ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

カール・ヒルティ「幸福論(第一部)」(1)

幸福論 (第1部) (岩波文庫)

幸福論 (第1部) (岩波文庫)

仕事の上手な仕方

  • 人を幸福にするのは、仕事の種類ではなく、創造と成功の喜び。この世の最大の不幸は、仕事を持たず、一生の終わりにその成果を見ることのない生活。ただし、どの仕事もみな同じだというわけではなく、社会的不安は、工場労働者によって始めて世に現れた。
  • いつもただ、今日のために働くという習慣をつくるがよい。仕事に没頭するという本当の勤勉を知ると、人の精神は、働き続けてやまないもの。これが、仕事の報酬であり、働く人だけが真に楽しみと休養の味わいを知り得る。

エピクテトス

  • ストア主義は、現世における幸福、万人の幸福は、果たして可能か、またそれはどこから来るか、という問いに対する、必要に迫られた熟慮から生まれたもの。ストア哲学は、美的享楽や実利主義と対立。
  • 我々の力の及ぶものは、我々の意志の所産(判断、努力、欲望、嫌悪など)であり、我々の力の及ばないものは、我々の所為ではない一切のもの(我々の肉体、財産、名誉、官職など)。自分の所有するものを自分のものと思い、他人のものを他人のものと認めると同時に、富貴栄達をも望むならば、・・・幸福と自由とが出てくる唯一の根源(不断の魂の平静)を見失う。
  • 世間の事柄が、自分の欲するままではなく、起こるままに起これと願うことは、人を幸福にする。「きみの息子が死んだなら、それは返したのである」。自由を望む者は、他人の力の内にあるものを求めてはならず、怖れてもならない。さもなければ、彼は他人の奴隷である。
  • 真の哲学も宗教も、利己主義から人を解放することをその目的とする。哲学は、自己の力と理性的反省によって、宗教は他力によって。意志放棄のない信仰は、人間の完成のために全然無価値。人間が意志放棄をする場合、そのたびごとに必ず、我々の説明し得ない人間の本性の不思議な法則に従って、一つの新しい、一層明瞭な認識と確信とが生じる。
  • 物はみな、いちど尺度を超えればもはや限度がない。我々は、衣食を得れば、さらにこれに飽きようとする。
  • ストア主義は不断の骨折りを要する一つの難行であり、人生に対する絶望に人を陥れやすいが、この絶望を少しも間違ったものと考えない。「出口は開いている」(自殺は許される)。他方に賢者たちの誇りがあり、この要求に耐え得ない者に対する軽蔑と無視とがある。これに対して、キリスト教では、救いは歴史的であり、取り消すことのできない人間の意見から独立した純然たる事実に基づく。つまり救いは、この事実の承認であり、信仰であり、これを求めて手をさしのべる者には、万人に等しく必ず与えられる。

どうしたら策略なしに常に悪とたたかいながら世を渡ることができるか

  • (理想主義者に対する)今日の徹底した「現実主義者」は、「生存競争」という野蛮な考えに達する。ここでは、無遠慮と利己主義は許されるばかりでなく、合理的世界観によって、多かれ少なかれ命令されている。よって、安楽に生活ができるのは少数に限られ、多くの者はいやでも不幸な生活を送らざるを得ないのは、余儀ないことであり、このような世界秩序がすべての人々に公平な良い秩序であるかどうかは、初めから問題にならない。
  •  

良い習慣

  • 人間の想像力は、苦痛の持続を、実際よりもずっと大きく、そして長く想像する。我々は、我々自身のため習慣的に、全ての人々を愛するように努めなければならない。憎まねばならぬのはどこまでも物であって、人間ではない。

この世の子らは光の子らよりも利口である

  • いわゆる「光」が世渡りの知恵にまさる点はどこにあるか。それは第1に、それによって心理を得、そのために精神の完全な平和を得ること。大切なことは、何らかの財宝を所有することではなく、所有することによって、人が幸福を感ずるかどうか(手段か目的か)。
  • 第2の利益は、このような「真理の霊」のみが、よく世界の真実の法則と一致すること。彼らは、良心の不安なしに生活することができる。真理、幸福、そして恐怖も心配もないこと。

時間のつくり方

  • 時間が余るほどないということは、地上の上で到達しうる幸福の最も重要な要素。人間の幸福の最大部分は、絶えず続けられる仕事と、これに基づく祝福からなる。野心によって、うわべだけの成功をみたがる人生観に従えば、生存競争が命ずることを短い年月の中で成し遂げなければならず、落ち着いた幸福な仕事はあり得ない。

幸福

  • 大きな財産、名誉や権力は、およそ幸福とは正反対の心情の硬化を招く。人生において耐え難いのは、悪天候の連続ではなく、かえって雲のない日の連続である。誰でも、人生の正路を行こうとする者はみな、一切の偶像を容赦なく棄てねばならない。家柄、境遇、習慣などによって得た偏見を棄てることは、真の幸福への第一歩。
  • 愛は元来、神性の一部であって、人間の心には生まれない。
  • 幸福の絶対欠くことのできない条件は、倫理的世界秩序に対する堅い信仰であり、これを教理化することはできない。世間に対していつも満足していられる最上の方法は、世間から多くを期待せず、世間を怖れぬこと。世間に善を認め、悪を無力なもの、やがては自滅するものとみること。
  • 不幸は人間の生活につきものであり、不幸は幸福のために必要。幸福は、「ゆくての道に横たわる獅子」であり、たいていの人はこれを一目見て引き返し、幸福に劣る何ものかで満足する。しかし、人間の想像力は、はるかに現実の先を超すもので、想像があらかじめ描くほど実際の苦痛が大きいことは滅多にない。真理に対する愛と、正義に対する勇気が、教育の基柱。

人間とは何か、どこから来て、どこへ行くのか、金色に輝く星のかなたにはだれが住むのか

  • 抽象的哲学は、「存在」をも「生成」をも満足に説明することができず、ましてこれら二つの概念を結びつけ、一つの統一的な原理から解明することもできない。一切の存在と生成には、人間の知識の近づき得ない根源を仮定するほかない。
  • 一切の存在および根源としての神は、説明することも証明することもできず、またそうすべきものでもない。人生の幸福は、神の世界秩序との内的一致であり、こうした神の近くにあるという感情であり、不幸は神に背くことであり、絶えざる内心の不安であり、生涯の終わりに何の収穫も残さないことである。
  • 信仰による精神的健康と、社会の健康−−このような世界観によってのみ、大規模な正義と平和が総じて可能になる。さもなくば、生存競争と国家的利己主義の自然的横行が避けがたい。無神論者は、大概、絶対的な国家主義の信奉者。崇高な倫理的世界秩序に対する各個人の、やがては世界の全民族の、自由意志による従順こそは、世界史の目的であり目標。人類の唯一の真実の進歩は、必ず歴史的に、すなわち生活そのものによって、達成されるのであり、決して哲学的に、単なる思考によってなされ得るものではない。