備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ヌリエル・ルービニ、スティーブン・ミーム『大いなる不安定 金融危機は偶然ではない、必然である』

大いなる不安定

大いなる不安定

 2008年秋以降に顕在化する金融、経済危機を通じその名が知られるようになったエコノミストはおおいが、本書の著者の一人であるヌリエル・ルービニもまたそうしたエコノミストのひとりとしてあげることができる。一部では、経済悲観論者の代表ともみられているルービニは、世界経済が「グレート・モデレーション」とよばれる超安定期にあった2006年頃から、現在の景気は持続不可能であることを主張した。また、その後の金融、経済危機では、アラン・グリーンスパンの議会証言を引用した「100年に一度」というたとえが広く使われたが、ルービニはまっさきにこの見方を否定し、あまねく金融、経済危機は「ブラック・スワン」(ナシーム・ニコラス・タレブ)ならぬ「白い白鳥」であり、それはバブルから始まり、予測可能な進路をたどって大惨事へと至ることを指摘する。

 金融、経済危機の原因がどのような意味において類似しているのかをみる前に、まず本書では、危機の経済学者として、ケインズとともにハイマン・ミンスキーの存在の重要性をあげていることに注目すべきであろう。ミンスキーによれば、不安定性は資本主義の本質的で不可避的な欠陥である。ミンスキーは債務者を資本調達の性格によって、(1)現在のキャッシュフローで債務の利子と元本をともに返済できる「ヘッジ金融主体」、(2)現在のキャッシュフローで利子は支払えるが元本は返済できない「投機金融主体」、(3)現在のキャッシュフローでは利子も元本も返済できない「ポンジ金融主体」の3つに分類する。ちなみに3番目のポンジ金融主体は、通常は破たんを免れないが、経済の好調が持続すると期待できるときは、資産価格の上昇によって破たんを免れることができる。投機ブームが持続しバブルが発生する時期には、債務者に占めるポンジ金融主体の割合が高まり、金融危機が起こる条件が整えられる。
 今回の金融、経済危機では、サブプライムモーゲージの問題が指摘されたが、これは問題の一端であるにすぎない。投機ブームは、米国金融機関における「代理人問題」によって増幅され、広範なモラル・ハザードが生じることになった。証券を組成する銀行には、裏付けとなるローンが完済されるようにするために必要な監督やデュー・デリジェンスを行うインセンティブがほとんどない。すなわち彼らは、組成した証券を販売することで手数料を稼ぐとともに、ローンのリスクは簿外へ移すことだけを意図していた。複雑な証券化スキームはリスクの所在を見分けることを困難にし、いったん危機が生じると、売りが売りを呼ぶことで、またたく間に市場全体にショックが及ぶことになった。
 ほかにも今回の金融、経済危機をかつてない大きなものにした要因には、影の銀行システムの肥大化、格付け会社の利益相反、OTC取引における透明性の欠如、巨大保険会社のCDS依存の高まりなどさまざまなものがあった。こうした要因を変えていく方向性と提言は、本書の第8・9章で整理されている。しかし同時に今般の金融、経済危機もまた、過去のそれと類似した背景をもつものである。それは一つには、民間部門のあらゆる部分で債務比率が上昇し、投資のレバレッジが高まったこと(これには債務者に占める「ポンジ金融主体」が高まったことも付随して生じている)である。そしてもう一つは、影の銀行のほとんどに共通してみられた深刻な満期ミスマッチ、すなわち短期の流動的な市場で借りた資金を、長期の非流動的な資産に投資していたことである。これらはいったん危機の「引き金」が引かれると、正常化は困難である。金融システム全体が崩壊する可能性をもつシステミック・リスクを米国経済は内包していたことになる。

 このように、危機の経済学としての本書が主眼とするのは、金融システムの変革であり、これについて詳細に論じた第8・9章が白眉であることはいうまでもない。しかし、本書は同時にマクロ経済の問題にも迫っている。第一に、グローバル・インバランスの持続不可能性が論じられ、いわゆる「新ブレトン・ウッズ体制」が予測可能な将来にわたって続き得るとする見方が批判される。この体制は不安定であり、米国の財政赤字と経常赤字に歯止めが利かなくなると、各国中央銀行の外貨準備に占めるドルの比率は低下する。この傾向が緩やかに続くうちは問題がないが、ドルが突然、無秩序に衰退すると、どのような事態になるのか予測できない。
 第二に、金融政策においてバブルのリスクを注視すべきであるとする。アラン・グリーンスパンFRB議長は、金融市場に異変があれば金融緩和、特別な信用供与、最後の貸し手としての支援によって救済するという予測(グリーンスパン・プット)を金融市場に与えることで、金融機関のモラル・ハザードを助長した。実際に今回の金融危機でも、量的緩和政策などインフレによって、金融システムと政府の債務問題を一挙に解決するという解決策の指摘がなされている。しかしルービニらは、これはドルが突然に暴落するリスクをさらに高めるものだという見方をとる。

 この「金融の恐怖の均衡」のために、中国がアメリカの財政赤字や経常赤字への資金提供を中止する可能性はないように思える。中国が外国為替市場への介入を中止すれば、ましてやドル資産を投げ売りすれば、輸出競争力の面で深刻な打撃を受ける。しかし、政治的緊張が高まり、アメリカがドルの価値を引き下げる行動をとれば、中国はたとえ一時的に打撃を受けるとしても、交渉のテーブルから立ち去るだろう。この結末は、冷戦のピーク時の核戦争と同様にあり得ないと思えるだろうが、想像もつかない事態ではない。
 こういったリスクを考えれば、アメリカ政府は、わずかばかりのインフレを利用して債務を減らしたいという誘惑が強くても、政府債務を軽減するために紙幣の増刷に頼ることはないだろう。とはいえ、慎重な政策担当者は、こうした解決策のコストとそれに付随する被害が、壊滅的ではないにしても、かなり大きいことを知っておくべきである。

 ルービニらは、今後の世界経済の行方を緩慢で期待はずれな景気回復という「U字型」においているが、この見方は、上述のようなリスクに対する次善の方法という背景をもつものである。

 なお、本書は「エコノミストが選ぶ2010年経済図書ベスト10」(日本経済新聞社)の第6位に選ばれており、おおくのエコノミストの評価を受けたものであることを指摘しておく。

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959AE0E2E2E2EB8DE0E2E3E0E0E2E3E29F8893E2E2E2