備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

桜井信一『下剋上受験 両親は中卒、それでも娘は最難関中学を目指した!』

下剋上受験-両親は中卒 それでも娘は最難関中学を目指した!

下剋上受験-両親は中卒 それでも娘は最難関中学を目指した!

 本書は、最近、フジテレビ『Mr.サンデー』で取り上げられ、大きな反響を呼んだようである。私自身は、中学受験を控えた子を持っており、この本の存在は以前から知っていた。ただし、ネットなどで目にする評判は必ずしも良いものばかりではなく、特に、「事実かどうか」についての懐疑的な記述を目にすることが多かった。この点に関しては、本書のあとがきによれば、版元の産経新聞出版にすべての証拠書類を提出し、確認してもらっているとのことである。しかしそれはそれとして、本書を読むと、これが事実であることを確信せざるを得なくなる。正直にいうと、本書を読む前、あるいは前述の『Mr.サンデー』をみた後でも、その内容に期待するわけでは全くなかった。しかし、読み進めるうちに、その筆力に圧倒された。これは、学者がその知識の表層部分でなぞったような専門書もどき(自分が読むことが最も多いジャンル)では感じることのできない、「一世一代」の作品である。恐らく、この著者がこれから数年後、同じように大学受験の奮闘記を書いたとしても、これだけの作品に仕上がることはないだろう。何がこの著者をこのような行動に走らせ、このような書物を書かせることになったのか。それはもはや、怨念と呼ぶほかないものである。

 さて、この本は、娘を首都圏私立女子中学の最高峰、桜䕃中学に入学させるため奮闘した「父親の」物語である。「父親の」と書いたのは、あくまで娘の話を書いたものではなく、父親自身の姿と思いを描いた物語だからである。特に、その前半部分を読めばわかるが、本書からは、その主人公であるべき娘の姿形すら現れてこない。娘の人格は、受験を直前に迎え、そして受験が終了した後に、父親との会話を通じて初めて現れる。娘以外の登場人物は、「敵」である妻と、トリックスターのように現れる家庭教師、医師、弁護士、学校の先生くらいなものである。それ以外に本書の中にあるのは、あくまでこの父親の内面世界である。
 また、この本のあらすじは、中卒である父親が、家系の「流路」を変えるために自らが「人柱」になり、すべての犠牲を受け入れた上で、娘の中学受験に奮闘する物語(娘と一緒に、自らも中学受験を体験する物語)ということになるだろう。最後は、うつ病になって薬を飲むことにもなる。ただしこの点については、受験勉強そのものが根本原因ではなく、本書の中で何度も描かれるように、自らの人生を後悔し、皆が寝静まった夜中ひとり涙する姿の中にその要因をみることができる。そう、本書の中で本当に描かれているのは、「地頭」がよいにもかかわらず結果的に中卒という学歴のままに終わった人間の怨念の姿である。先日見かけたtwitterのタイムラインにつぎのようなものがあった。

