備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

米国の貨幣乗数の低下

 先日のエントリーでは、多くの人に注目していただきありがとうございました。先日の文章では、足許における貨幣流通速度の低下がやや強調されていますが、より注目すべきなのは、米国では、経済成長に見合う以上の貨幣量の拡大が継続的にみられていることの方でしょう。*1この点は、日本のデフレ時とは違っており、日本では、経済成長に見合うだけの貨幣量の拡大はみられませんでした。そして、その理由として指摘されているのが、中央銀行がマネタリーベースを拡大しても、信用創造が十分に行われていないために市中の貨幣量(マネーストック)は増加しないこと、つまり、貨幣乗数(=信用乗数)の低下です。
 日本における貨幣乗数の低下については、以下の2つの論文がそれぞれ異なった視点から見解を述べていますので、ご参照ください。

 小林論文では、銀行に不良債権という流動性に乏しい資産が蓄積され、それに対応する預金債務も増加すると、増加した預金債務の不意の支払に備えるために流動性の高い資産を増やす必要が生じることから、貸出比率が低下し信用創造が不活発となること(不良債権仮説)を指摘します。一方、ゼロ金利下において期待インフレ率が低下し、現金保有選好が高まるという「流動性の罠」説については、その影響は現金にも銀行預金にも全く同じであり、貨幣乗数低下の積極的な説明にはならないとします。
 飯田論文では、中央銀行による期待インフレ率を高めるコミットメントが弱いために民間経済主体が長期の金融緩和を信用することができず、その結果として、マネタリーベースの拡大が貨幣乗数を低下させたことを指摘します。一方、不良債権仮説については、少なくとも貨幣乗数低下の主因とはいえないとしています。

 これらの説の妥当性の検証は他の人に任せることとし、ここでは、米国経済の実情についてみることにします。なお、先日も書いたように、米国の貨幣乗数については、すでにid:econ2009さんが大変示唆的な指摘を行っており、ここに書くことはその「二番煎じ」に過ぎません。
 下のグラフは、米国の貨幣乗数を1985年以降という比較的長いスパンでみたものです。

 貨幣乗数は、1990年代半ばまで緩やかに低下した後、ITバブルの崩壊における時点で急低下がみられる以外は、おおむね安定していました。ところが、足許では大きく低下しています。
 つぎに、貨幣乗数の前年差を先ほどの飯田論文を参考に、(A-1)非金融機関の現金・預金保有比率、(A-2)金融機関の現金・預金保有比率、(B)準備預金の預金に対する比率の3つの要因に分けてみたのが下のグラフです。

(注)2008年第4四半期の貨幣乗数(前年差)は-3.25ポイント、(B)の寄与は-3.42ポイント。

 一般的には、準備預金の増加は、市中の貨幣量を相対的に減少させること、つまり、金融引き締めの要因となるのですが、量的緩和政策下においては、準備預金制度によって義務付けられている所要準備額を大幅に上回る資金を中央銀行資金供給オペレーションを通じて供給するため、その増加は、金融の緩和を意味することになります。
 量的緩和政策では、中央銀行による資金供給が市中の貨幣量の拡大につながることを期待しますが、必ずしも期待通りには拡大しないため、貨幣乗数は低下することになります。これは、日本においても米国と同様にみられた現象です。

 ひとつ大きな違いを挙げるとすれば、日本では、ゼロ金利政策ないし量的緩和政策の開始以前から、また、その導入以後も継続して、現金通貨の保有選好が強くみられたことです。その理由のひとつとして、飯田論文が指摘するように、中央銀行のコミットメントの弱さを指摘することができます。一方、米国のデータにはそのような傾向をみることはできません。特に、2008年第4四半期に注目すると、日本に比べて米国における資金供給の「強烈さ」が際だっています。
 さらにいえば、米国においては、貨幣乗数は低下しているものの、市中の貨幣量は、経済成長や貨幣流通速度の低下以上に拡大しており、それによって、マイナスインフレのような事態は、今のところまぬがれています。

米国の期待インフレ率の動向は、実体経済の悪化や政権への期待が剥落することなどによって、今後も予断を許さない状況にありますが、FRBの政策が今後も功を奏し続けることで、はやい段階で米国経済が回復することが望まれます。そしてそれはまた、日本経済にとっての「唯一の」希望でもあるといえるでしょう。

(追記)

Paul Krugman“Friedman and Schwartz were wrong”The New York Times Blog)

 クルーグマンは、バーナンキによるフリードマン=シュワルツへの言及を引用、超過準備の足許での急激な上昇について紹介しつつ、「基礎的な経済の改革なしに中央銀行のみが恐慌を回避することができる」との考え方を批判しているようです。
 なお、念のために付け加えますが、「基礎的な経済の改革なしに中央銀行のみが恐慌を回避することができる」との考え方がいわゆる「リフレ派」に共通する考え方だとは、わたしは考えておりません。

*1:貨幣流通速度=名目GDP÷マネーストックであるため、名目GDPが(統計技術的な制約などによって)外生的に決まると考えた場合、貨幣流通速度とマネーストックは、当然に逆相関の関係になる。