備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

思考実験:デフレ下の所得維持は重要である

※注記を追加しました。(11/26/09、12/02/09)また、不必要な留保を削除する等文章を修正しました。(11/27/09)

 デフレ下において、いち早く所得維持の重要性を指摘したのがロナルド・ドーアである。

 もう1つの「合成の誤謬」は賃金カットである。市場不振、業績悪化への対応として、そして実質賃金の上昇への反応として、賃金コストを削減しようとすることは、各企業の立場からいうと合理的だが、経済全体の観点からみれば、デフレ・スパイラルを加速するだけである。経団連がメンバー企業に呼びかけて、今年の春闘で一斉に3%の賃上げをしようと提案したらどうだろう。それを実行できたとしたら、国内市場で競争している競争相手が全部同じコスト・アップを経験して、その分消費者物価を上げるはずだ。私が、一年半前にそれを雑誌で提案したのだが、実現の可能性を深く信じての論文ではもちろんなかった(「私の『所得政策復活論』、デフレ・スパイラル脱出の処方箋」『中央公論』2001年12月号)。池田勇人のような経済に明るい総理大臣がいて、「日本株式会社」という言い方が通用するほど社会連帯意識が強かった時代だったらまだしもだが。政府自体が、合成の誤謬に陥ることなく、経済全体を「合成的に」考えているはずなのに、やはりフーバー大統領の二の舞を平気でやって、年金までカットするのだから、民間からそのようなイニシアティヴが出ることは考えられない。

 この根拠を、単純なモデルで思考実験してみる。

 生活の豊かさとは、できるだけ多くの商品を得ることによって実現される(としよう)。商品の数量、つまり、実質消費が生活の豊かさを決定する。実質消費は、予算制約を受けるが、この「予算」にあたるのが(前期の)所得である。仮に、貯蓄のない世界を考えれば、

 「物価」×実質消費=所得

となる。またこの経済は循環しているため、

 所得=「物価」×実質消費

となり、「物価」×実質消費、つまり、名目の消費によって翌期の所得が決定する。さて、ここから「デフレ」(ここでは、「物価」と所得の持続的な低下のこと)を考えるが、その前に、相対価格の変化が何を意味するかを考えてみる。商品が2種類あり、それぞれの消費量が1である経済を考え、その2種類の商品をA、Bとする。ここで、生産性の上昇によりBの価格が低下したとしよう。このとき、Aの価格に変化がなければ「物価」は低下する。しかし、所得は変化しておらず、Bの価格低下に応じてAの価格が上昇すれば「物価」は変化しない。このようなケースは、実際の経済においても想定できる。
 例えば、国際的な競争にさらされる貿易財は、生産性の上昇によって価格が低下し、生産性の上昇に応じた需要の増加がない場合、労働が余剰になる。この余剰労働がサービス部門に吸収され、サービス業の生産性が低下することで、サービス価格が上昇するというケースである。
 次に、Aの価格が変化しない場合を考える。このとき、上式は、

 「物価」×実質消費+貯蓄=所得

のように拡張される。これは、将来の不確実性が高まること等*1によって流動性選好が大きくなり、予算制約の余裕が消費ではなく貯蓄に回るケースである。貯蓄の増分は、翌期の所得を削減する。*2生産性の上昇が絶え間なく生じれば、「物価」は継続的に低下し、貯蓄は増加し、所得は減少する。
 一方、流動性選好が小さければ、実質消費が増加し所得は減少しない。経済は成長し、生活は豊かになる。潜在成長率を高めることが生活の豊かさにつながるのは、このような場合である。

 さて、この経済のバランスを取り戻すための方策を考える。ひとつは、生産性の上昇に応じて価格は低下するが、翌期の「物価」を高めることで、予算制約の余裕が実質消費の拡大につながるように促すこと(金融政策による貨幣供給の増加)。もうひとつは、「物価」×実質消費の低下にあわせて所得を減少させないこと(財政による所得政策)。これらは、1回の国債発行*3で同時的に行うことができる。
 もうひとつ、政策を関与せずに経済のバランスをとる方法がある。それは、生産性の上昇を所得の増加にあてることで、価格を維持すること。*4その鍵となるのは労働組合の交渉力である。この場合、当初の式は変化しない。*5

 労働組合は、デフレのときこそ頑張るべきである。今であれば、とりあえずの賃上げの原資として、交易損失が昨年よりも縮小している分を当てることも考えられる。

 ちなみに、ここではデフレの原因を生産性の上昇としているが、倹約によってもデフレは生じる。倹約によってデフレが「天下り」的に生じると、労使交渉によって所得を維持することは難しくなる。*6また、国際的な価格競争が激化している産業に属する企業では、マクロの含意を企業行動に応用することは難しい。なによりこの思考実験では、金利や投資を考えていない*7ことに留意が必要である。

*1:人口が減少する中で、年金等社会保障制度に対する不安が高まることは、その主要な原因となろう。また、人口減少は、資産価格の低下をも惹起させる。

*2:賃金の下方硬直性を仮定すれば、生産性の上昇によって余剰となった労働は失業化する。

*3:この国債は貨幣と等価であり、中央銀行保有する。

*4:賃上げをとるか、雇用(時短)をとるかは、ここでは問わない。時短は、実質消費の増加と代替的に、生活を豊かにする。時短と実質消費の代替性と所得との関係は、以前のエントリーで示唆的に書いたが、別の研究テーマに直結するアイデアである。これについては、ある程度整理できた段階で、そのアウトラインをエントリーに書こうと思う。

*5:ただし所得維持が、雇用(時短)ではなく、ひとりあたり賃金を目標に行われると、失業が発生する。

*6:逆の言い方をすれば、デフレ下における倹約の勧めは「地獄への道」となる。

*7:銀行が存在せず、信用創造が働かない。また、暗黙に貨幣流通速度が一定であることを想定している。