これから標記のテーマで連続的なエントリーを行いたい。これらは、これまで、本ブログにおいて述べてきたものを少しまとめて整理するもので、新たな観点を追加するようなものではない。(ブログ媒体は、本当は、こうした作業に向いたものではないが、他に公開できる場所があるわけでもないので。)しかし、この手の情報は、公開せず手元に置いていても、近いうちには陳腐化してしまうし、ブログ内にまばらに配置されていても、最終的には残らないように思える。(自分自身も、そのうちに忘れてしまうだろう。)少々手間ではあるが、ここでひと通り整理してみることにしたい。
ただし、一気に作業を終えるのは負担が大きいので、連載形式で書き進めることにする。第1回は、ニュー・エコノミーと格差についての理論と、その理論の根拠に対するあり得べき批判について論じる。第2回は、データ分析に基づいて、ニュー・エコノミーによって生じる格差の拡大は、必ずしも、日本の現実にあてはまるものではないことを指摘する。第3回は、近年の格差問題を構造的要因に求める見方が生み出す2つの志向性について整理する。この2つの志向性とは、市場の効率性を高め、経済の潜在的な成長力を強くすることへの志向性と、市場の効率性を犠牲にしても公平を目指す志向性であり、それぞれに異なった問題がある。第4回は、日本の格差問題の「問題の本質」は何だったのかを論じた上で1990年代に生じたマクロ経済の変調が人々の格差意識と主観的幸福に与えた大きなインパクトについて論じ、政策決定過程に内在する不都合について指摘する。最後に、ニュー・エコノミーと金融政策について考えたいが、この作業には、恐らく自分の知見を超えるものが必要であり、当面はお預けかも知れない。
これらの議論は、その後、幸福の経済学(あるいは幸福論)における論点と接合され、最終的には、将来に対する社会ビジョンを提示することが目標となる。ただし、本連載として、今現在考えているのは上述のあたりまで。
以下、連載を開始する。
ニュー・エコノミーと格差
2007年10月に公表されたIMF"World Economic Outlook"では、グローバリゼーションと格差について、ひとつの章を割いて分析している。この20年間、多くの国で所得格差が拡大した。階層別の所得シェアをみると、所得上位層のシェアが高まっているが、国別データからその要因を分析すると、情報通信技術の進展が主たる要因として表れる。その一方、グローバリゼーションが所得格差の拡大に与えた影響は小さく、海外直接投資の拡大による格差拡大寄与は、自由貿易の進展による格差縮小寄与によって相殺されている。
ここでは、情報通信技術の進展や海外直接投資の拡大は、高い技能を持つ労働者への相対的な需要を拡大させることで、所得格差を拡大させることが指摘されている。グローバリゼーションと知識社会化の進展によって、世界経済は新たなステージに入る。この「新しい経済」(ニュー・エコノミー)の下では、所得格差が拡大することは必定、ということになるのだろうか。ただしその一方で、貿易の自由化を進めることは、所得格差を縮小することに寄与してきたのである。
日本の格差問題とニュー・エコノミー
この議論は、国別データに基づくものであるが、個々の国の状況は様々である。しかし近年、日本でも格差の拡大が指摘され、その要因としてのニュー・エコノミーが語られるようになった。
例えば、山田昌弘は、グローバリゼーションとIT化による産業構造の変化がもたらす雇用への影響について次のように語る。
1990年頃から顕著になる新しい産業形態は、雇用を二極化させる。
企業は、ニューエコノミーの中で生き残るために、クリエイティブな能力、専門的知識を持った労働者を必要とする。それと同時に、マニュアル通りに働く単純労働者も必要とするのである。(中略)このように、二極化する仕事を前にして、企業は、雇用行動を変えざるを得ない。それは、専門的・創造的労働者は、企業に必要な中核的労働者として、自社で育て、抱え込み、長時間働かせようとする。しかも、他の企業にとられないように、給与を上げざるを得ない。一方、代わりが利き、マニュアル通りに働けばよい単純労働者、サポート労働者は、コストを下げるために、派遣社員、アルバイトに置き換えようとする。(「希望格差社会 「負け組」の絶望感が日本を引き裂く」)
さらに山田は、1995年がニュー・エコノミーのプラスの側面が現れた年であるのに対し、1998年は、その負の側面が一気に噴出した年だとする(同書)。被雇用者に占める非正規雇用者の割合は、1990年後半から急速に拡大している。確かに、パソコンやインターネットの普及率は、1990年に入り急速に高まった。1990年に10%程度であったパソコンの世帯普及率は、現在は8割弱の水準にまで高まっている。我々の身の回りに生じているこのような変化が、経済の大きな転換を予感させるものであることは否定できない事実であろう。
ニュー・エコノミーの進展が格差を広げる理論的根拠と批判的視点
ではなぜニュー・エコノミーは、所得格差の拡大をもたらすのだろうか。これについては、下図のような、2つにセグメント化された労働市場の存在によって説明することができる。
これは、ニュー・エコノミーの下での労働需要の拡大高まりが所得格差を拡大させるメカニズムを図示したものである。高い能力を持つ労働者の労働市場(高技能労働市場)と、非正規雇用などそれを持たない労働者の労働市場(低技能労働市場)の間には「越えられない壁」が存在し、前者に対する労働需要の高まりが、高技能労働市場における賃金上昇を引き起こし、労働需要が変化しない低技能労働市場の賃金との間の格差を拡大させる。
しかし、果たして、日本経済には「越えられない壁」によって分断された労働市場が存在し、高技能労働者に偏った労働需要の高まりによって格差が拡大したのだろうか。現実には、この間の労働需要は少なく、完全失業率は大きく高まっている。
さらに言うと、労働市場が柔軟である場合、労働需要の高まりは、所得格差をむしろ小さくすることも考えられる。下図では、労働市場は同じく2つにセグメント化されているものの、それらの間は「越えられない壁」によって分断されているわけではない。
この場合、これまで低技能労働市場にあった者の一部が、企業の人材の掘り起こしによって高技能労働市場に移行する。労働供給が拡大することで賃金が低下し、高技能労働市場の供給曲線には変化が生じる。このため、労働需要が拡大したにも拘わらず、最初のモデルの場合のように賃金が大きく高まることはない。一方、低技能労働市場への労働供給は縮小し、労働者の希少性が高まることで低技能労働者の賃金水準は高まることとなる。こうしたメカニズムによって所得格差は縮小する。
逆に言えば、景気の後退によって労働需要が低下すれば、高技能労働市場は、より技能水準の高い労働者に絞り込まれ、低技能労働市場の労働供給圧力が高まることで低技能労働者の賃金は低下する。1990年代以降の長期不況下で生じた非正規雇用割合の急激な上昇は、このモデルの含意を適用することで説明することが可能だろう。また、こうした背景から、1990年代の長期不況下での所得格差の拡大も生じていたと推測できる。