- 作者: 大竹文雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/06
- メディア: 単行本
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ほぼ一貫した「原則」による時論集
この本は、2005年から2007年にかけて、政治の世界では郵政選挙を経て小泉政権から安倍政権、福田政権へと移り変わる時代に、日経新聞「経済論壇から」、週刊東洋経済「経済を見る眼」などに掲載された時評を整理・再録したもので、それぞれに新たにコメントが付されている。時間軸に沿って読むことができるため、読み手は、その時代を思い出しながら考えをめぐらせることができる。それぞれのテーマごとに、経済学的な考え方や研究の紹介があるため、経済書的な読み方もできるが、自分はむしろよく整理された時論集として読むことができた。
これらの時評では、ときには経済学の範疇には入らないような言論もとりあげられるが、一方で、これらを紹介する著者の視線は概して穏やかなものである。また、その後考えを変えた部分があることは著者自身指摘しているものの、全体をみる限り、ほぼ一貫した「原則」によって記述されているように感じられ、著者の保持するプリンシプルの強さには「凄み」をすら感じる。
むしろそれだけに、その一貫した「原則」になじめない部分には違和感を持つようにもなる。例えば、韓リフ先生は、『「若年層の格差拡大の原因は既存社員の既得権」それゆえその既得権を解消することが格差を解消する手段。という大竹氏の見解にはもちろん反対』と明快に感想を述べているが、自分も同感である。「既得権」に関する議論は、常に、ゼロ・サム的なゲームの世界でのやり取りに終始する。しかしながら、若年層の格差の本質は、社会全体のパイの拡大がその本来あるべき水準に達しなかったところにあるのであり、その点を踏まえずに議論を進めることは、その本質から目をそらすことにしかならないのである。あらゆる前提を考慮して論理的帰結を求めるのは、そのモデルの中での議論としてはパーフェクトかも知れないが、その結果、より本質的な問題から目をそらすことになってしまっては、時評としての価値はないに等しい。
それに加えて、「既得権」を失う正社員の幸福度の低下は、労働効率の低下をもたらすことにもなる。これは、「我慢すればよい」として片付けられるような問題ではあり得ない。より流動的な労働市場を実現させるのであれば、それを支える社会的な制度・政策も、今とは異なったものとなる必要がある。そのことについての本書の示唆は、必ずしも十分なものではない。
その一方で、明らかな構造問題である少子・高齢化の影響に関するところは、スムーズに納得することができた。高齢者の比率が高いと、学生一人当たりの公的教育費が低下する傾向が欧米では実証的に確かめられている、との指摘などは特に興味を惹くものである。
人口減少社会の考え方
多岐に渡る内容の中から、多くの人の目を惹くことはないであろう一節を取り上げたい。
そもそも少子化はそれほど大きな問題なのだろうか。確かに「少子化による人口減少は日本経済に悪影響を与える」というのが、多くの人の常識的な考え方かもしれない。実際、人口が減っていくと衰退する産業も多い。教育産業はその典型である。もっとも、だからといって、人口減少によって日本人が貧しくなるわけではない。
経済には常にさまざまなショックがつきものである。技術革新や国際化によって成長産業が生まれると同時に衰退産業も発生する。人口減少によって衰退する産業が出てくることは間違いないが、一人当たり所得が低下するわけではない。むしろ、一人当たり資本が増加するため、生産性が上昇し賃金所得が増加する可能性が高い。したがって、人口減少時代を乗り切れるかどうかは、効率的な資本の利用が可能か否かにかかっている。これが経済学者の標準的な考え方である。
なぜこれを取り上げたかというと、この部分には、上述した「既得権」に基づく議論以上に違和感を持ったためである。この表現が事実であるためには、ある前提をおく必要がある。その前提とは、「供給はそれ自身の需要を創造する」──いわゆるセイ法則である。
人口減少は、マクロの供給力に労働の制約を与えるとともに、総需要をも低下させることになる。マクロの供給力に見合う需要を創り出すことができなければ、経済はデフレ基調となり、その結果として不況が継続し失業者は増加する。とすると、資本は遊休化し賃金所得も低下することになるだろう。
つまり、上記のようなバラ色の人口減少社会を実現するためには、完全雇用を実現できるだけのマクロ経済政策の運営力が必要なのである。人口減少社会とは、マクロ経済政策の運営力が試される時代であり、それが適切に運営されることを前提として、上記のような結論は「経済学者の標準的な考え方」にもなり得るのである。