第二は、既存労働者の既得権を過度に守らないようにすることである。解雇権濫用法理では、従業員の解雇を行うためには、新規採用を抑制して雇用維持努力をしていることを一つの要件としてあげている。既存労働者の雇用保障の程度が高ければ高いほど、既存労働者は賃金切り下げに反対する。それは結果的に、若者のフリーターを増やし、所得格差を拡大することになる。
第三に、既存労働者が実質賃金の切り下げに応じやすい環境を作ることだ。デフレ環境では、実質賃金を引き下げるには、名目賃金の低下を受け入れる必要がある。しかし、インフレのもとでは労働者は実質賃金の切り下げを受け入れやすい。最低限名目賃金の維持さえ獲得できれば、労働組合委員長の面子も立つのではないだろうか。また、デフレでもなかなか低下しない教育費、住宅ローンについても、デフレに応じて負担を減らすことができるような制度を組み込むことが必要だ。そうすれば、既存労働者が名目賃金の引き下げに反対することで、潜在的な労働者である若者が不利な立場に立たされることもなくなり、日本企業の長期的な成長力が低下することもない。
コメント いわゆる「フリーター」の増加などの若年労働問題を考えるとき、マクロ経済状況を所与とすれば、①非正規労働にみられる基幹化の流れに応じ、その処遇を正社員との均衡がとれたものにしていくこと、②現在、欧州大陸諸国と同水準にある正社員の雇用保護規制を緩和し、アングロサクソン諸国並みにする(実際、後者の国々では、テンポラリー雇用比率は低い)、という二つの処方箋が自然と思いつく。
①の処方箋は、マクロ経済状況が好転している現在、ようやくそのフィージビリティを感じられるようになってきているものの、仮に、景気の回復が持続的なものではなく、今後雇用のパイが縮小することにでもなれば、むしろ、雇用機会は縮小し、正に、「地獄への道を善意で舗装」することになるだろう。また、同一労働同一賃金のような、物差しのはっきりしない原理を掲げて企業行動に制約を課すことになれば、無用の混乱を招くことになる。
一方、大竹先生のいわれる②の方向性については、正社員の将来に向けた雇用確保という期待にマイナスの影響を与えることで、消費が縮小し、マクロ経済状況に悪影響を与えることが懸念される。*1実質賃金については、インフレによって名目賃金を維持しつつ実質賃金を切り下げることが可能となり、それを労働者が受け入れやすくなることは確かだとしても、労働分配率がここまで低下している現在、「名目賃金の維持」で良しとするような提案をすることの意義が全く理解できない。現下においては、むしろ一定のベースアップを確保し、デフレからの脱却を確実なものとするよう側面支援することが適切な方向性ではないのだろうか。無論、デフレからの脱却は、将来の不確実性を低下させることで企業の採用意欲を高め、景気に対する感応度が大きい若年失業率の低下を通じて、若年労働問題にも好影響を与える。
景気回復と教育訓練の重要性については、全くそのとおりだと思うし、後者については、企業内の教育訓練機会だけではなく、その外側にも、教育訓練が可能な場を整備していくことが重要で、その点についても異論はないものと思うが、一方で、企業内における長期勤続を通じた人的資本の向上という、これまでの日本の雇用システムの強みとされてきた要素も維持していく必要があるのではないか。この視点からみても、今あえて、雇用保護規制の緩和を唱えることには疑問を感じるし、今後の論調の動きにも危険性を感じつつある。*2
*1:(追記)この点についての労務屋さんのコメントによれば、解雇権乱用法理を緩和する必要はないが、賃金などは使用者がもっと柔軟にコントロールできてよい、とするもの。賃金については、現時点においても、定期的な給与と比較し、業績・成果に応じて変動しうる賞与等のウェイトが高まっており、このような環境はできつつあるのかも知れない。
*2:といいつつも、この最後の問題については、日本のコーポレート・ガバナンスの特徴など、社会における他のサブ・システムの変化の方向性とも合わせて考えていく必要があるように思う。S・ジャコービィ先生が言うように、日本の社会システムは、バンドワゴンに乗りながら、アングロサクソン諸国的なスタンダードに向けて、今後もさらに変化していくのかも知れない。日本版SOX法など、企業経営をめぐる喫緊の変化も、企業内での財務部門の優位性を高めていく可能性があるか。