河野龍太郎『日本経済の死角』(ちくま新書)
2025年2月刊。日本の賃金・消費停滞の原因を「制度的補完性」と「合成の誤謬」から解き明かす。青木昌彦の提唱した「制度的補完性」は、メインバンク制や長期雇用等のサブシステムが、日本の経済システムの最適な均衡を形作ることを説明し、その下では、雇用維持を図るため、健全で安定した経営が確立する。しかし近年は、企業の利益準備金は積み上がる一方、実質賃金は伸び悩み、実質消費も弱い状況が継続している。
濱口(2024)*1は、日本の賃上げのしくみを「上げなくても上がるから上げないので上がらない賃金」と読み解く。この「上がるから」の部分は、日本の賃上げに内在する定期昇給の仕組みを意味する。前エントリーにも記載の通り、入職後、企業に継続して勤める労働者にとって、仮にベースアップ(平均賃金の上昇)が低かったとしても、定期昇給分を含めれば足許(2023年)で4%程度の賃上げとなり、消費者物価の上昇率(総合で3.2%)を超える実感を持つ。
しかし定期昇給は、雇用者の4割近くを占める非正規雇用者、賃金制度が確立していない中小零細企業就業者に恩恵がなく、それにも増して、いまの若い世代は、そもそも長期雇用を期待していない。もはや「定期昇給があるからよい」といえる時代ではないのである。
このように、近年の賃金停滞の背景には、日本の長期雇用制度の下での賃上げの仕組みがあるが、一方で生産性は上昇、「実質ゼロベア」により抑制された分は資本蓄積、対外投資、役員報酬増額につながったと本書は指摘する。また同時に、これが高齢者の継続雇用や女性の就業増加等ワークシェアの原資となった可能性も指摘する*2。
 ここまでの議論は、日本の「制度的補完性」の下、企業経営の健全性を過度に志向することで「合成の誤謬」が生じたことを表すものである。その処方箋として、現在、コーポレートガバナンス改革が進行中である。しかし本書後半のコーポレートガバナンスに関する議論は、前半の議論とやや趣が異なる。
 日本の経営は、今後、米国のようにROEの高い経営を目指すのか、あるいはROEは低くても財務健全性が高く安定した経営を続けるのか。これまでの日本の「制度的補完性」の下では、後者と長期雇用、メインバンク制の組合せが均衡解であった。しかし、その維持はもはや困難との見方から、東証(経産省)主導の経営改革、働き方・労働市場改革等の一連の(不可逆的な)流れが生じている。私見では、氷河期世代が労働市場から退出する頃には、長期雇用のほか、使用者の広範な指揮命令権を含めた、いわゆる日本的雇用慣行の終焉は、少なくともその兆しははっきりしているように思える。
 これに対し、著者は欧州型の労働者が参加する企業経営を理想とする。個人的な理解では、適度な(現状程度の)労働生産性の下、労働分配率を高める方向性、ということになる。実際、著者の株主や企業経営者に対する見方は手厳しい*3。
 役員報酬増額について指摘する箇所では、つぎのように述べている。
ゼロベアの下、人件費を抑え込むことに成功した多くの大企業では、コーポレートガバナンス改革よろしく、その努力に報いるため経営層の報酬は、欧米ほどではないにしても大きく増えたのもまた事実です。[p.90]
読後の違和感
 本書の読後に残るモヤモヤとした違和感について考えたい。これは、著者の想定するモデルには一般均衡メカニズムが効いていないのではないか、との疑問からくる。実質賃金が低い(資本のレンタルコストが相対的に高い)のであれば、雇用が増え、資本装備率が抑制されるため労働生産性は停滞するはずである。実際、2010年代後半から就業意欲喪失効果は大幅に縮小し就業率が高まった。著者が最初に指摘した国際比較による日本の労働生産性変化率(マンアワー)の高さは、あくまで相対的な比較による*4。
 また、短観加重平均DIを基に第4章で指摘するように、2010年代半ばに需給ギャップが解消したとすれば、なぜ当時の失業率は高く賃金も低いままだったのか*5。消費者物価も、当時は、現在のような曲率変化を伴う上昇傾向はみられない。
 一方、「実質賃金が高まれば実質消費も高まる」との因果についてはナイーブである。賃金の抑制は、高齢者の継続雇用や女性の就業増加等ワークシェアの原資にもつながったことを指摘するが、世帯単位でみれば、その分は賃金抑制の補填となったはずである。それは家計消費にもつながり得る。しかし実際のところ、実質賃金停滞と並行して実質消費も停滞しており、著者もそのことを認めている。さらに、著者の主張する「社会連帯税」の導入は、期待経路で実質消費の抑制を更に進めるのではないか。
 今後、当面は労働が相対的に希少化する一方、AIやDXの進展により、アイデア創出に関わる一部の労働を除き、生産への労働の寄与は消失してしまう(ほとんどの労働者は年金生活者となる)可能性も捨て切れない、というのが一般的な認識からくる帰結である。この一種のディストピアにおいて、格差は拡大する。
 一方で、AIやDXの進展は労働と補完的であるとの見方も、特にマクロ経済学の中では主流になりつつあるように見える。当面は、このような議論の行く先を見定めることになるだろう。
*1:濱口桂一郎(2024) 『賃上げとは何か』(朝日新書)
*2:前者について、当該原資を現役就業世帯の賃金抑制分と考えれば、年金制度(社会補償基金)から高齢者世帯の移転を、現役就業世帯から高齢者世帯の移転に切り替えた、とみることも可能である。
*3:株主が配当利回りを望むのは当然であるが、あまりにも配当性向が高ければ手放すし、労働力の希少性が高まれば、むしろ人的投資の拡充を望むであろう。また、機関投資家がアクティビストに議決権行使を丸投げすることが、フィデューシャリー・デューティーに反するようには思えない。
*4:ただし、日本企業が労働生産性と実質賃金の「差分」を内部に留め、財務健全性を高めたことは事実だろう。
*5:短観加重平均DIはアベノミクス開始時前後で需給ギャップが解消したように見える。その後に生じた女性・高齢者の労働力率上昇を予測不可能な構造的要因と考えるならば、2010年代半ばには需給ギャップ解消した、との指摘も(少なくともその時点では)成立し得る。
