橘木俊詔、森剛志『新・日本のお金持ち研究』
2009年10月刊。2005年に出版された『日本のお金持ち研究』の続編で、内容は異なる。本稿の著者は、前著『日本のお金持ち研究』を未読であるが、関係箇所は概ね引用されており、また著者の一人による短い紹介文で、その大まかな内容は知ることができる。
これらの基となる研究では、「お金持ち」と言われる人はどのような人なのか、どのような経緯で「お金持ち」になれたのかなどを明らかにするため、国税庁『全国高額納税者名簿』(2001年度版)の住所・氏名を利用したアンケート調査を行っている。しかしこの名簿は2005年度版を最後に作成されなくなり、以後、同様の研究を実施することは困難となっている。その意味では、出版から十数年を経ているものの、本書と前著の内容は未だ希少性を保ち続けている。
著者らは、高額納税者名簿が作成されなくなったことに対し、富裕層の研究ができなくなったという理由から批判的で、秘密保持や犯罪防止の方策は他ににいくらでもあるはずだという。しかし現在の視点からみると、妬み・嫉みに溢れたネット上の発言や、日本社会の同調圧力などの観点で、むしろ当時の判断は正しかったと考えられる。
玄田有史、連合総研編『セーフティネットと集団 新たなつながりを求めて』
2023年5月刊。日本のセーフティネットは、2008年の世界金融危機、また同年末の「年越し派遣村」を契機に非正規雇用者の労働条件が社会問題化したこと等を受け、無料の職業訓練と給付金からなる求職者支援制度等のいわゆる「第二のセーフティネット」が創設されたことで、雇用保険制度(雇用調整助成金や失業等給付)と生活保護制度という二つのセーフティネットの間を求職者支援制度等の「第二のセーフティネット」が補完する三層構造の仕組みとなった。非正規雇用者は、雇用保険への加入資格があっても受給の要件を満たさないことが多く、失業者のうち失業給付を受給している者の割合は3割にも満たないとされている(長期的にも低下傾向)。一方、生活保護は税財源により給付が行われるが、資力を持たない生活困窮者に限られ、スティグマ効果を持つ他、(本書の74頁の図表2-2を見てもわかる通り)一度制度の対象になると、そこから抜け出すことは難しいことが推察される。
続きを読むコルナイ・ヤーノシュ(溝端佐登史、堀林巧、林裕明、里上三保子訳)『資本主義の本質について イノベーションと余剰経済』
新しいステージに突入した日本の少子化
本年6月に公表された厚生労働省『人口動態調査(概数)』によれば、2022年の出生数は約77万人(前年約81万人)、合計特殊出生率は1.26(同1.30)となり、少子化が加速している。このうち出生数は、母数となる女性人口が減少しており、それに伴う減少要因と、出生率低下による減少要因を分けることができる。なお、女性人口の減少は今後も避けられず、少子化対策はあくまで出生率の向上を目指すものとなるため、それぞれの規模感を把握しておくことには意味がある。
さらに日本では非嫡出子が非常に少ないため、出生率は、女性の有配偶率によって大きな影響を受ける。当ブログで以前行った分析では、1995〜2000年、2000〜2005年のそれぞれの間、女性の有配偶率低下は合計特殊出生率に大きなマイナス効果を持ち、当該効果を除いた場合、合計特殊出生率はプラスであったことがわかった。
もし、この傾向が現在も継続しているとすれば、児童手当や保育施設の充実といった、子育て世代をターゲットとするいわゆる「子ども・子育て支援制度」は、無論、その目的に資するものだとしても、少子化対策としては不十分である。その場合、非正規雇用者など低所得若年層の所得を高めるなど、子育て世代よりも下の世代のインセンティブに働きかけることが、少子化対策としては重要である。
以下では、2021までの『人口動態調査(確定数)』を用いた足許の分析と、加えて、総務省『国勢調査』が利用可能な5年ごとの分析を2005〜2020年の間で行い、出生数の減少要因を探る。
続きを読むオリヴィエ・ブランシャール(田代毅訳)『21世紀の財政政策 低金利・高債務下の正しい経済戦略』
原著は2022年刊で、原題は”Fiscal Policy under Low Interest Rates”。自分の世代的には、著者は、マクロ経済学の教科書としてある種「定番」であったスタンレー・フィッシャーとの共著”Lectures on Macro Economics”*1の著者として夙に知られており、同書を通じ、ニューケインジアン・エコノミクス*2への理解が広がった印象を持つ。今でも、世界的なマクロ経済学者の一人とみなすことに疑問を挟む人は少ないものと推察する。
