- 作者: 藤原正彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1994/06/29
- メディア: 文庫
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本作品は1991年10月に刊行。筆者は数学者でエッセイストの藤原正彦で、当時は40代半ば、3児の父である。筆者の父は小説『武田信玄』で知られる小説家で気象学者の新田次郎。母もまた『流れる星は生きている』で知られる小説家の藤原てい。筆者は満州出身で、『流れる星は生きている』の中には、母子での満州からの引き揚げの様子が綴られている。
藤原正彦と言えば、数学者としてよりも、2005年にベストセラーとなった『国家の品格』によって世に知られているのではないかと思う。個人的には同書は未読で、むしろ同書の印象から、これまで藤原正彦の作品一般に対し拒否反応を持ち続けてきた。本作品でも、「武士道精神」というより「島国根性」といってよいような筆者の反応が随所に現れるが、今になって読んでみると、その「真面目さ」がむしろユーモアとなっているように捉えられた。一方、ケンブリッジの学者等との会話に現れる筆者の教養の深さは素晴らしく、また「回転の速さ」に感心させられる。
恰好のガイドブック
本作品の白眉は、筆者を取り巻く人々についての、その心理に迫るような描写にあるように思う。結果的に、イギリス人やケンブリッジの人々の気質を理解する上で、極めて実践的な作品に仕上がっている。この間、筆者は1年間の長期在外研究員として過ごしたわけだが、その短い期間に、大学のみならず地域や子供が通う学校の関係者とも深い人間関係を築いている。
フェアーであることに対するイギリス人独特の捉え方、「イギリス・ユーモアの根底には無常感がある」とする見方など、類書にない深さを感じる。また、イギリスの階級社会とロウアー・クラスの人々が持つエリート層への複雑な感情なども分かりやすく伝わる*1。
何れにしても、筆者の人間観察眼の鋭さが歴史観や教養の深さと相まって、国民、国家や制度に対する深い理解につながっている印象を持つ。
ケンブリッジ大学については、大学が発行するProspectus等を読んでも理解できないようなことを含め、日本人の常識を前提とした恰好のガイドブックとなり得ているように思う。UniversityとCollegeの違いは、日本の大学を基準に考えても理解できないが、本作品の第5章の最初に、その違いが簡潔にまとめられている*2。大学が国立である一方カレッジは私立であること、カレッジは学生の生活面に関わるとともにスーパービジョンと呼ばれる教官の個別指導を通じ教育にも関わること、カレッジの排他性やカレッジ間の競り合いなどは、他書からは得られない知識である。筆者が行ったスーパービジョンの様子や、学生にとって唯一の試験であるトライポス、取り分け、大学入試に借り出された際のインタビューの様子には興味を引かれる。
面接は各人につき三十分ずつ行われた。合否はこの面接と、内申書やAテストと呼ばれる国家試験の結果を半々に見て決定する。この大学で再重視されるのは、自ら学んでいく意欲と能力である。質問内容は専門的なことから読書傾向や友人関係まで及んだ。教科書に出ていない事を臨機応変に聞いた。(中略)
数学では基本をよく理解していない者も散見されたが、どの内申書にも抜群と記してあったのは、日本と同じでおかしかった。(中略)
一人だけ凄いのがいた。まだ十六歳のインド人だった。葬式帰りのような、黒スーツに黒ネクタイだったが、どんな質問にも的確に答えた。少し困らせてやろうと、やや意地悪な問題を出したら、ものの十秒位で解いてしまった。ノーベル賞を数十人も出す大学にはこんな生徒が来るのか、と感心していたら、グリーン博士が、「やったぜ」とでも言いたい気に私に目配せした。(中略)
試験後、グリーン博士に、気になったことを二つ尋ねてみた。一つは、願書にあった、「親戚中のオックスブリッジ出身者」なる欄の使われ方だった。彼は、それが合否に影響することはクイーンズではあり得ない、と強く否定した。もう一つは、合否判定時に私立と公立が同等に扱われるのか、という疑問だった。
「同等ではありません。もし類似した成績なら公立学校出身者をとります。教官、設備、家庭などではるかに恵まれたパブリック・スクール出身者が、優位にあるのは当然だからです。条件の違うものは区別するのが、公平と考えるからです」
日本の入試における公平とは、ずい分違うものだと感心した。
日本の大学は未だローカルな存在に止まる一方、ケンブリッジ大学を含む世界の主要大学は、世界中から優れた学生を採るため、さまざまな努力をしているという印象がある。本作品に描かれた入試の様子からも、日本の学校との(特に入試において「マジックが働く」とされる某校との)そうした違いは感じられる。