ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

東浩紀「動物化するポストモダン オタクから見た日本社会」

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

オタク系文化の「構造」

 日本における(狭義の)ポストモダンを「70年代以降の文化的世界」とし、その中にオタク系文化を位置づける。また、オタク系文化の背後に敗戦という心的外傷の存在を見出し、それは、高度経済成長期の国家的な欲望を反映するものだとする。このように、オタク系文化を生んだ時代背景を思い切りよく設定した上で、その構造を、表層にある「主人公の小さな物語」とデータベース化された(萌え)要素という「大きな非物語」の解離的な共存という姿に捉えている。
 ところで、ここでいう「動物」とは、コジェーヴが戦後米国の消費者にみたもので、ヘーゲルの「人間」概念との関係において規定されたものである。ヘーゲルによれば、人間が人間的であるためには、与えられた環境を否定する行動がなければならない。これに対し、「動物」は常に自然と調和して生きる。他方で、コジェーヴが日本にみた「スノビズム」は、たとえそこに否定の契機がなかったとしても、あえて形式的な対立を作りだし、その対立を楽しみ愛でるような姿である。
 スノビズムについては、日本では95年に時代精神としての役割を終え、今は「データベース消費」という「動物化」の時代にあるという。「データベース消費」とは、作品そのもの、あるいはその背後にある世界観を「消費」するのではなく、キャラクターそのもの、あるいはそれを包含するデータベースを消費することを表す言葉であるが、他人の欲望を欲望するというような間主体的な構造がそこにはなく、各人は「欠乏−満足」の回路の中に閉じこもる。
 このように、本書は文化論のレベルから、ポストモダンという時代区分をオタク系文化というマテリアルを通して思い切りよく捉えているところに魅力があるが、その一方で、政治・経済といった社会の実体面、あるいはメインカルチャー的なものがその文脈にどのように関係してくるのかについては、「思い切りよく」捨象されているとも言える。

「近代の可能性」という視点からの批判

 稲葉振一郎「モダンのクールダウン」では、東のオタク系文化論がほぼ全体にわたって参照され、強く意識されている。

モダンのクールダウン (片隅の啓蒙)

モダンのクールダウン (片隅の啓蒙)

 まず、東がポストモダンを肯定的・積極的な言葉で捉えた点を評価する一方で、そこにいくつかの疑問があるとし、(1)話がモダン対ポストモダンの構図の中で終始していて、プレモダン、伝統社会のことが射程に入っていないこと、(2)フィクション、虚構の水準に終始しており、そうした虚構を使って(消費して)人々が(現実に)何をするのか、しているのか、についての積極的な議論が十分に展開されていないこと、(3)「データベース」が如何にして生成されるのか、についての説明も積極的にはないこと、の3点を指摘している。
 また、東の「キャラ萌え」はシニシズムであり、無意味なものに無意味さを知りながらあえて強烈にコミットする、という身振りであるが、そのような「キャラ萌え」に対する東自身の評価は曖昧であるという。「キャラ萌え」とは、まさに大塚英志が危惧する「動員」への準備態勢の徴候に他ならず、「テーマパーク」に囲い込まれて現実に無関心となり、現実からの力に無抵抗に振り回され、あるいは黙認・追認しかできない、無力な「動物化」された主体の手法に他ならない。その一方、本田透が、「脳内恋愛」をむしろ一種の抵抗の作法として考えている点を評価している。