備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

オリヴィエ・ブランシャール「持続可能な欧州社会経済モデルは存在するか?」(2)

※追記を追加しました。(09/05/26)

(前回のエントリー)

 下記の論文(講演録)翻訳の続きです。*1

(追記)

 通常であれば、この論文の解題および日本経済への含意について整理したいところですが、せっかくですので、読者の方それぞれに考えていただけたら幸いです。あり得べき議論について、自分なりに補助線を引くと、次のようなものになります。

  • 欧州モデルが備えるべき「3つの支柱」とその意味、また、それぞれの視点からみた欧州経済の現状と課題。
  • 日本の雇用政策の現状と課題(特に、基金の側面から)。
  • ハローワークの民営化に関する現在の議論と、ブランシャールの議論を踏まえて考え得るその問題点(特に、技能形成の側面から)。
  • 最低賃金所得再分配の目的に使うべきではない、とすることについてのブランシャールの意図。また、日本の最低賃金に係る議論の現状と問題点。
  • 積極的なマクロ経済政策という視点からみたユーロ圏と日本の比較、金融政策と賃金調整の違い(特に、所得再分配の側面から)。
  • 日本の労働市場における、労使間の「信頼」と完全失業率との関係。また、入職抑制や非正規雇用の増加にみられる日本の労使関係の課題。

(以上)

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2 課題と懸念

2.1. 欧州における生産性成長率の鈍化

 欧州における生産性成長率は、1990年代半ば以来、とても低いものとなっています。下の表(Groningen大学の研究者の仕事に基づく)は、米国、EU-15(最近のEU拡大前の15の加盟国)とオランダの、1980年以降の全要素生産性(TFP; Total factor productivity)成長率をみたものです。ここから、2つの結論が導かれます。

 1990年代半ばまでは、TFP成長率は、米国よりも欧州において高くなっています。しかしながら、それ以降、生産性成長率は米国では高まり、欧州では低下しています。そして現在では、欧州のTFP成長率は、米国よりもかなり低いものになっています。
 欧州モデルの終わりを表すものとして、これらの数値を引用する者もおります。このような議論は多くみられます:「硬直性」[Rigidities]は、欧州企業にとって、調整を困難なものとし、再配置と成長を不可能にする、と。労働時間の短さ(「怠惰な欧州の人々」)は、低い生産性へと言い換えられる、などなどです。これらの議論のほとんどは、明らかに的を外したものです。第1に、欧州が技術的なフロンティアに達するにつれ、生産性成長率の低下を経験する、というのは自然なことです。第2に、「硬直性」は明らかに1995年以前に現れたもので、生産性がほぼ米国のレベルにまで収斂することを阻むものではありません。第3に、与えられた生産性の範囲の中で、短い労働時間は、労働者一人あたりの賃金の低さを意味します;このことは、生産性成長率に対する明確な含意を持つものではありません。
 現実は、まだ気がかりなものです。これらの原因の理解を促進するために、より部分的に事実をみる必要があり、欧州では米国と比較し、どのセクターが好調で、どのセクターが不調であるのかをみつけ出さなければなりません。ここでまた、Groningen大学のチームにより、超人的な仕事が行われてきました。私は、その結論を次のように読みます:

 全体的にみて、生産性成長率の問題を示す証拠はありません。例えば、製造業では、生産性成長率が鈍化している期間(米国へのキャッチアップの結果によるものと推定される)、米国のそれよりも高い水準が維持されています。その代わりに、大西洋の両側での成果の違いは、算術的見地からみて、卸売、小売業、金融サービス業の3つのセクターに生じたことに、そのほとんどを帰着させることができます。
 金融サービス業の生産性を計測することの困難から、このセクターの生産性統計については、懐疑的であるべきでしょう。小売業における生産性を計測することも、同様に困難ですが、欧州と米国の小売業における生産性成長率の数値の違いはあまりにも大きく、これら二大陸の何か本来の違いを反映しているのでしょう。
 小売業はIT(information technologies)のヘビーユーザーであるため、多くの観測筋は、その違いの源泉を、ITの活用からくるものとみなしています。米国企業は、欧州企業よりも、ITをうまく活用してきた、と議論は進みます。私は、これには懐疑的です。私には、多くの違いの背後には、競争の制限があると考える傾向があります。先に述べたFoster et al[2002]は、米国の小売業における生産性成長率のほとんどすべては、非効率な店舗を、より効率的な店舗に置き換えることによるもの(いわゆる「ウォールマート」革命)、としています。欧州における同様の研究はありませんが、都市計画その他の規制が、店舗の移動率の低さを生じさせたとする豊富な証拠があります;これは明らかに、低い生産性成長率を説明する有力な候補でしょう。
 端的にいって、欧州モデルにとって本質的な深い構造問題が、先の10年間における欧州の貧弱な生産性成長率の背後にあるとする強力な証拠はありません。同時に、小売業のスローダウンについてのもっともらしい説明(つまり、既存の事業所の保護)は、優れた意図を持つ政策の効率費用に関するよい事例を提供します。欧州各国の政府にとって、中心市街地の質を保つことは、正当化できるものです。しかし、その費用は無視され得るものではなく、その結果として、欧州は、永久的な低い生産性(永久的な低い生産性成長率というわけではないが)を受け入れなければならなかったのでしょう。

