完全失業率は若干改善したが、先行き悪化の懸念が残る中で物価は上昇している。今月は、食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合でもプラス(0.1%の上昇)。このところ、賃金が物価と連動するように上昇しているが、これら相互のメカニズムについて要検討か。
ところで、朝日新聞がこの期に及んで「ルポにっぽん」という特集の連載を始めた。実効性のある就業支援策には(これから実施されるものも含めれば)出尽くし感が漂い、先行きの景気には後退懸念が強まる中、このタイミングでしかも第1面に掲載ということには驚きを感じた(「細切れ雇用の果て 39歳、全財産100円」)。職業経験等にハンディ・キャップを持つ人達の就業可能性をこれ以上高めるには、何をどう考えても、労働需要を高めることが必要という帰結になる。わかってはいたが、つくづく空気の読めない人達だなぁと思う。
正直言って、いわゆる「ニート論壇」にはもはや食傷気味なのである。
(追記1)
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080501/p1
「この類は「ニート論壇」というよりは「格差・貧困論壇」と呼称した方が適切な世界」というのは御意でしょうね。「ニート論壇」では、貧困の情景描写が後景に退き、個人のルサンチマンが前面に現れる感じか。いずれにせよ、特定の社会政策を推進する局面に現状はなく(むやみに特定の方向へ世論を誘導することは、その結果として重要性の乏しい政策を生み、無駄に経費を費やすことにもなる)、景気後退懸念が強まる中では、中心的に取り上げるべきイシューではない。
(追記2)
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080502/p1
仰るとおり、このように分解して考えると見通しがよくなりますね。経済成長至上主義批判や反グローバリズムの大義の下で、大企業に勤める中高年従業員に闘争の矛が向かう。その一方で、自分達だけ「脱市場主義」でいけば、といわれると、返す言葉がなくなる。この後半の部分は、(個人主義の立場から、)「気分はもう戦争」くんにフランス外人部隊入隊を勧めるという小田中先生の主張を思わせます。
大企業中高年従業員の立場からすれば迷惑極まりない話でしょうけど、ゼロ・サム、いやマイナス・サムの時代に相対的に便益の低下が小さかったことは事実。とはいえ、こうした場合、ゼロ・サムの環境を変えること(経済の成長)が最も大切であるにも拘わらず、「脱市場主義」の立場をとるところに彼らの矛盾がある。いや、矛盾があるのでなく、そもそもが相対的な自分のステイタスの向上を求めていたのであって、皆が幸せになることなど最初から望んでいなかったのでしょう。(その点、闘争にうったえず「格差・貧困論壇」に固執する限りでは、追記1に指摘した問題は残るものの、まだ社会性を持っていると言えるのかも知れない。)
だから、市場を否定してはダメなのです。現在の市場経済に対するオルタナティブとして、基礎的生計費を社会的に保障する仕組み程度のことであれば考えられるでしょうが、仮にそれが可能であったとしても、法人税を抜本的に引き下げること等々、反面としての成長戦略が必要だと思う。この場合、貧困は解消されるが、格差は縮小せず、それが固定化する可能性もある。結果、彼らの憤懣は、解消されることなく残ることになる。
「ニート論壇」というか、この問題に対して、闘争という枠組み、あるいは労働問題という枠ぐみで臨むところにそもそもの間違いがある。労働者が団結して闘争し、成功裏に自らの権益を確保するためには、当該労働者が使用者にとって不可欠な優れたスキルを持っている場合に限られる。当該労働者が置き換え可能な場合、そうした力を持ち得ることができない。てか、誰を相手に闘争しているのかがそもそも曖昧模糊としている。