備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

J・M・ケインズ「雇用、利子および貨幣の一般理論 上」(2)

雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)

雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)

第11章 資本の限界効率

  • 資本の耐用期間を通じて、その資本から得られると期待される収穫によって与えられる、年収益系列の割引現在価値を、その資産の(現在の)供給価格に等しくするところの割引率が、資本の限界効率。総投資率と資本全体の限界効率を関係づける表が投資の需要表、または資本の限界効率表。投資誘因は、一部は投資の需要表に、また一部は利子率に依存する。
  • 貨幣価値の予想される変化は、資本の限界効率に対する作用を通じて、新たな資産を生産する態勢に影響を与える。物価上昇期待が経済刺激効果を持つのは、利子率を引き上げることによってではなく、資本の限界効率を引き上げるため。仮に利子率が資本の限界効率と歩調をそろえて上昇すれば、物価上昇期待は経済刺激効果を持たない。*1
  • 資本の限界効率を利子率と同列においてしまうと、現在の均衡を分析するにあたって将来の及ぼす作用を真っ正面から考察する道を閉ざしてしまう。

第12章 長期期待の状態

  • 確信の状態は資本の限界効率表を決定する主要因のひとつであり、経済問題と関わりを持つ。慣習的計算方法は、慣習の持続をあてにすることができる限り、事業に相当程度の連続性と安定性をもたらす。慣習の不安定化要因(美人投票等)(略)。資本市場の組織化につれて、(企業よりも)投機が優勢となる危険が高まる。人間性の特質に基づく不安定性(アニマル・スピリット)。将来に影響を及ぼす人間の決意は、厳密な数学的期待値に依拠するものではない。
  • 利子率を管理することによってどの程度まで投資の適正量を持続的に刺激し続けることができるか、今の私はいささか懐疑的で、利子率に影響を及ぼすことを目的とした金融政策がただそれだけで成功を収め得るとは考えていない。これからは、長期的視野に立ち社会の一般的利益を基礎にして資本財の限界効率を計算することのできる国家こそが、投資を直接組織化するのにますます大きな責任を負う。

第13章 利子率の一般理論

  • 利子率は、貯蓄すなわち待忍に対する報酬ではなく、流動性をある一定期間手放すことに対する報酬。貨幣量は、所与の状況において、流動性選好と一緒になって現実の利子率を決定するいまひとつの要因。流動性選好は、(1)取引動機、(2)予備的動機、(3)投機的動機にわけられる。一般に、貨幣(需要)量が増加するにつれ利子率は下落するが、(投機的動機のために用いることのできる)貨幣量が大幅に増加しても、それが利子率にわずかな影響しか及ぼさないこともある。
  • 保蔵を「保蔵性向」と言い換えると、実質的に流動性選好と同じ。保蔵の決意は利益を比較考量した結果として行われるのであり、したがって我々は、天秤のもう一方の皿に何が置かれているかを知らなければならない。

第14章 古典派の利子率理論

  • 古典派の一統が利子率を投資需要と貯蓄欲求を互いに均衡させる要因とみなしてきたことはかなり明瞭。貯蓄と投資は現実に不均衡たり得ると考える新古典派と異なり、本来の古典派は、それらは等しいという見解を受け入れる。しかし、このような信念を遙か先まで押し進めて、個人が貯蓄を増やせばその都度、必ずそれに応じて投資を増やそうとする人が現れる、と考える。
  • 古典派の利子率理論は、資本の需要曲線、利子率を所与の所得からの貯蓄額に関係づける曲線のいずれか、あるいは双方が移動する場合、新しい利子率は2つの曲線の交点で与えられると考えるが、これはおかしな理論で、所得一定という仮定は、これら2つの曲線が互いに独立して移動し得るという仮定とは両立しない。
  • 古典派は利子率に関して2つの巻を持ち、価値理論を扱う第一巻の利子率理論は、貨幣理論を扱う第二巻の利子率理論とは全くの別物。貯蓄と投資は、体系の被決定因であって決定因ではない。

付論 マーシャル『経済学原理』、リカード『政治経済学原理』、その他に見られる利子率について

  • 完全雇用が常に実現し、心理的諸傾向や期待に変化がないという付帯条件を基にして、(リカード理論は効力を得、)完全雇用と両立する利子率は長期的にはただ1つということになる。ところが実際には、長期においてさえも雇用量は必ずしも完全雇用状態にあるとは限らず、変化を被る可能性がある。
  • 非自発的失業に直面する失業労働者が無益な職争いをし、貨幣賃金が際限なく下落するという極端な想定の下では、考えられる長期の位置はわずかに2つ、すなわち完全雇用と、流動性選好が無制限となるときの利子率に対応する(完全雇用下の)雇用水準。伸縮的貨幣賃金を想定すると、貨幣量は長期的には何の効果も表さないが、通貨当局が貨幣量を変化させる際の条件は(雇用の)実質的な決定因として経済体系の中に入ってくる。

