備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

雇用政策のジレンマ

※追記および関連エントリーを追加しました。(12/03/11)

 ここにいう「ジレンマ」とは、通常、雇用情勢がよくなること、例えば、求人数が増加すれば、雇用政策の執行はより容易になると考えるのが自然であるが、逆に、雇用情勢がよくなることによって、雇用政策の執行がより困難になる側面もある、ということを意図している。本ブログは、とりわけ経済や雇用の問題に関心のある方に読んでいただく傾向があるので、これまで、ちまたの議論ではあまり指摘されることのなかったこの問題について取り上げる。

 2008年秋の金融危機に端を発する需要の大幅な縮小により、雇用情勢は急速に悪化したが、麻生自民党政権(当時)は、これまでにない規模の雇用対策を発動した。これらを簡単にカテゴライズして整理すると、つぎのようになる。

 これらの政策の中で、特に評価が高いのが第一にあげた雇用維持の支援であり、国際的にも、好事例として取り上げられている。

この政策は、長期雇用を基本とする日本の雇用システムと親和性が高く、第二に取り上げた一時的な雇用政策の創出(かつては、構造的失業に対応した失業対策事業が該当)と並んで、伝統的な日本的雇用政策の処方箋であるといっても、あながち間違いとはいえないであろう。

 一方、第三以降にあげたものは、これまでの日本の雇用システムでは必ずしもその機能が重視されることのなかった企業間の労働移動に焦点を当てたもので、労働市場機能の強化のための政策である。これらの政策は、金融危機後の雇用危機の場面では、一定の役割を果たしたということができる。ハローワークの新規求職者(新規学卒者を除きパートを含む)は、危機以前は約51万人程度まで減少していたが、危機後は約69万人にまで増加する。しかし、その後は震災等による増減はあったものの、直近時点で約60万人程度まで減少している。


資料出所 厚生労働省『一般職業紹介状況』

この間、ハローワークの就職者数は、雇用情勢の回復を割り引いたとしても上昇しており、その一方で、危機前後において、新規求人の産業別構成は著しく違っている。


資料出所 厚生労働省『一般職業紹介状況』

こうしたことを踏まえると、ハローワークの窓口機能の増強や、職業訓練を通じたミスマッチ対策は、少なからず求職者の減少に寄与したものと推察される。

 こうしたこれまでにない志向性を持つ雇用政策がとられた背景としては、今回の雇用危機がかつてない甚大なものであったことに加え、雇用者の3割を超える水準にまで増加した非正規雇用者の存在があげられる。企業にとって、そもそも短期的な需要の振幅に対応した労働力である非正規雇用が維持されることは考えにくく、雇用保険に加入していないため、離職後に無料の公共職業訓練を受講する機会を得ることもできない。危機によって縮小した製造業に対する需要が以前の水準にまで回復しなければ、これら非正規雇用からの離職者が新たな職に就くことは一段と困難なものとなる。このことは、現実に生じている――急激な円高という別の要因を主因とするものではあったが。たとえ求人の産業別構成に変化がなかったとしても、企業内においても十分な教育訓練の機会を得ることのできない非正規雇用者の訓練機会の確保は、主要な政策課題となり得るものである。

 さて、いずれにしても、この段階ではまだ雇用政策にジレンマは生じていない。新規求職者は減少したが、それでも危機前の求職者数の水準をいまだ10万人近く超えている。その「危機前」の時点ですら、デフレにともなう実質賃金調整は続いている状況であった。現実、その後も雇用政策に「揺り戻し」は生じておらず、時限的な措置であった雇用保険に加入していない離職者に職業訓練を提供する制度(緊急人材育成支援事業による基金訓練)は、求職者支援制度として恒久化されている。だが、危機直後と現在の状況との間に違いがないわけではない。危機直後に肥大化した求職者と現在の求職者に少なからず違いがあることは、つぎのように指摘することができる。
 危機直後の離職者では、「100年に一度」といわれるような大きな経済の変動によって、ほんらい離職者になる必要のなかった人々が、不幸にも離職者になってしまったようなケースが数多く含まれていると想定される。こうした人々は、仕事があれば、すぐにでも仕事に就くことができる。臨時的に増員されたハローワークの窓口相談員であっても、求人者とのマッチングを行うことは容易であろう。このような場合、いかに多くの紹介を行うかが政策効率を高める鍵となる。また、このような求職者は、早急に仕事をみつけたいと考える傾向も強いため、異なる産業の仕事に就くこともいとわない傾向が強いであろう。それが非正規雇用からの離職者であれ、「質の高い」求職者であれば、労働市場機能を強化する政策は、的確に成果をあげることが容易であるといえる。
 しかし、雇用情勢の改善によって求職者が減少しつつある現在、ないし今後にあっては、職業能力や就業意欲の低い、つまり「質の低い」求職者に対して雇用政策を講じていくことになる。こうした場合、これまでのような「数をこなす」政策はうまく機能しない。一方、「きめ細かな」政策は、雇用政策のパフォーマンスを悪化させる。そもそも危機への対応として臨時的に増強された公共雇用サービスは、長期失業者に代表される就職困難者への対応を得意とするとは考えにくい。以下にあげるILOのレポートでは、長期失業者へのサービスを民間サービス事業者へ委託している国として、デンマーク、フランス、オランダ、イギリスなどの主要国があげられている(p.50, 178)。

