備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

雇用形式などに関する備忘録的整理(その4)

これまでの関連エントリーの総括:09/2209/2810/2811/0611/01→本日のエントリー
これまでの議論とも関連するが、長期的・安定的雇用システムの中にあった労働者に対して覚醒を促すようなメッセージが一定の妥当性を持ちうることは否定できない。その場合、「仕事と均衡した処遇」という考え方から、労働条件について、より「公正」(外部労働市場を含めた「同一価値労働同一賃金」という意味においてではなく、企業の中にあっての公正な配分という意味において)な観点から適正化することが要求されることもあり得るか。これは、(社会全体でみた場合の)働く意欲の向上や雇用の質の向上、それに伴う経済成長といった観点からは、メリットもあればデメリットもある。つまり、会社の労働者に対するコミットメントが弱くなることがもたらすデメリットもあれば、これまで社内で評価を受けることが希だった周辺労働力の質が向上する可能性も高い。これは、雇用のフレキシビリティを賃金や労働時間、職場内での配置転換というものに求める考え方であり、「雇用流動化」に求める考え方とは一線を画する。また、11/06付けエントリーでの話にあるような、長期的・安定的雇用システムの破壊や極端な「同一価値労働同一賃金」の追求といった方向性は、デメリットの方が大きくなるだろう。
上記のような考え方へのアンチテーゼとしては「では若年雇用問題はどうするのか」というものが考えられる。この点については、必ずしも構造問題ではなく、景気の回復や団塊世代の引退過程を経る中で大きく改善する見込みはある。今現在の失業・無業者をどうするのかという点については問題視できるが、だからといって、雇用システムの破壊に走るというのは極論であり、その結果としてマクロの成長率低下を伴いながらさらなる格差の拡大を招く可能性は大いにあり得る。つまり、体よく騙されていると言うことだ。