備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

大竹文雄「経済学的思考のセンス お金がない人を助けるには」

Ⅰ イイ男は結婚しているのか?

  • 政府が行う災害対策は、(受益者負担の原則から)地震保険への強制加入により保険の機能を利用し、より安全な地域への住むようなインセンティブを高めるため、ハザードマップを公開し、災害保険税を地域と家屋の耐震性能に応じて課す、というのが経済的に公正な在り方。災害時に事後的救済をすると、価格の安さに加え、事後的救済をあてにして危険地域に住む人をますます増やし、救済費をふくらませる。自分の息子をどら息子にしないためには、(時間非整合性を回避するため)一切援助しないことをあらかじめ宣言し実行すること。
  • 死亡時期さえも、金銭的インセンティブによって変わってしまうほど、金銭的インセンティブは重要。ただし、人々が非金銭的インセンティブを重視しているときに、不十分な金銭的インセンティブを導入すると、人々はやる気を失う。90年代末以降の日本企業の成果主義賃金制度の失敗は、これらのバランスを間違えたためではないか。

Ⅱ 賞金とプロゴルファーのやる気

  • プロスポーツ産業においては、(実力差が大きく)対戦相手がいないとスポーツ観戦というサービスを売ることができない(ルイス=シュメリングの逆説)。プロ野球ストライキ騒動が明らかにしたのは、参入規制問題への対応に象徴されるように、プロ野球の個別球団の利潤最大化行動と、プロ野球全体の利潤最大化行動が対応していないこと。*1
  • バーナード教授は、オリンピックでのメダル数を説明する要因として、1人あたりのGDPと人口の双方があるとするが、1つ前の大会のメダル威嚇特数を説明変数に加えると、モデルのパフォーマンスはよくなり、かつその影響は他の要因よりも強い。この意味するところは、選手の育成に時間がかかることや、一度育成した選手はいくつかの大会を通じて活躍できること。*2

Ⅲ 年金未納は若者の逆襲である

  • 年功賃金制度には、公的年金制度と異なり、①人的資本理論、②インセンティブ理論(供託金仮説)、③適職探し理論、④生計費仮説、等によって説明される理由があり、必ずしも「ねずみ講」とは言えない。また、年功賃金制度については、これら4つの仮説の他に、人々は賃金(生活水準)があがっていくことを喜ぶ(単純に「喜ぶ」というものと、習慣形成仮説)、というものがある。ただし、企業年金の未積立債務の存在は、これらが「ねずみ講」によって運営されてきたことの証。

Ⅳ 所得格差と再分配

  • フリン教授によれば、1時点の賃金格差はイタリアよりも米国の方がはるかに大きいにもかかわらず、生涯賃金の格差は、両国でほぼ同じ。転職が比較的容易な米国では、現在の賃金水準が低くても、転職によって将来よりよい条件の仕事に就く可能性があり、生涯賃金でみた賃金格差は小さくなる。
  • 日本人の7割超は、「十分な格差がないと人々は努力しない」という考え方に同意。再分配制度を、一部の低所得者を救うものから、努力したにもかかわらず運が悪い人を広く救う制度に変えて、所得保険的なものにしないと、将来不安を抱える多くの日本人の支持は得られない。

エピローグ

  • 欧州では、左派と貧しい人が共に平等を重視する傾向があるのに対し、米国では、貧しい人が平等を重視する傾向がない。欧州の方が、米国と比べ所得階層間の移動率が低いことが、欧州で所得の不平等が深刻な問題と考えられている理由。
  • 日本の場合、就職の機会は新規学卒の時点に限られていた。所得階層間異動が小さくなると、生涯所得の格差は大きくなる。労働市場のさらなる整備と、能力開発の促進を通じて、将来の逆転が可能な社会にしていくことが、若年層に広がる閉塞感を打破するために必要。機会の不平等や階層が固定的な社会を前提として、所得の平等主義を進めるべきか、機会均等を目指して所得の不平等をそれほど気にしない社会を目指すべきか、真剣に考えるべき時期にきている。*3

コメント ミクロ経済学的な見地から、社会の様相を読み解くことを通じ、経済学的思考のセンスを磨くことを意図した本でであり、文体も平易で、軽やかに読み進むことができる良書。ここでいう「経済学的思考のセンス」とは、インセンティブの観点から社会を視る力と、因果関係を見つけ出す力とされている。例えば、所得の平等主義を過度に進めていくことは、人間の行動パターンを変化させ、人々が労働意欲を喪失することで、より多くの負担を社会全体に強いる結果となる。このような、人間の行動変化を考慮した上での費用と便益の分析を通じ、社会を様相を捉えることの重要性は、読後において強く認識することになるだろう。
勿論、マクロ経済学的に社会の問題を考えるセンス、技術というものも重要であり、ミクロ経済学的なセンスを磨いた上で、マクロの問題を考えていくことも、また、必要なことであろう。例えば、景気循環の局面によって社会の諸様相は変化するものであり、幾分でも、そのような観点に触れた方がよかったのではないかとも思う。
一見、経済学が取り組むべき問題とは関係がないように思えるプロスポーツのデータが、実は、経済学の理論モデルを検証する場として重要な意味を持つ、といった指摘については「なるほど」と思った。

*1:合成の誤謬

*2:履歴効果。

*3:この最後の問題を考える上では、...「機会の平等」が確保されているかは、本人のスタート時点における本人に帰属しない要因もコントロールしなければ解らない。つまり、家庭環境や親の職業が異なれば、その時点で、「機会の平等」があるとは言えなくなる。経済学における所得格差をめぐる議論は、その意味で、「結果の平等」の発想から抜け切れていないのではないか。だとすれば、結果として生じている格差を全て自己責任に帰するべきではない。...といった、社会学者からの批判についても考えてみる必要がありそう。