ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

タイラー・コーエン(久保恵美子訳)『フレーミング 「自分の経済学」で幸福を切りとる』

フレーミング「自分の経済学」で幸福を切りとる

フレーミング「自分の経済学」で幸福を切りとる

 フレーミング効果とは、行動経済学で提示される人間のもつ代表的なバイアスのひとつである。例えば、アンケート調査などで、質問の仕方によって同じ内容でも違った印象をあたえ、ポジティブにもネガティブにも感じられることがある。合理的な回答が一意にきまるものであれば、こうしたバイアスは、非合理的な回答に誘導するものになる。すなわち、フレーミング効果は、特に経済学の規範の中では克服すべき対象であり、避けるべきものだということになる。
 ところが、本書の著者であるコーエンは、フレーミング効果は、使い方によっては人間の役に立つものになるという。さらにいえば、このようなものの見方をさらに推し進めることで、現代の市場経済の将来像を、くそまじめで「左翼的」(?)な批判とはおおよそ異なる形で、より多様でおおくの人を受け入れることのできるような仕方で描き出そうとする試みを行っているようにも感じられる。

 本書ではまず、iPodiPhoneなどで容易になった「情報の整理」についての意味づけと、「自閉症スペクトラム」と著者がよぶ人間の性向との関係について考える。「情報の整理」は、個人にとって、物事をより有効に、その個人「だけ」の効用を高めるような形でフレーミングすることを可能にしてくれる。

普通、フレーミング効果は避けるべきものだと思い込まれている。確かに多くのフレーミング効果は非合理的なものだが、この効果は生活に気合を入れるのに役立つ。われわれは時間と労力を費やして物事を正しくフレーミングし、その事柄をもっと楽しめるように、あるいはそれからもっと学べるようにしている。フレーミングによって、人は物事に注意を払いやすくなり、経験が意味をもつようになる。新しいジャガーを買う余裕もなく、ふところの危機に備えて家に引きこもっているようなときに、それをうまくいくようにしてくれるのが適切なフレーミングなのだ。頭を上手に整理すれば、自分自身のフレームをつくり出すことができ、それによって自分だけの経済を創造できる。*1

 ここに「自分だけの経済」という言葉が登場する。この言葉の定義は必ずしも明確には書かれていないが、選択に際しての評価の基準が自分固有のものであるような「経済」を指しているようである。またその「経済」は内面的なもので、情報や文化の比較的小さなパーツを選択し、自分だけの経験世界を組み立てる。「自分だけの経済」を創造することは、iPodiPhoneのような情報機器を使用することで容易になった。小さなピースを組み合わせた文化は、手に入れることが困難でアクセスするためにおおくの手間や費用を要するかつての文化以上に、個人の内面生活を豊かにしてくれる可能性がある。

 内面的な楽しみの量と質が高まることは、学習や娯楽にかけるお金を節減し、「自分自身に物語る」時間を増加させる。

 (経済学者のトーマス・)シェリングは、われわれは記憶や予測、空想、夢想を通じて、物語を「消費」していると強調する。ラッシーの番組などの具体的な財・サービスは、空想に秩序と規律を植えつけ、精神的生活をもっと揺るぎのない、一貫性のあるものにするのに役立つ。*2

 一般的に、大多数の人々にとっては、物語とは、成功した有名人のような社会的に目立つものである。コーエンは、これを同じくシェリングの「フォーカル・ポイント」という概念によって説明している。フォーカル・ポイントが単純明快なものになりやすいことは、「自分の物語」が単純明快な話になりやすいことでもある。また、フォーカル・ポイント的な物語が少ないと、自分の人生で達成したいと思うことについての柔軟性のある物語を十分にもてなくなる。物語には粘着性があり、一つの物語から別の物語へと切り替えることは容易ではない。さらには、政治家や広告主などによって、われわれの物語は操作され得るものでもある。
 ところが、「自閉症スペクトラム」に該当する性向をもつ人々には、こうした問題に対する上での強みがある。特定の物語に執着することがなく、自分自身の脳内整理でおおくの価値を創りだすため、数々の高価な商品によって仲立ちされる物語を必要としない。*3このような傾向は、前述のような情報機器の進化によって、これまで自閉症とは関わりをもたなかったおおくの人にもなじみのあるものとなっている。

 当然のことながら、経済の内面化によって、効用を高めることにおおくの費用を要しないようになることは、現代の市場経済にとっての脅威である。コーエンは、以前に取り上げた『大停滞』の中で、”low-hanging fruit”──それに投資することで大きな付加価値が生み出され、雇用と所得の増加によって人々の生活水準を引き上げることができるような技術──が失われたとする一方、日本では経済は停滞しているが、日本人はよい生活を続けていることを述べている。*4このような見方は、本書にいう経済の内面化とも密接な関係があると思われる。

http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20110511/1305066893

 本書の先にある現代の市場経済の将来像は、成長に対する悲観という意味では「反経済学」的な要素をもっているが、その一方で、人間の内面における効用が今後もさらに高まっていくことには楽観的である。ただしそこでは、一律的な指標による「幸福度」や、社会科学的な手法などでは捉えることのできない多様性が評価されるのであって、従来の経済学と本書のアプローチには違いも生じる。この点については第六章で説明されているが、独創的でかつ興味深いものである。

*1:太字は引用者

*2:( )内は引用者

*3:つまり、このブログでもよく取り上げ重要視してきた「顕示的消費」は、経済の内面化と適切なフレーミングによって、その重要性を失うことになる。

*4:本書でも、コーエンは、日本の文化を高く評価している。