 こうしたジレンマは、求職者支援制度においても同様に生じる。「質の低い」求職者の割合が増えれば、職業訓練によって職業能力が確実に高まるような求職者も少なくなる。また、ほんらい就労化(アクティベーション)のための制度である求職者支援制度を、生活保障の制度であるように理解する者も増加する。その結果、以下の濱口論考に示されているように、「セーフティネットとしての性格が却って再就職促進を阻害するモラルハザードとして逆機能する」こととなり、「モラルハザードを防ごうとすれば、訓練への入口でその意欲を厳しく判定する必要」が生じ、「本制度のセーフティネットとしての役割を限定する」こととになるのである。

 このように変化しつつある求職者に的確に対応するためには、「数をこなす」政策ではなく、個々の求職者の再就職を確実に可能にするよう、マッチング機能を高める必要がある。しかし、これは言葉でいうほど簡単ではない。むろん、現場ではさまざまな工夫を行い、政策担当者も、そのような事例を集約してサービス改善につなげていることは伺えるものの、現実のデータからは、窓口機能の増強や雇用情勢の改善のほかに、確実に就職者数を増加させ求職者数を減少させる要因を見付けることはできない。一方、「数をこなす」政策を継続することの「歪み」は、まず、第一線の現場に現れ、ジワジワと政策担当者の足もとを侵食することとなる。

 問題は、長期雇用を基本とする日本の雇用システムに変化がない中で、異なる基本理念を持つ雇用政策を打ち出すことの是非である。非正規雇用者が増加しており、それが少数ではないという事実はあったとしても、日本の雇用システムの中でそれが「周辺的」な労働力であるという事実に変わりはない。もし、非正規雇用者が「周辺的」労働者ではないのであれば、彼らは、企業の「メンバーシップ」とも対等なアイデンティティを有しているはずであろう。*1しかし、現実には、それができているとは到底思えないのである。
 このように、現実の「制度」が変わらない中で、政策によって法令上の制度を改めたとしても、結局はどこかに「歪み」を生むだけに終わる。実際、これまでの制度変更の中に、そうした事例を見付けることはできるであろう――ここで具体的に上げることはしないが。

 いずれにしても、空疎な「専門知」にもとづくだけでは、こうしたジレンマを乗り越える想像力のある政策を打ち出すことは容易ではない。もちろん、「専門知」にもとづかない政策は「盲目」であるが、事実に裏打ちされたそれでなければ、所詮は「空虚」なものでしかないのである。

(追記)

 逆の見方をすれば、非正規雇用者が「周辺的」労働者であり続けていることによって、日本の雇用システムはいまのまま存在することができているのである。派遣法にしても、当初は、日本の雇用システムを維持するために設けられた、と考えるのが自然である。
 非正規雇用者が「周辺的」労働者とは異なる確固とした「アイデンティティ」を有する存在となるには、企業間の労働市場(外部労働市場)を強化する政策だけでは不十分であり、企業内の配置転換を含む「内部労働市場」に手をつけることが必要になる。そのための方策は、国籍、信条等や男女間に加え、年齢や労働時間(パートタイム労働者か否か)、雇用契約期間(有期雇用者か否か)等を含む包括的な差別禁止法理を労働法がもつことであり、ないしは、あらゆる非正規雇用者を包含するユニオン型の労働組合が、その構成員に確固とした「アイデンティティ」を付与することに成功することである。

関連エントリー

*1:ここでは「アイデンティティ」という言葉を用いたが、これは、ジョージ・アカロフ、レイチェル・クラントン『アイデンティティ経済学』アマルティア・センアイデンティティと暴力』を読んだことに触発されて用いたものである。