- 作者: アイン・ランド,藤森かよこ
- 出版社/メーカー: ビジネス社
- 発売日: 2008/12/05
- メディア: ハードカバー
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アラン・グリーンスパン前連邦準備制度理事会(FRB)議長がその影響を受けたことでも知られるアイン・ランドは、彼女のいう資本主義、すなわち「完全で、純粋で、支配されない、規則を受けない自由放任資本主義」のための土台として「客観主義」というものを提唱している。
客観主義においては、まず究極的な価値を有機的組織体の生命におく。善や悪という基準も、客観主義では生命を維持する上で有効かどうかによって定まる。生命を維持することが目的である以上、人間は他人の福祉のための目的とはならない。人間は合理的な利己主義者として、自分の福利のために商人のような原則をもつて生きる「べき」とされる。神秘主義のように神に価値をおくことや、個人ではなく社会に価値をおくことに合理性はなく、それは任意の誰かの気まぐれであり主観的問題であるに過ぎない。そして政府の唯一の目的は、人間の生命、自由、所有権を保護することにあるとされる。政府の活動を支える税金の支払は自主的なものであり、市民の合意によって支払われるべきものとなる。ここで考えられているのはいわゆる「夜警国家」に類するものであり、「経済力がある人々が、経済力がない人々の犠牲になるということにはならない」ような体制である。
あらゆる「富の再分配」や、ある人々の強制労働や、ある人々の収入を奪うことによって、その他の人々に援助を与えることは不可能である。援助を受ける人々は、それに見合う努力も労働もしていないのだから。自分自身の存在を維持するためのコストさえ払うこともしないし、できない人々のために、文明化された社会維持のコストを払うことができる人々から奪い、搾取し、それによってその人々を破滅させることは許されない。このようなことは、自由な社会においては、かつ市民の自主性に依拠する政府運営資金調達システムのもとでは、許されない。
ランドにとっての価値とは、評価をともなう一元的なものである。そこでは愛すらもそのような一元的な評価のもとにおかれる。
愛と友情は非常に個人的、利己的な価値である。愛は、自尊心の表現であり肯定である。他人の人格の中に自らが価値あると認めるものが在ることへの応答である。人間は、自分が愛する人間がただ存在するだけで深い私的な利己的な喜びを得る。人間が求め、苦労して獲得し、愛から引き出すのは、私的な利己的な幸福である。
ランドは利己主義を称揚する一方で、利他主義を強く非難する。ランドにとっての利他性とは、他人に価値をおく一方で自分自身を犠牲にすることである。利己的な夫にとって深刻な病気の妻のためにおおくの財産を費やすのは、妻という存在にそれだけの価値があるからである。一方自分にとって何の価値もない女のために、利他性によっておおくの財産を費やすことは、ばかげた行為であるとされる。
また、客観主義にしたがい合理的にふるまうとき、利害の衝突は生じないとする。客観主義では、自分自身の欲望はつねに満たされるべきだと考えるわけではなく、理性のもとでみずからの欲望を選択する。自分の欲望をつねに満たされるべきものと考えるのは主観的に生きることである。合理的な人間は、ひとつの職をめぐって競争し負けるとき別種の仕事を選ぶであろうし、愛の獲得においてすら利害の衝突は起きないという。
(つづく)