すれば、インフレ率も上昇した可能性はあるのではないか。
traindusoir.hatenablog.jp

 現在、機械学習の活用等が一般化する中、SNSの投稿数やPOSデータ、衛星写真など、公的統計等とは異なるオルタナティブデータの活用が進んでいる。日本のフィリップスカーブや長期インフレ期待の影響について同様の分析を行うためには、こうしたデータを縦横に活用することで擬似的なパネルデータを生成する等、新たな分析手法を取り入れることが必要である。また分析手法が変われば、新しい理論が生まれる可能性もある。上に引用した記事は東京大学における講演をもとにしたものであるが、講演の資料には、分析にあたって州レベルのインフレーション指数を遡及して作成したことが記されている。

 記事の最後では、つぎのように締められている*4

 高すぎる(または低すぎる)インフレに対して、政策当局は短期的な政策に頼るのではなく、長期インフレ期待を変えることをめざすべきだ。それがいかに困難でも取り組まなければならない。


(追記)
 上述の日経記事および東大講演に関するワーキングペーパーが公表されたことについて、himaginary's diaryで紹介されている。

himaginary.hatenablog.com

*1:推定結果に複数の警告メッセージがある。

*2:この他、推定方法の全体にわたって改善すべき点はあり得る。

*3:専門家の中には、その要因を、企業レベルの賃金交渉において「賃金の上方硬直性」があったため、とする指摘もある。

*4:一方、日本の金融政策の関係者が著した本には、「30年にわたる経済の停滞と、それに対して的確な対処が出来なかった一つの理由は、日本経済の急速な構造変化を経済統計が的確に捉えていなかったことだ」などと記されており、言い訳じみている。

真の失業率──2020年8月までのデータによる更新

 完全失業率によって雇用情勢を判断する場合、不況時に就業意欲を喪失し労働市場から退出する者が発生することで完全失業率が低下し、雇用情勢の悪化を過小評価することがある。この効果(就業意欲喪失効果)を補正し、完全失業率とは異なる方法で推計した「真の失業率」を最新のデータを加えて更新した。

※ 真の失業率のグラフは、後方12カ月移動平均から季節調整値に変更

 8月の結果をみると、完全失業率(季節調整値)は3.0%と前月より0.1ポイント上昇したが、真の失業率は3.1%と前月(3.2%)より0.1ポイント低下した*1

 非自発的失業者は前年差で増加(7カ月連続)、非正規雇用の減少・正規雇用の増加傾向も継続している。完全失業者数は、主に(離職失業者ではない)新たな求職者により増加しており、非労働力人口からの流入が増加していると考えられる。このことは、足許における真の失業率の低下と平仄が合っている。

 このところ話題となっている休業者の動きをみると、4月の前年差にみられた拡大幅は、引き続きしだいに縮小している。*2

 所定内給与と消費者物価の相関に関する7月までの結果は以下のようになる。賃金・物価には一時的な減少傾向がみられたが、再び増加方向へ転じている。

 なお、新型コロナウイルスの蔓延によりパート労働者が減少、その構成比が低下している。パート労働者の構成比の低下は、相対的に賃金が高い一般労働者の構成比を高めることで、一人当たり賃金を引上げる効果を持つ。前年比でみた場合、足許で賃金は増加しているが、その効果によるところが大きく、一般労働者の所定内給与*3は4月以降、減少している。

(注)本稿推計の季節調整法を、2020年1月分から変更*4した。

(真の失業率のデータ(CSV)が必要な方はこちらへ)
https://www.dropbox.com/s/6cm8flun7au7lhb/nbu_ts.csv?dl=0

*1:4月は、季節調整のための事前調整モデルを推計する際、AICテストの結果レベルシフトが検出されている。

*2:月末1週間の就業時間別にみた当該データは、即位の日を含むゴールデンウィークに重なる昨年4月等、祝日の変化による前年差への影響が大きい。

*3:規模30人以上の前年比。

*4:X-12-ARIMAからX-13-ARIMA-SEATSに変更し、曜日効果、異常値はAICテストにより自動検出(モデルは自動設定)とした。