2.2. 労働市場慣行は移植可能か?

 先に論じたように、どの国も完全ではないが、オランダやデンマークのモデルは、私が考える経済社会モデルの多くの性格を体現しています。しかし、あからさまにいって、フランスやイタリアが、オランダやデンマークの慣行を導入しようとすれば、それは、同様に機能し得るでしょうか?それが疑われるのももっともです。ここで、2つの実証的な証拠を紹介します:

 一つは、上のグラフに要約されている、OECD諸国における次の質問に対する答えの平均です(世界価値観調査[the World Value Survey]より)。「あなたに権利のない給付金を要求することは、正当化できますか?(決してできない=1、その他の回答=0)」結論は明らかです:国ごとに大きな違いがあり、デンマークとオランダのスコアはたいへん高く、フランスとギリシャのスコアはたいへん低いものです。失業給付のシステムが、これら4つの国々において同様に機能することは、決して明らかではありません。言い換えれば、(失業)保険と(仕事の)探索努力のあいだのトレード・オフは急勾配[steeper]であるため、保険の効率費用は、デンマークやオランダよりも、フランスやギリシャで高いものであると思われます。

 二つめは、もっと間接的ですが、同じように一般的な可能性があるものです。これは、Thomas Philliponと書いたわたしの論文[2005]*2から取り上げます。そこでは、OECD諸国における、ビジネスと労働の間の信頼度(1990年代の世界価値観調査の企業調査の回答に基づく)と、1965年以降のさまざまな10年間における完全失業率が示されています。ふたたび、その結論は明らかです:高い信頼度を持つ国々では、完全失業率の上昇は小さなものです。この相関関係は、労働市場制度による既存の政策をコントロールしても、維持されます。わたしはこの事実から、形式的な制度の設計の良さ、ということ以上の成功を読み取りました。特に、労働市場については、計測することが簡単ではない─また、それを修正することも簡単ではない─「信頼」のような要素、そして労使関係の質が重要です。デンマークやオランダの制度を導入することが、デンマークやオランダの完全失業率を実現することにはならないでしょう。あるいは、脚光を浴びているような、優れた欧州社会経済モデルの設計は、形式的な制度の導入以上の含意を持つわけではありません。それは、労使関係の間の信頼の発展と、よい労使関係を必要とします。そしてこのことは、私の最後のトピックへと自然に導かれます。

