備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

稲葉振一郎、松尾匡、吉原直毅「マルクスの使いみち」

マルクスの使いみち

マルクスの使いみち

はじめに

第1章 『解体と再生』その後

  • 新古典派に対する批判として、企業をブラックボックス、或いは内部がない点アトムとして扱っている、というものがあるが、ゲーム理論的、あるいはP-A問題などの枠組みを用いた研究が進行。科学的手法に抽象化や理想化は避けられず、新古典派を批判するマルクス経済学は、核心をつかむリアルなモデルをいつまでも求め続けているばかり。マルクス主義は、個人が社会を生成するばかりでなく、社会が個人を生成することを強調し、新古典派には後者のルートがないことを批判するが、新古典派は、方法論的個人主義を科学的分析手法として便宜的に使用しているだけ。

第2章 搾取と不平等

  • ジョン・ローマーは、「マルクスの基本定理」(利潤があるならば必ず搾取がある)以来のモデルを数理化し、搾取理論を合理的選択の枠組みの中に落とし込むことでナッシュ均衡として搾取を捉え、格差が存続する経済モデルを示す。ボールズ&ギンダスは、「一般化された商品搾取定理」により、搾取は(労働力だけでなく)あらゆる商品に生じ、搾取なき経済は成立しないことを示す。これらの成果を踏まえ、ローマーは、搾取概念で資本主義批判を行うことをやめ、格差、不平等それ自体を問題にする(分配的正義論)*1。「対応原理」によれば、人が所有している富=(労働力ではない)譲渡可能な資産と、階級的位置と、搾取されているかされていないか、とはきれいに対応する。
  • 価値生成機能を有する生産要素は労働だけとは限らない、との前提に立つと、投下労働時間と必要労働時間の格差が意味するものは「剰余労働の掠め取り」である、との解釈に動揺をきたす。利潤は、市場における資本の労働に対する相対的希少性ゆえに、その資本財の所有主体である資本家に帰属すべく派生するレント(賃料)であると説明可能。

第3章 公正と正義

  • オーソドックスなマルクス主義の仮説によれば、資本主義の発展により生産技術が高度化していくと、労働者のスキルや科学技術に関する知識も向上していき、変革主体としての力量も高まる。一方、ハリー・ブレイヴァマン(ニューレフト)の批判によると、先進国の労働現場においては労働の断片化・スキルの不熟練化、経営資本家による厳しいコントロールが進んでいる。さらにケインズ的な福祉国家により、労働者は消費生活で満足。これを体系化したのがレギュラシオニストによるフォーディズムの概念。
  • 資本主義とローマー型市場社会主義の本質的違いは、主要な(大)企業は私的所有でなく「公的所有」。ただし、「国家的所有」とは異なり、利潤請求権を全ての成人市民に均等に配分。利潤請求権とは、「運用資金」をどの企業にどれだけ投資するかの決定権を意味し、個人は「運用資金」の利用権を自由勝手に譲渡・売買・相続などの形で処分できない。福祉国家が生産活動後の再分配を問題にするのに対し、ローマー的市場社会主義(或いはロールズ的財産所有民主主義)は、初期条件の均等化によって分配的正義の基準に適う経済的資源配分の実現を目指す。

『たたかいの朝』

地上の自由へ−名だたるものを追って、氷ばかりつかんで

コメント 新古典派経済学的な経済社会の捉え方を肯定し、その上で、マルクス主義的な経済社会の捉え方を批判的に検討する。その中で、ローマー等のアナリティカル・マルキシズムの方法を、現在の「主流派」経済学の中に、マルクス的(或いは左派的)な立場から、対抗軸を作り上げる可能性のあるものとして抽出する。本書は、そのような方法があることを知らしめること、その啓蒙のために著されたものとみることができよう。本書からの知見として重要な点は、科学的手法とは何か、或いは科学的に考えることとはいかなる意味を持つのか、というところにあると思われる。旧来のマルクス主義では、核心をつかむリアルなモデルをいつまでも求め続けるだけで、科学的手法に必要な抽象化・理想化がなされず、「気合いと根性」とか、過度なモラリズムとかに規範的基準が置かれることにもなる。こうした議論の仕方では、現在の「主流派」経済学に対抗して、説得力のある別流の方法を構築することはできない。マルクス的(左派的)な立場から対抗軸を構築するためには、このような一群の議論を放棄し、数理化された均衡論的モデルによって語ることが、(その「語り」に賛同するか否かはどうあれ)より意義のあることなのではないか。
 最後にもう一点、「搾取」についてであるが、前著「「資本」論」のエピローグとも関連して、新たな視点を生じさせる可能性が垣間見られる。*2(06/20修正)

*1:分配的正義に係る様々な基準についてはp.147-。「機会の平等」をめぐる佐藤俊樹氏の議論とも関連する。

*2:が、この点については、もう少し考えてみる必要あり。