ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

アダム・スミスの幸福観──堂目卓生『アダム・スミス 『道徳感情論』と『国富論』の世界』

 本書において著者は、アダム・スミスの幸福観に関し、つぎのように述べる。まず、スミスにとっての幸福とは、心が平静なことであるとし、この点において、ストア哲学の幸福観の影響を認める。しかし、幸福と財産との関係については異なる見方がとられ、スミスにとって、幸福であるためには、「健康で、負債がなく、良心にやましいことがない」こと、特に、その社会における「最低水準の富」を保持していることが必要であり、「最低水準の富」がないと、人間は悲惨な状態に陥るとする。
 一方、ストア哲学では、賢人とは、あらゆる状態において精神の不動を保つ人である。この点はスミスの見方とは異なっており、スミスの考える賢人は、幸福であるために「最低水準の富」を必要とする。

 自分は世間から無視され、あるいは軽蔑されていると思うことは、人間の希望をくじき、心の平静を乱す。無感覚にならない限り、あるいは社会との関係を完全に断ち切らない限り、私たちは、自尊心を傷つけながら生きていかなければならない。人間にとって、これほど辛く惨めな状態はないであろう。

ただし、「最低水準の富」を保持していれば、それ以上の富の増加は幸福に影響しない。なお、スミスの考える賢人とは、胸中の「公平な観察者」が是認するようつねに行動する者である。すなわち、あらゆる情念や利害関係等から自由な立場で判断することができれば、「最低水準の富」を超える富は、人間の幸福とは無関係だということになる。

 しかし、それは賢人の場合であって、大抵の人間は「弱い人」であり、「最低水準の富」を保持していても、さらにおおくの富を欲する。こうした人々は、自らの胸中にある公平な観察者が是認するよう行動することなく、自らをだましつつ(自己欺瞞)、財産への道を進むことになる。このような人々の行動を規定しているのは、他者から是認されたい、他者から否認されたくないという人間の本質的な願望であり、これもまた人間のもつ同感の作用であり、すなわち、人間が社会的な存在であることの帰結である。スミスの人間観にしたがえば、人間とは、本質的に他者とのつながりを求める存在だということになる。
 「弱い人」が欲する富とは、他者の承認があってはじめてその人に価値をもたらすものであり、財産を欲することは、顕示性を欲することにほかならない。そうした顕示性は、しかし実際に満たされてしまうと、実に取るに足りない愛玩物以上のものではないことを理解する。これは、貨幣を蓄積することの無意味さ、ということにもつながる。貨幣は、貨幣そのものが価値をもつわけではなく、商品と交換することではじめて価値を生む。しかし、「弱い人」は貨幣そのものが富であると錯覚する(貨幣錯覚)。人間は、自己欺瞞によって、貨幣錯覚に陥るのである。

 終章において著者は、『道徳感情論』においてスミスが死の前年に書いた文章を引用しつつ、次のように述べる。

 スミスは、真の幸福は心が平静であることだと信じた。そして、人間が真の幸福を得るためには、それほど多くのものを必要しないと考えた。エピルスの王の逸話が示すように、たいていの人にとって、真の幸福を得るための手段は、手近に用意されているのだ。与えられた仕事や義務、家族との生活、友人との語らい、親戚や近所の人びととのつきあい、適度な趣味や娯楽。これら手近にあるものを大切にし、それらに満足することによって、私たちは十分幸せな生活を送ることができる。また、木の義足をつけた人の話が示すように、たとえ人生の中で何か大きな不運に見舞われたとしても、私たちには、やがて心の平静を取り戻し、再び普通に生活していくだけの強さが与えられている。

 だが、スミスは「弱い人」が進むことになる財産への道を否定したわけではない。世の中が賢人だけであれば、一定以上の社会の発展は望めない。このとき、社会格差が存在すれば、おおくの人は「最低限度の富」を得ることができない状況に陥る。人々が、自己欺瞞によって「最低限度の富」よりもおおくの富を欲することは、社会が発展するための原動力である。
 ただし、財産への道を進む「弱い人」の野心は、フェア・プレイの精神、正義感によって制御される必要がある。賢明さと弱さという人間の性質にはそれぞれ社会的な役割があり、社会の秩序が維持されたもとで、利己的な自愛心による人間の行動は、「見えざる手」によって社会の発展を導くことになる。
 もちろん、一定以上の社会の発展が望めなくとも、再分配政策によってすべての人に「最低限度の富」をあたえることはできる。しかし、再分配政策による「施し」だけでは、世間の軽蔑や無視から自由になるわけではない。スミスは、再分配政策を明確には支持しておらず、あたえるべきなのは「施し」ではなく「仕事」であるとする。また、スミスは再分配政策を支持しないのと同時に、政府の浪費が資本蓄積を遅らせ、自然的な経済の進歩を抑制するとも考えている。