頭が良くても境遇が悪いと、その分つらいだけだと思う。(@finalvent

 本書にあるのは、そのつらさが怨念にまで昇華した姿である。ただし、このような思いをするのは、別に中卒だからというわけでもない。だからこそ、本書は、(自分を含めて)同年代の子を持つ親の思いを代弁しているように感じられ、(この出版不況の中、)書店で平積みされるまでに人の気を引くものになったのだろう。本書の著者は1968年生まれ。同世代では、恐らくほとんどが高校に進学したであろうが、その先まで進学したのは3割程度である。いまのように、高卒者の半分以上が4年制大学に進む時代ではない。いまの時代、一定以上の規模の会社に入社してくるのはほとんどが大卒者であろうが、40代半ばの社員の人事記録をみれば、大卒者はまれであろう。
 しかし、この40代半ばの世代は、中卒ではなくとも、これから同じような思いをする可能性が高い。入社時には、4年制大学の卒業者は会社全体で1割未満だったかもしれない。しかし、今になって振り返ると、周囲に残っているのはほとんどが大卒。しかも日本経済のパイは増えず、会社の規模は変わらない。かつて考えていたような未来が約束されたものではないことに気付くには遅すぎる。つまり、「流路」を変えたいという思いは、別に学歴には関係なくもつものなのだ。いまや、中学受験偏差値の上位層の希望を聞けば、ほとんどが将来、国公立医学部(医学科)にいきたいと答える。明らかに親の影響である。
 この本の中の印象的な場面として、父親が娘に対し、これからの人生の流れを図に書いて説明するところがある。この先数年間の努力で、その後の長い人生が約束される。ぶっちゃけ、というか身も蓋もない言い方で、人生は「学歴」しだいだと教え込んでいる。実際、社会人になってから国公立医学部に入り直すことなど極めて希である以上、それはおおむね事実である。また、「仕事に貴賤はない」という言葉の木で鼻をくくったような取り上げ方をみても、著者の確信が感じられる。ポリティカル・コレクトネスに満ちた社会的文脈からは得られない教訓である。同時に、自分も「お金があれば幸福になれるわけではないが、少なくとも、不幸になる確率を小さくしてくれる」といった言い方で拝金主義を肯定することがあるが、同じような「保険」のかけ方は、この著者も取り入れている。

 本書には、また別の有用な読み方ができる側面がある。実体験を踏まえているだけに、とても役に立つ中学受験のブックリストになっており、これから受験を目指す3〜4年生を持つ親にとってはそれなりのメリットがある。また、「インターエデュ」掲示板についての記述には、結構、笑わせるものがある。(個人的には、情報収集をしたり、気持ちのはけ口を見出すという点で、この掲示板が効用を持つものであることを否定するわけではない。)
 一方で、必ずしも明示的に記述されているわけではないが、わかる人にはわかると思うが、この著者は四谷大塚の受験メソッドに対し否定的である一方、サピックス小学部についてはとても好意的である。特に、四谷大塚の「予習シリーズ」が取り入れている「スパイラル学習」は、どの学年からでも仕切り直しができ、それは顧客対策として導入されたものだとみなしているのは、まあ一理あるかもしれないが、実際にそのメリットを享受してきた立場からすれば行き過ぎだといわざるを得ない。ただ確かに、四谷大塚やその提携塾では、入塾時の間口は広く、結構調子のよい説明を聞かされる。一方、サピックス小学部は入塾時の選抜がそれなりにあり、各種試験の偏差値の低さ(=母集団全体のレベルの高さ)にそれが現れている。四谷大塚の本年度の桜蔭中学合格者数は、提携塾を含めて55人、四谷大塚の提携塾である早稲田アカデミーの合格者数は50人である。ただし、早稲田アカデミーの合格者数には、本科生の他、志望校別選抜コース(NN)、土曜特訓、個別などで取り込んだ他塾生が含まれる。50人の中にどれだけの他塾生が含まれているかは公表されておらず、ネットにはそのいわゆる「水増し」部分が殆んどだといったような極端な意見もあるが、実際のところは20人前後ではないかと思われる。いずれにしても、四谷大塚の桜陰中学合格者数は多く見積もっても20人台であり、サピックス小学部の合格者数168人には大きく水を開けられている。個人的には、四谷大塚は、教材開発の必要性から塾も併設しているというのが実際で、実体はフランチャイズのようなものなんだろうと思っている。

 もうひとつ、子供を通塾させなかった著者には見えずらいかもしれないが、本書の中で概念化されているような「エリート」とは、それが作り上げられる段階からそれほど楽なものではない。「全国区」で勝負することになれば、まさに、正規分布のテール部分の層の中で競争することになる。より中心に近い層では、1点2点の中に何十人かの塊ができるが、テール部分での競争は、一歩前の人間との間でもかなりの差を感じることになる。最上位の人間(=天才)にはなれず、その数歩前でそれを追いかけるのが「エリート」の競争であり、テストのたびにかなわぬ相手に打ちのめされ、「クラス落ち」におびえる毎日を送るのである。本書に描かれる、後ろを振り返らず、社会のために役立っている「エリート」とは、そんな風にして作り上げられてきたのではないだろうか。