備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ダロン・アセモグル「技術と不平等」──解題のようなもの

※「◆」以降を追記しました(12/25/08)。グラフを差し替えました(12/27/08)

http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20081216/1229440307

 これは、全米経済研究所(NBER;National Bureau of Economic Research)のホームページに掲載されているDaron Acemoglu“Technology and Inequality”(NBER Research Summary)の全文を訳したものである。オリジナルの論文には、このほかに脚注として、参照された論文が明記されている。
 ここでは、この論文の内容を簡単に振り返るとともに、あわせて、我が国経済と不平等の現状と将来を考える上で焦点をあてるべきことは何かについて整理することにしたい。

技術革新と不平等の拡大

 近年、多くの先進諸国で不平等(格差)の拡大がみられる。経済成長と不平等との関係については、これまで、グズネッツの逆U字仮説というものがよく知られていた。主要産業が農業から工業へと進むにつれ、所得格差が相対的に大きい工業部門のウェイトが高まることかで、所得格差は拡大するが、その後、低所得層の政治力が拡大し法律や制度の整備が進むことにより、所得格差は縮小する。このため、不平等は、経済成長の初期の段階では拡大するものの、それがある程度進むと、今度は逆に縮小してくるというものである。
 ところが、近年では、逆U字曲線の動きが変化し、不平等は再び拡大するような傾向がみられるようになった。*1 この、近年の不平等の拡大について、アセモグルによるこの論文では、過去30年間において加速された技能偏向的な技術革新によってもたらされたものであるとしている。
 ただし、過去30年間における技術革新が技能偏向的なものであり、さらにそれが不平等を拡大するというのは、必ずしも自明にいえるようなものではない。19世紀における技術革新は、高技能労働に頼らずにいかに生産が可能か、という視点から発展したものであり、それによって、製品相互に共有することのできる部品が使用され、大規模な工場生産が可能となった。では、20世紀における技術革新が、19世紀型のそれとは異なり、技能偏向的なものであったとすれば、その背景にはどのような違いがあったのだろうか。さらにいえば、過去30年間には、高学歴者の飛躍的な増加がみられた。高学歴者の増加によって、高技能労働者の希少性が低下すれば、技能プレミアムは低下し、高技能労働者と低技能労働者の間の賃金格差は縮小するはずである。仮にこの間、技能偏向的な技術革新が加速されたとしても、それによって高技能労働者の希少性が高まったという事実がなければ、技能偏向的な技術革新を不平等の主因であるとみることには、やはり、経済学的にみて論理の飛躍があるといわざるを得ない。

技術革新を「内生的」にみる

 これらの事実は、技術革新と不平等との関係を考える上で、技術革新を「内生的」にみることの重要性を示唆するものである。また、技術革新を「内生的」にみることは、まさに、アセモグルの研究の本質にあたり、他の研究とは異なるもので、その研究にオリジナリティを与えるものである。
 技術革新と不平等との関係を論じる多くの議論は、技術革新を、マイクロチップ、パーソナル・コンピューター、インターネットなどと関連させ、いわばそれを「外生的」に捉えたものであるといえる。このところ飛躍的に発展した技術革新は、どこからともなく現れた「第三の産業革命」である、とみているのである。
 ところで、パーソナル・コンピューターの使用という技能が、その報酬にどのような影響を与えているかについて、大竹文雄「日本の不平等」には、かつて次のような論争があったことが記述されている。Krueger(1993)では、コンピューターを使用している労働者の賃金が、使用していない労働者と比較し、10〜15%高いことが指摘された。これに対し、DiNardo and Pischke(1997)は、能力が高い人がコンピューターを使用していることを示唆する結果を提示した。DiNardo and Pischke(1997)によれば、コンピューター使用にともなう報酬のプレミアムは、鉛筆の使用などにともなう報酬の「プレミアム」とほぼ同じものだということになる。このように、パーソナル・コンピューターの使用という技能が高いプレミアムを持つものなのかどうかについては、必ずしもはっきりとしたコンセンサスがあるわけではない。
 一方、アセモグルの研究は、技術革新を経済モデルの中に内生化し、経済主体相互の複雑な関係の中で、技術革新と不平等との関係に因果性が生まれることを指摘しようとするものである。技能偏向的な技術革新は、収益性の変化が、経済主体のインセンティブに働きかけることよってもたらされる。つまり、技術集約的な商品に対する需要の急速な拡大と、高技能労働者の供給の拡大が、企業行動を変化させることによって生じたとみているのである。
 通常、労働市場の均衡では、高技能労働者の供給の拡大は、その賃金水準を低下させる。

しかしながら、技能集約型商品の需要がことのほか大きくなると、供給の変化に対応した価格効果がはたらかなくなる。このため、高技能労働者に対する需要曲線は、通常のダウン・スロープではなく、アップ・スロープとなる。