今般の新著は、上記の専門書とは異なり、一部に数式は用いられるものの、より広く読まれることを意図した筆致となっている。世界的に、また歴史的にも(中立)金利*3の低下が続く中、公的債務、財政赤字、財政政策の意義について改めて見直す必要性を指摘する。金利が実効下限制約に達すると、一国経済はいわゆる「流動性の罠」に陥り、名目金利の操作による金融政策の追加的な余地は非常に小さなものとなる。この場合、潜在的な生産力を実現する上で財政政策の役割がより大きなものとなり、またそうした状況では、公的債務のコストは低くベネフィットは大きい可能性が高いとする。
今から15年ほど前、ラインハート=ロゴフ『国家は破綻する』(原題”This Time Is Different”)が、公的債務(対GDP比)が9割を超える国では経済成長率は劇的に減速するとの分析を示し、その主張は大きな影響力を持つことになったが、後にその主張は誤りとされた*4。本書は公的債務の在り方に関し、これとは正反対の方向性を示すものとなっている。
同様の意図を持つ主張として、数年前から盛んに議論されるようになったMMT(Modern Monetary Theory)がある。そこでは、自国通貨建て国債はデフォルトしない*5こと、インフレ率が長期的に安定することを前提に、政府が” Employer of Last Resort”となり、財源に歯止めをかけることなく失業者の雇用を確保することを提唱する。またこれにより政府は賃金の最低限度額を定めることが可能になる。
一方、本書は一般的なマクロ経済学の作法に沿い、モデルを用いた議論を展開する。MMTに関しても注記に記述(p.191)があるが、何度も議論した結果「正確に理解することは困難」であるとし、中立金利が非常に低い場合は同じ見解となるが、高い場合はそうではないとする。ちなみにMMTの主張の中にあるJGP(Job Guarantee Program)は、かつての日本にあった失業対策事業とも類似するが、当該事業には労働政策的性格と社会保障政策的性格を併せ持つという政策割当上の曖昧さがあり、また作業能率の低下や事業への長期滞留など様々な問題に直面したとされている*6。
全体は7章で構成されるが、理論的に重要な意味を持つのは第2章から第5章までであり、特に第4章が本書の白眉である。さらに第6章では、日本のマクロ経済政策と公的債務の持続性に関し、示唆に富む分析が行われている。
*1:https://mitpress.mit.edu/9780262022835/lectures-on-macroeconomics/
*2:世界金融危機以前はマクロ経済学の理論として絶対的な地位にあったと考えられる。
*3:本書では、実質(中立)金利について(
)の記号で表現されるが、ピケティ『21世紀の資本論』等で同記号で用いられる金利とは異なる概念であることが留意されている。本書では特段の言及がない限り、実質リスクフリーレートとして扱われる。
*4:https://www.reuters.com/article/zhaesma01514-idJPTK837324720130418
*5:この点は財務省も同様の見解を示している:https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm
*6:https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBb1150202.pdf
渡辺努『世界インフレの謎』
2022年10月刊。パンデミックとウクライナ戦争のさなか、欧米諸国で生じた世界インフレの原因を探る。2022年2月に始まるウクライナ戦争を契機として、原油、穀物等の供給制約が生じ、コスト・プッシュ型のインフレが生じているが、専門家によるインフレ予想はその1年ほど前から趨勢的に高まっていた。この世界インフレの確たる要因は、現時点において、まだわかっていないが、著者が考える世界インフレの要因は、パンデミック後、人々の生活様式の変化が「同期」し、供給側の変化を通じ、「新たな価格体系」に移行する過程にあるため、というものである。
パンデミックが引き起こした人々の行動変容は、政府の介入効果よりも、情報効果により人々が恐怖心を持つことで生じた。消費は、これまでのトレンドが反転しサービス消費から財の消費にシフト、財の生産が間に合わないことでその価格は上昇する。米国では非労働力人口が急激に増加し、その後も労働市場に戻らない”Great Resignation”ないし“Great Retirement”と呼ばれる現象が生じている。企業においてはパンデミック以前から、地政学的リスクに起因した「脱グローバル化」が生じていたが、この傾向はパンデミック収束後も戻らない。これらパンデミックの「後遺症」による長期トレンドの大きな変化は、突然に生じ、いずれもインフレを高めることに寄与する。