備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

これはあまりに「痛い」のではないの???

あまり言われないことだが、消費行動は「現在手元にある金」ではなく、「将来的に手元にあるであろう金」を基準になされる。
経済学者はそういうことを言わない(だって「将来手元にあるであろう金」なんてひとりひとりが夢想している「画餅」なわけであるから、そのようなものを統計的に数値で示すことはいかなる経済学者にも不可能だからである)。

 経済学には、「将来的に手元にあるであろう金」を基準に消費行動が決まるモデルがあります(ライフサイクル・恒常所得仮説)。このモデルでは、予算制約の下で異時点間の消費量の無差別曲線をとり、効用を最大化させることで、現在の消費が決定されます(詳しくは清水谷諭「期待と不確実性の経済学」等を参照)。
 この家計の最適化行動が組み込まれ、現代マクロ経済学におけるスタンダードと言えるモデルにNew IS曲線があります。その含意によれば、中央銀行の拡張的な金融政策により実質金利を将来にわたって低い水準に抑える(または期待インフレ率を高める)ことで、国内総生産と潜在産出量(インフレを加速させない最大産出量)との格差は縮小し、景気を回復させることができます(詳しくは「ハリ・セルダンになりたくて」の次のエントリーを参照)。「中央銀行の金融政策がデフレ脱却に効果があるのか」との論点は、近年の「リフレ論争」の一端に当たりますね。
 無論、中にはあまり明確な根拠なくM・フリードマンを批判する宇沢・伊東・内橋等の経済学者・エコノミストが存在するのも事実であり、これらの論者は「期待」の役割について消極的にみていますが、あくまで例外的な事象でしょう。内田先生の言われる「経済学者」がこれらに限定したものであるならば、特に「口を出す」必要はないわけですがw*1

*1:年金の信頼回復への動きを消費が減少し「財界が激怒したから」と断言するのも如何なものかなあ。正直、相当無理があるように思えるけど。まあ、「想像」と書いているからいいんだけど...