このように、供給の増加が、通常もたらすであろう価格の低下を引き起こすことなく、高技能労働者の需要の増加によって、高技能労働者の賃金はさらに上昇することになるのである。市場規模の拡大が、価格効果を凌駕することになれば、技能偏向的な技術革新は、不平等の拡大につながることになる。
 また、この内生的技術革新の理論は、自由貿易の進展と不平等との関係、企業の採用活動や人事管理の変化、CEOの報酬の爆発的な拡大といった事実についても、論理的に整合的な説明を与えることができる。

我が国の経済政策に対する示唆

 我が国の不平等は、ほかのOECD諸国と同じように、近年、高まる傾向がみられた。しかしながら、その主たる要因として広く知られているのは、高齢化と世帯の小規模化である。人生のゴールにあたる高齢期において、それ以前よりも世帯間の不平等度が拡大するのは当然である、というのは、大竹文雄氏の主著(「日本の不平等」)にみられる指摘であるが、そのような考え方には一理あるといえるだろう。そうであれば、高齢化によって高齢世帯の割合が増加すれば、世帯間の不平等度が高まるのは当然であるし、何ら問題とすべきことではない。さらに、核家族化が進み、単身世帯が増加するという、我が国の世帯構造に長期的にみられる自然な変化によって、世帯間の不平等度は高まる。
 また、わたし自身がこれまで指摘してきたことは、1990年代の長期不況期において、世帯間の不平等度は大きく高まっているという事実である。このことについては、その間に生じた急激な失業率の高まりや、我が国に特徴的な雇用慣行と教育訓練のあり方によって、不況と不平等度の相互関係を論理的に理解することができる。そうであるならば、不平等を是正する上で必要な政策は、安定的な経済成長を可能とするマクロ経済運営である。
 これらの見地に立つと、我が国における不平等の拡大を、技術革新に結びつけて理解することは、今のところ、正しいとはいえないように思われる。加えて、技術革新が、市場規模の変化に起因して生じた内生的な変化であったとしても、安定的な経済成長を可能とするマクロ経済運営によって、あるいは、「雇用システム」(D・マースデン)の各国の違いによって、その後の不平等の拡大傾向には、大きな違いが生まれることになるだろう。不平等の拡大を是正するための政策を考える上では、それをもたらした要因だけでなく、マクロ経済情勢や教育と雇用をめぐる制度の違いといった前提条件を踏まえることが必要なのである。なお、これらの問題については、アセモグル自身も「さらに多くの研究を要する」と指摘している。
 わたし自身は、この論文の分析を、直接的に、我が国経済と不平等に対する政策的なインプリケーションとして用いることにはあまり賛成ではない。不平等の拡大を是正する上で必要な政策的なインプリケーションを得るためには、技術革新だけを注視するだけでは十分ではなく、各国ごとに異なるマクロ経済情勢や「雇用システム」を考慮する必要がある。とはいえ、このアプローチからの研究の重要性は、いささかも揺るがないであろうし、我が国の経済と不平等を考える上で、何らかの示唆を与えるものであることも事実である。

 不平等には各国ごとの違いがあり、日本は、米国よりも不平等の程度は小さく、OECD諸国の中では中程度とみられる。(北欧諸国や、フランス、ドイツと比較すれば高くなる。)また、賃金格差については、総じていえば、高まる傾向はみられない。*2日本における賃金上位層と下位層の間の格差が、どのようなメカニズムによって、より小さなものとなっているかを分析することには意義がある。少なくとも、労働組合の圧力によるとは考えにくく、企業内の人事管理・賃金制度や、それに影響を与える企業間、あるいは社会的な制度が、それをもたらしたと考える方に妥当性があるように思われる。
 日本における消費者物価(総合)と教育費目の物価の動きを比較すると、教育費目の物価上昇率は、これまで、総合のそれを上回っている。

 日本でも、このところ高学歴化は加速している*3が、その背景には、教育に対する需要の高まりが、その間、根強く継続していたことがある。その一方、企業における教育訓練はOJTを重視するもので、教育の履歴は、採用時におけるシグナリング以上の効果は持っていなかったとも考えられる。このように、日本では、技能に対する急速な需要の高まりがあっても、不平等の拡大をそれほど高めることがなく、そこに、米国とは異なる何らかのメカニズムがはたらいていたことが考えられる。
 ただし、このところ大きくなったといわれる株主の力や、それと連動した傾向と推察される業績・成果主義の広がりが、何によって生じ、また、どのように、今後の日本の不平等に影響を与えるのかを検討することは、重要なものといえよう。

*1:先進諸国における近年の不平等の拡大については、2007年版経済財政白書など、政府や国際機関の多くの文献において指摘されている事実である。

*2:http://www.oecd.org/dataoecd/29/2/38798939.pdf

*3:http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/03090201/003/002.pdf