2.3. ユーロ、マクロ経済政策と賃金調整

 ユーロは、現実に存在するプロジェクトです。しかし、ユーロへの参加が国のマクロ経済政策に厳しい制約を課すことについては、そこでは問題外です。つまり、財政政策だけが残り、金融政策と通貨政策が喪失するのです。ユーロは、それだけの価値があるのでしょうか?何年も前に、マンデルは基本的な答えを出しています。共通通貨圏に参加する国々にとってのコストがより小さなものであり、ある国に特有のショックの大きさがより限定的であるためには、国際的な労働移動が大きく、それぞれの国の中で賃金がより柔軟である必要があります。
 明らかにいえることは、今日の欧州は、これらの条件を満たすことに、はるかに及ばないということです。その結果は、特有のショックを受ける国が交互に不況に陥ることの連続であり、長く厳しい調整過程が進むことです。ドイツの再統合は、にわかな好況と賞賛[real appreciation]をもたらしましたが、その後は不況となり、そこから浮上するのに、最善の10年間を必要としました。ポルトガルでは、ユーロへの期待からくる需要ブームにより、同じようなシナリオが導かれました:1990年代末におけるブームと賞賛は、2000年代における競争力の低下、大きな経常赤字と成長の停滞に転じました。そしてそこから抜け出すため、長い年月にわたって、競合国よりも低い名目賃金成長率と、競合国よりも大きな生産性成長率を成し遂げました。いずれも、実現することは簡単ではありません:他のユーロ参加国において、低い名目賃金成長率を達成するには、恐らく、最初にマイナスの名目賃金成長率が要求されるでしょうが、最善の環境の中でそれを達成するのは困難です。そして、ポルトガルには生産性を改善する豊富な余地があるなかで、経済が不況にあるときに、必要な改革を売り込み、それを導入することには政治的な困難さがありました。私は、別の場所で(Branchard[2006])、ポルトガルは、さらに数年間、低い成長率と経常赤字が続くというもっとも考え得る予測について論じています。
 続けましょう。イタリアもまた同じような苦境にあり、定常的に、競争力の低下と、小さな賃金調整が続いています。スペインでは、国内需要は定常的に成長していますが、経常赤字はたいへん大きく、そう遠くない将来において、同じような問題に直面することになるでしょう。しかしながら、私の論点は、ユーロを非難することや、見捨てることではなく、考え得る政策を設計し、ユーロ参加国に「欧州モデル」を実現することにあります。私は、そうした考え得る政策を2つみましたが、いずれも、今日、あまり強調されておりません。金融政策の不在と名目為替レートの活用のため、ユーロ参加国は、2つのツールの活用で調整しなければなりません。財政政策と、名目賃金調整です。双方とも、積極的に活用される必要があります:いずれかによるか、またはこれらのコンビネーションによるかは、国内または国外需要の調整の必要性に依存します。しかし、最終的な結論は、双方が必須であるということです。
 これは、マクロ経済政策のツールとしての財政政策の積極的活用ということへの回帰を意味します。そして、私の議論におけるさらに重要なことは、参加国は、競争力を維持するために、名目賃金を調整する能力を持つ必要があるということです。これは、賃上げか、またはイタリアやポルトガルのように賃下げか、という意味を含んでいます。もしポルトガルが、一夜のうちに名目賃金を10%ないし20%カットすると(これは、国内物価も同様に下方調整を受けるため、実質賃金のより小さな削減を意味します)、かなり大きな経常赤字が削減され、高い失業率の年月を耐えることなく、成長への再スタートを切ることができるでしょう。
 このような調整は実行可能でしょうか?調整問題のため、もし、中央の、恐らく国レベルの労使の集団交渉に耐えることができれば、実行する─少なくとも、すばやく実行する─ことができるだろうと信じます。(ワッセナー合意を考えよ;オランダ経済社会評議会について思いをはせよ…)しかし、このことは次に、労働者を代表して交渉することが可能な代表的労働組合の存在を必要とします。これらのすべて─代表的労働組合と、組合と企業の間の継続的な対話と、積極的な財政政策の必要性のために用意された中央交渉の構造─は、時勢の流れに逆流するものです。しかしながら、それなくして、欧州モデルは3つめの支柱を失うことになるでしょう。3つめの支柱なくして、それは貧弱にしか機能せず、そして恐らく最初の2つの支柱をも排除することにつながるでしょう。これが、私の将来に対する主要な懸念です。

(参考文献)

  • Blanchard, Olivier[2006], “Adjustment within the Euro; the difficult case of Portugal”, mimeo MIT.
  • Blanchard, Olivier and Thomas Philippon[2004], ”The quality of labor relations and unemployment”, NBER working paper 10590.
  • Cahuc, Pierre and Yann Algan[2005], ”Civic attitudes and the design of labor market institutions: Which countries can implement the Danish Flexisecurity model? ”, mimeo Paris I, September.
  • Foster, Lucia, John Haltiwanger, and C.J. Krizan[2002], “The link between aggregate and micro productivity growth; Evidence from retail trade”, NBER working paper 9120.
  • Timmer, Marcel, Gerard Ypma, and Bart van Ark[2003], “IT in the Euro-pean Union: Driving Productivity Divergence?”, Research Memorandum GD-67, Groningen Growth and Development Centre, October.

(了)

*1:著作権上の問題等が判明すれば、友人限定のmixiに移行する予定です。

*2:訳注 [2004]の誤りか。