備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ポール・クルーグマン「格差はつくられた 保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略」

格差はつくられた―保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略

格差はつくられた―保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略

 1980年代以降、急速に拡大する米国の所得格差について、本書では、技術革新は、格差拡大の要因であるとする直接的証拠に乏しいとし、その主たる要因は、政治的、あるいは制度的なものであったと指摘します。これは、米国の格差が「人為的に」つくられたものであるということを、より強調する視点であるといえるでしょう。
 ルーズヴェルト大統領の時代をはさみ、それ以前からの政治的ムーブメントを歴史的に捉えるなかで、ニューディール政策によってもたらされた「大圧縮の時代」と、それ以後の米国の中産階級にとっての恵まれた時代は、その時代の米国に特有のものであり、所得格差を考える上で政治的、あるいは制度的な要因が重要であることの、ひとつの証左であるとみることができます。所得格差の拡大に先行して、米国では「保守派ムーブメント」の台頭があり、それを代表する政治家として、ロナルド・レーガンの名をあげられます。本書の主たる批判対象であり、ときに口汚く罵られる*1のが、この「保守派ムーブメント」であり、それが共和党政治と結びつけられているところに、その政治性があらわれています。
 「保守派ムーブメント」は、2006年の下院選挙を境にかげりがみられるようになります。そして、そのながれは、2008年の大統領選挙にもつながっていると考えられますが、その背景にある要因を、本書では、米国における人口構成上の変化、つまり、ヒスパニックや移民の増加と、これまで、このムーブメントを支えるひとつの源泉となってきた、白人層の差別意識が薄れてきたことにあるとみているのです。米国の格差が、本書が指摘するような、政治的、あるいは制度的な要因によるものであるとするならば、人口構成上の変化に従い、今後は、米国の所得格差は、しだいに縮小する方向へと向かうことになるのでしょう。

高齢者の「強欲」

 では、日本の場合を考えると、どのようなことがいえるのでしょうか。日本では、米国のような深刻な人種問題は、これまでのところ生じていませんが、人種とは異なる別の人口構成上の変化は、実は生じているのだということができます。これは、我が国に限りませんが、社会全体が高齢化してくるにしたがい、有権者に占める高齢者の割合は高まることになります。もし、政治的、あるいは制度的な要因が社会の中で大きな影響と持つとすれば、このことは、高齢者に対して負担を強いるような制度改正を実施することが、政治的に難しくなることを意味します。高齢者に高い負担を強いる制度改正として真っ先に思いつくのは、2004年に小泉政権下で成立した年金制度改革です。一方、高齢層を優遇するような制度改正としては、利子・配当課税の緩和、金融政策の引き締め、などが思いつきます(なぜなら、我が国の金融資産の多くを保有するのが、高齢者であるため)。これらは、勤労世帯や若年層の利害と明確に対立する政策的なポイントであるといえます。これらの点について、現状をどうみるかは論者によって異なるのかも知れませんが、少なくともわたしには、政治的には、次第に高齢者に不利な制度変更を実現することが難しくなってきているように感じられるところです。
 クルーグマンのように、政治的、あるいは制度的な要因を重視する立場に立てば、米国は今後、豊かな中産階級を有する格差の小さな社会に向かうことになるのでしょう。その反対に、日本は、豊富な資産を持つ高齢者や、それを遺産として受け継ぐ二世世代と、マクロ経済政策的にしいたげられた勤労者世帯の間の資産格差が広がり、その結果、これまで指摘されてきたようなものとは次元の異なる格差が存在する社会へと向かう、といえるのかも知れません。

(参考エントリー)

 なお、原田泰氏は、上のコラムにおいて、次のような指摘を行っています。

 もし、今、消費税を引き上げるなら、その税収は、家族対策に使うべきだ。その理由は、第1に、すでに高齢者への社会保障支出は、ヨーロッパの福祉国家を上回っているからである。第2に、家族対策に使って子供が増えれば、将来の担税力が増すことになるからだ。第3に、子供が増えなくても、今の子供のために使えば、将来、彼らに税を課すとしても、まだ公平になるからだ。

 ほかに、以前、以下のコラムをとりあげたことがあります。

*1:例えば、「他人の性生活に対する異常な興味」は、このムーブメントの強い関心事だと書かれている(p.72)。