最近公表された米国のSNA統計をみると、米国経済は、このところ踊り場的局面を迎えつつあり、雇用については、しばらくは厳しい情勢が続くことが見込まれている。実質GDPの対前期比は0.3%の増加であるが、消費の伸びはゼロとなっている。
一部では、米国国債の格付けの低下を受け、米国の「日本化」とよび、米国経済が日本のように「失われた10年」に突入することを懸念する向きがあることが指摘されている。
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しかしながら、この指摘については、理解することは困難である。確かに、米国経済の今後の行方は予断を許さないものであり、雇用情勢の厳しさについてはいうまでもない。ところが、GDPデフレーターをみると、輸入物価の上昇がマイナス寄与を与えているものの、国内需要のデフレ傾向については、おおむね払拭されている。
一方の日本をみると、輸入物価の上昇がマイナス寄与を与えていることについては米国と同様であるが、これに加え、国内需要のデフレ傾向を払拭することができずにいる。震災以後の供給制約の中、金融緩和に慎重になることは、一面としては理解できるものの、現在までのところ、米国と比較して、そのパフォーマンスが大きく劣るものであることは否めない。
これを貨幣供給の側面からみると、貨幣流通速度は停滞しており、経済主体が財・サービスよりも貨幣の価値を高く評価し、貨幣を退蔵する傾向があることを示している。
物価や所得が低下を続ける中で、日本の雇用が米国ほど悪化していないというのは、いいかえれば、日本では、少ない所得をみなで分け合い、「せせこましく」生きている、あるいはそのように生きざるを得ない、ということである。このことは、経済危機以後も引き続き増加を続ける非正規雇用者にも現れている。デフレ下の雇用の改善とは、不完全雇用のままでの雇用の改善でしかない。
貨幣需要がない中で、その回転率を高めるためには、金融政策において、当面は時間軸政策をその中心に据え、同時に、資金需要のあるところには資金が回るよう、信用緩和を図る必要がある。一方、ベースマネーの供給は、資金需要がないことを「前提」とすれば「ブタ積み」を招くに過ぎないが、長期的には、財・サービスや労働との間での選好の変化を通じ、資金需要の増加につながることはあり得る。ベースマネーの供給のためには国債の新規発行を必要とする。このとき、投資する事業(例えば、復興のための事業)の期待将来収益の現在価値が増加する負債の額を超えている(と経済主体が評価している)のであれば問題はないが、そうでない場合は、国債格付けの低下や名目金利の上昇を招く。しかし、むしろ国債格付けの低下や名目金利の上昇を通じて、財・サービスや労働に対する選好は相対的に高まることになる。国債や貨幣の保有者にとって不利な政策は、商品や労働の保有者の立場を相対的に高めることになるのである。
なお、このあたりの議論については、以前、以下に書いたことがある。
財政においては、所得再分配の再構築によって、ビルトイン・スタビライザーが働くようにすることが考えられる。資金を必要とするところに資金を回す、ということは、金融政策においても財政政策においても変わることのない根本原則である。よって、復興増税や長期的な消費税の引き上げを行うにあたっては、所得再分配の長期的な方向性や、消費・投資に与える影響を最小限にする引き上げのスケジュール・タイミングを示していく必要があるだろう。