備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

高校の社会科教育について

 自分の高校時代は、1年目に現代社会、2年目以降は、世界史、日本史、地理の中から1科目という時代でした。現代社会は受験に関係しないため、実質的には、世界史、日本史、地理の1〜2科目のみ勉強するという感じだったでしょうか。
 今になって不思議に思うのは、そもそも何故、世界史、日本史、地理なのか、ということ。社会にでてから本当に必要なのは、法律や経済の知識な訳で、世界史や日本史は、正直、哲学とか社会思想なんかと同じ並びなのではないかと。*1
 例えば、理科系の大学に進んだ場合、下手すると、社会に出るまで需要と供給の関係すらマトモに理解せずにいることになる。法律に至っては、強行法規と任意法規の違いすら解らずにいることになる。これでは、仮に自分よりはるかに特定分野における見識をお持ちの人でも、人に騙されてしまうのではないでしょうかねぇ。もしかしたら、理科系の人間の社会的地位が低いといった話も、この辺に原因があるのかも。これは、単なる個人の勉強不足という問題を超えて、制度的な問題であるような気もしないではない。
 自分なんかからみると、社会科学の専門家は、昔はどんな眉唾理論を語っているにしても尊敬の念を感じてしまうきらいがあった。この頃は、原則「科学的」に考えましょう的な意味での新教養主義みたいなものが浸透しているので、少しは、変なものは変、と感じられるようになっている。最近、たて続けに岩波書店に対する批判をネット上でみたのだが、こうした事態が生じたのも、この意味での新教養主義の影響であって、それがなければ、岩波書店もこの路線で十分いけてる可能性もあったのではないかと。
 しかも、この新教養主義の浸透にネットの果たした役割は相当大きいんではないかと思うわけです。昔は、大枚叩かないと得られなかったような情報も、今やネット上に氾濫している。最先端の議論でさえ、その気になれば、ネットだけで吸収できる時代な訳です。さらには、その筋の人との人間関係すらも、ネット上でつくることが可能。もはや、象牙の塔に入らずんば虎児を得ず、という時代ではない。まあ、一流ジャーナルへの掲載がなければ発言する資格がないといったような、あまりにも専門家を馬鹿にしすぎる匿名掲示板上の議論については、いかがなものかとは思います。それと、今でも、その筋の人間関係に入らなければ得ることのできないような、情報その他の社会的メリットがあるというのも、厳然たる事実。

(11/25付け追記)それにしても、ネットとリフレの関係性が強いとか、インフレ目標論を「非常に特殊な理論」とか、「科学的」ではない議論をする人々が、正に、その筋の人間関係べったりだったりしているところには、とても風流なものを感じますなぁwww

(11/28付け追記)ブックマークのコメントに関して。「下手すると」「マトモに」というところに含めた意図をお酌み取り下さい。まあ、どこまでが「マトモ」といえるのかは、人それぞれの解釈があるでしょうけど。

*1:自分の妹は高校の社会科教諭(世界史)なので、あまりでかい声では言えませんがwww