備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

苅谷剛彦『オックスフォードからの警鐘 グローバル化時代の大学論』

英語圏の大学ランキング上位に位置する主要大学は、リアルな国際競争に晒されているのに対し、日本の大学は、その教育が国民国家の閉じた「内部」で行われている以上、「想像上の」国際競争を行っているに過ぎない。そうした中、ランキング上位を目指す日本の大学の誤ったグローバル化戦略に対し警鐘を鳴らす。

世界全体で留学生が増加しているが、その起因となっているのは中国からの流出学生の増加である(本書の終章でデータをもとに説明)。また、日本人であれば、日本の大学で、最先端の学問を日本語の文献で学ぶことができるのは当たり前のように考えるが、ヨーロッパの辺境の国などでは条件が大きく異なる。こうした中、大学教育が産業化し、優秀な学生の獲得競争に晒される英語圏の大学を日本の大学と単純に比較することはできない*1

英語圏の高等教育を受けた者の強みは「どこでも(Anywhere)行ける」*2ことであり、BPがホームページに掲載した表現に、「グローバル化されたメリトクラシー」とはいかなるものか、率直に表現されている。

 私たちの目的は、グローバルなメリトクラシー能力主義)をつくりあげることです。そこでは、あらゆるバックグラウンドを持った人々が歓迎される。若者、年配者、男性、女性、いかなる人種や国籍を問わず、身体的な能力によらず、宗教、さらには性的嗜好や同一性を問わずに。

一方で、日本人のほとんどは、高学歴者を含め「そこに(Somewhere)留まる」者であり、「どこにでも行ける」者は少数派に過ぎない。格差を伴いながら皆が同じように衰退を経験するが、沈みかけた船の救出に全員で立ち向かうことも可能であるとする。

*1:特に、自然科学系の学問以外の分野において。

*2:FTに掲載されたBrexitをめぐるエッセイ『どのように私はロンドン部族を離れたか』の分析枠組みによる。