ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

八代尚宏『労働市場改革の経済学 正社員「保護主義」の終わり』

労働市場改革の経済学

労働市場改革の経済学

 八代尚宏労働市場改革の経済学 正社員「保護主義」の終わり』では、「労・労対立」を主たる論点としている。「労・労対立」とは、同一企業に勤める労働者でありながら、属性の違う労働者(例えば、正社員と非正社員)の間に利害の対立と雇用の格差が生じることを意味している。なお、同書では、必ずしも正社員と非正社員の間の対立だけを意味しているわけではない。
 「労・労対立」はいかにして生じるのか。八代は、これを、日本の経済成長率が低下し、世界経済の中での日本経済の相対的な地位が低下する中で、これまでの日本的雇用慣行は機能不全に陥り、これを低成長下の経済に適合するよう変えてこなかったことによって生じたとする。派遣労働の規制などは緩和される一方、正社員の解雇に関する予見可能性の不確かさはそのまま残され、これによって、企業は正社員の採用を抑制するとともに、非正社員の雇用を増加させたとみる。

 日本的雇用慣行については、つぎのように解釈されている。まず、長期雇用については、これを従業員の雇用を保障するパターナルな慣行とはみず、企業にとって合理的な仕組みであったとする。日本企業では、新規学卒者を定期採用し、OJTと広範囲の配置転換によって技能形成することを重視する。このため、早期に離職することになれば、それまでの教育訓練費用が無駄となる。企業は、従業員を企業内にとどめるため、若年時には労働生産性よりも低い賃金、高年齢には高い賃金とすることで、従業員が教育訓練費用を持ち逃げしないよう「担保」をとる。これがすなわち年功賃金制度である。年功賃金制度については、先にみたように、技能が高まるに応じて賃金も上昇するとみる人的資本理論による解釈もあるが、八代は、人的資本理論だけでは、定年後の再就職によって給与が大きく減額される理由を説明できないという。
 企業別労働組合については、日本企業の従業員(正社員)は、年功賃金制度によって企業への「出資」を行っているものとみることができ、そのため、短期的な賃金よりも、企業が長期的に存続し将来「配当」の形で見返りを得ることを重視していると考えれば、企業別組合が企業と協調的な行動をとる理由を説明できるという。
 日本的雇用慣行は、このように、企業にとってはこれまではきわめて合理的な制度として機能してきたが、労働者にとっては、一面として生活に制約をもたらすものでもあった。八代は、経済が停滞し、労働者の働き方にも多様性が求められるようになった現在にあっては、企業内での教育訓練や仕事の経験を通じて労働生産性を高めるよりもむしろ、衰退部門から成長部門へと労働が移動することで労働生産性を高めることが重要だとする。こうした側面からみると、日本的雇用慣行は成長に対する足かせになる。さらに、日本的雇用慣行は、景気循環の調整弁となる労働者を必要とし、低成長下の経済にあってそれが肥大化したことが、今日の非正規雇用問題につながっているとみる。

職業訓練の二つの側面

 八代は、今日、日本的雇用慣行は労働移動を妨げ、労働生産性の上昇を抑制することで、低成長の要因となるとみている。しかし、実質消費が抑制された定常的世界では、労働生産性の上昇は物価の下落となり、「基本的な心理法則」から実質所得の上昇は貯蓄の増加につながり、翌期の名目所得は減少することになる。つまり、定常的世界では、労働生産性の上昇はデフレを引き起こすのである。
 労働移動のためには、職業訓練が重要な政策課題となる。しかし、職業訓練にも二つの側面があることはあまり理解されていない。確かに、低成長下にあっても、政府は職業訓練の機会を失業者に積極的に提供し、職業紹介の機能を高めるなどの就労化政策を行う。しかし、1990年代後半以降の日本経済をみればわかるように、この間、名目所得が停滞を続ける中で、失業者は増加し経済的格差は拡大した。国家による職業訓練はむしろ規律の要求や労働の強化を想起させるものとなり、長時間労働を行う労働者の割合は増加した。*1就労化政策は、否応なく働かざるを得ず低賃金労働から抜け出すことができないという「低賃金の罠」を生み出すことにもなっている。*2
 とはいえ、求める仕事がなく、生活を維持する必要がある人間を目の前にして、「労働移動を進めればよいという議論は誤り」などと悠長な発言をするのは、率直にいって欺瞞である。いま目の前に求める仕事がないのであれば、視野を広く持って求職活動を行うよう促し、そのために必要な職業訓練の機会を提供することは、政府として当然の役割であろう。このような状況下で「景気が回復するまで待て」ということが正しいなどと考えるのは、「安全地帯」にいる人間だけである。景気の回復が望まれるのはいうまでもなく、当たり前のことである。

 しかしこれは、職業訓練の一つの側面に過ぎない。もう一つの側面は、供給制約下にあって、労働生産性を高めることで経済成長を達成するため、必要となる職業訓練である。例えば、OECDの雇用戦略にあるつぎの言葉は、職業訓練こちら側の側面に依拠しているものと考えられる。

D.労働力のスキル/コンピテンシーの開発を促進する
D.1 人的資本の蓄積は、経済成長と社会的目的の実現に主要な役割を果たすものであり、政府は高い質の初等教育を促進し、各国の慣行と整合的な場合はソーシャル・パートナーと協調し、労働力スキルの改善につながる次のような取組を設定すべき。
(以下略)

http://www.oecdtokyo2.org/pdf/theme_pdf/employment_pdf/20060613jobstrategy.pdf

 これが、八代のいう労働移動にとって不可欠な職業訓練であり、同時に、不況下の現在、その充実が求められている職業訓練とは性格を異にするものである。しかし、職業訓練こちら側の側面を必要とするような経済環境下では、日本的雇用慣行は、その技能育成面を含め、十分に機能し得るものであった。また、職業訓練こちらの側面については、日本の雇用システムに適合するような議論がこれまで積み重ねられることはなかった。このため、職業訓練のこうした側面の違いについては、これまで十分に認識されることはなかったと推察される。

 端的にいえば、八代の議論は、順序を取り違えたものとなっている。低成長経済にみあう形に日本的雇用慣行を変えるのではなく、日本的雇用慣行がこれまでのように機能し得るよう、いまのマクロ経済政策の問題点を洗い出すことが必要なのである。制度の問題を考えることは、そのあと、供給制約の問題がより顕在化する中での話である。

(参考)

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20091221
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-1f56.html

*1:労働時間が週60時間以上の雇用者の割合は、1990年代半ばから景気後退が終わる2003年まで傾向的に増加しており、特に、男性中高年層で増加している(厚生労働省『平成19年版 労働経済白書』121〜123頁)。

*2:阿部彩『子どもの貧困──日本の不公平を考える』など。