第15章 流動性への心理的誘因と営業的誘因

  • 通貨管理が経済体系に対して作用を及ぼすのは、それが投機的動機に影響を与えることによって。投機的動機について論じる際、同じ利子率の変化でも、流動性関数は不変で投機的動機を満たすために用いられる貨幣供給のみが変化したときの利子率の変化と、流動性関数それ自体に影響を及ぼす期待の変化にもっぱら起因する利子率の変化を区別することが肝要。実際には、公開市場操作は両方の経路を通じて利子率に影響を与えるかも知れない。公開市場操作は、貨幣量を変化させるのみならず、中央銀行・政府の将来の政策に対する期待をも変化させる。
  • M=M1+M2=L1(Y)+L2(r) M1:取引動機・予備的動機による貨幣需要、M2:投機的動機による貨幣需要。検討すべき事柄は、(1)Mの変化とYおよびrとの関係、(2)L1の形状を決めるもの、(3)L2の形状を決めるもの。((3)に関連して、)利子率は高度に心理的現象。(現行の利子率が)完全雇用利子率を上回る水準にあるとき、長期市場利子率は、通貨当局の現下の政策だけでなく、市場がその将来の政策に関して抱く期待にも依存する。朝令暮改的な金融政策は、長期利子率を大きく低下させる目的を果たせずに終わる。
  • 期間と危険の異なる債券に通貨当局が所定の利子率を打ち立てる能力には一定の限界があり、これらの限界には、(1) 売買する債券を特定のタイプに制限する通貨当局の実践に由来するもの、(2)利子率がある水準まで低下すると、たいていの人が利子率の極めて低い債券を保有するよりも、現金を選好するようになるという意味で、流動性選好が事実上無制限となる可能性*2、(3)流動性関数が売りか買いかいずれかの方向で平ら(無制限)になって利子率の安定性が完全に崩壊する事例、(4)仲介費用、モラル・リスクを補う費用の存在、がある。

第16章 資本の性質に関するくさぐさの考察

  • 将来の消費に関する期待は大部分が現在の消費体験から形成され、現在の消費が減少すると将来の消費も抑制される(ことになりかねない)。その結果、貯蓄は、消費財価格を引き下げるのみで現存する資本の限界効率には影響を与えない、というのは正しくないことになる。
  • ある資産が耐用期間を通じて、全体としては初期の供給価格よりも大きな価値を持つ収益を生み出すと期待されるのは、ひとえにそれが希少だから。資本の限界効用ゼロ、利子率非負の準定常的社会、金利生活者の消滅(略)。

第17章 利子と貨幣の本質的特性

  • 資産の収益(q)−持越費用(c)+流動性プレミアム(l)は、当該商品の自己利子率。貨幣は、qおよびcがゼロでlが他の商品のqやcよりも容易に低下しないような商品とみなせる。貨幣以外のどの用品の現在貨幣価値も、その期待将来価値に比べれば、相対的に低下する傾向を持つ。他の諸資産の有利な生産を一つまた一つとしだいに閉め出していくのは、ストックの全般的増加にともなう自己利子率の低下が一番緩やかな資産の利子率。
  • 貨幣の自己利子率に格別の重要性が付加される理由は、(1)貨幣生産の弾力性がゼロ(貨幣は労働によって簡単に生産することができない)、(2)代替の弾力性がゼロ(貨幣の交換価値が上昇しても、他の要素を貨幣に代替する傾向が存在しない)、(3)貨幣−利子率が十分に下がる見込みがたいていの場合ほとんどない。
  • 失業が深刻になるのは、人々が月を欲するから。欲求の対象が生産し得ぬものであり、その需要が容易に尽きせぬものであるとき、人々が雇用の口をみつけるのは不可能。月も生チーズも大差ないことを大衆に納得してもらい、チーズ工場を公的管理の下に置くことでしか、苦境を脱する途はない。
  • 自然失業率は貯蓄率と投資率との均等を維持する利子率であるが、この定義では、どんな社会においても、雇用水準を任意に変えていくと、それぞれの雇用水準に対して相異なる自然利子率が存在。体系は完全雇用に満たなくても、均衡状態にとどまる場合がある。自然利子率なる概念が重要であるとはもはや考えられず、特有かつ意味ある利子率があるとしたら、それは中立利子率(雇用の弾力性が全体としてゼロとなる水準に産出量と雇用があるような均衡状態で成立している利子率)。

第18章 雇用の一般理論─再論

  • (経済体系の)究極の独立変数は、(1)心理的な消費性向、流動性に対する心理的態度、資本資産の将来収益に対する期待、(2)雇用者と被用者の協定で取り決められる賃金単位、(3)中央銀行の活動によって決定された貨幣量。
  • 我々の住んでいる経済体系の際だった特徴は、産出量や雇用は激しい変動を被るにも拘わらず、体系そのものはそれほど不安定ではないこと。完全雇用はもちろん、近似的な完全雇用も希にしか起こらないが、絶望するほどではないが満足のいくものではない、中間的状態こそ我々の正常な運命。

*1:実質賃金低下と設備投資増加の因果関係に関して、後者が先になる可能性。

*2:流動性の罠