備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

野口旭編著「経済政策形成の研究 既得観念と経済学の相克」

経済政策形成の研究―既得観念と経済学の相克

経済政策形成の研究―既得観念と経済学の相克

本書の内容 本書の目的は、その序章に明示されるように「経済政策はどうあるべきかにではなく、あるべき政策を実現させるには何が必要か」にある。第1章では、経済政策の選択における観念(認識モデル)の役割と、時に(客観的な)利害の対立よりも観念の対立が政策の遂行に影響を与えることが指摘される。人々の観念は一定の慣性を持ち、その背景には「認知的不協和」や支配的な認識モデル(パラダイム)の持つ強い規範性がある。第2章では、経済政策の形成における知識の役割が更に考察される。カプランによれば、普通の人々の間には「系統的な認知バイアス」が存在し、それらは(1)反市場バイアス、(2)反外国バイアス、(3)ものづくり・仕事バイアス、(4)悲観バイアス、の様にまとめられる。適切な政策の採用が阻害されることについて、これまでも公共選択論の分野で利害関係に基礎をおいた説明がなされてきたが、最近では知識のダイナミズムを中心においた研究が生まれており、(1)人々が自分の意見と他人の行動を参考に選択行動を行う場合、適切でない選択行動に流される「なだれ現象」、(2)思想が政策を通じ成果に影響を与えるだけでなく成果からの影響も受け(思想の内生変数化)、成果から思想への負のフィードバックがある場合、思想、政策、成果が全て「悪い」均衡に陥る「アイデア・トラップ」が紹介される。
 次の第2部は「歴史からの照射」と題され、昭和恐慌の前史である松方財政期の金本位制採用に至る経緯、昭和恐慌期と平成不況期におけるマスコミ報道、政策現場からの経験談が中心であり、岩田(2004)、安達(2006)との関連が深い。第5章では、「経済学的に誤った、その意味では反経済学的とも言える「構造改革」的な思考」を「構造改革主義」と名付け、その一起源として、笠信太郎三木清が取り上げられる。笠は、物価水準は政府部門が行う財政インフレの結果として定まると考え、中央銀行によるリフレーション政策を否定した。また、「対外競争力」を重視する誤った貿易理論に基づき、デフレは必然とされ、それを乗り越えるために「経済主体の経済動機の「再編成」=改造」を志向した。こうした見方は、昭和研究会における三木清との活動に繋がり、「全人的テクノクラート」論と「協同主義」(高き経済倫理)に立脚する公益重視の計画経済が主張されることになる。*1
 第7章では、進歩するマクロ経済学の中にあっても「実践的マクロ経済学」の意義は失われず、期待の要素を組み込んだ「修正IS-LMモデル」は、平成不況期における適切な政策をうまく説明することが指摘される。「修正IS-LMモデル」は、Y=C(Y,τ,Ye,πe)+I(Ye,i-πe)+G…(IS曲線)、M/P=L(Y,i)…(LM曲線)という2本の方程式で表現され、一国経済が「流動性の罠」に陥った場合、政策によって人々の期待将来所得、期待物価上昇率を高めることが重要であるとの含意がそこから導かれる。第8章では、反経済学的発想の典型構造を(1)操作可能性命題、(2)利害のゼロサム命題、(3)優越性基準命題、経済学的発想の典型構造を(1)自律運動命題、(2)パレート改善命題、(3)厚生の独立性命題とみなし、これらと市場の見方とのクロスから様々な立場がカテゴライズされる。また、マルクス経済学も本来的には反経済学的であるとは限らず、経済学的発想に立つマルクス経済学の立場から、「特定の人為で左右できない一律制度的な基準」の実現、格差問題への対応として多様な消費課税の仕組みの導入等が提唱される。

コメント 既にみてきた様に、本書では、標準的な教科書にあるような基本的な理論からの含意(例えば、自由貿易)が、何故時として政策決定の(民主的な)過程において採用されないことがあるのかを多角的に分析している。また、本来政策現場において強力なツールとなるはずの基本理論を「新しいマクロ経済学」の名の下に投棄しようとする様な向きに異議を呈する。昭和恐慌の様に、適切ではない政策の採用が取り返しのつかない大きな不幸を社会にもたらすことがある。また、平成不況においても引き締め気味の金融政策運営がなされ、併せて、財政的制約により、不況対策としては必ずしも正しいとは言えない政策が採用されたことが、今日の社会問題にまで影響を与えている。本書の意義は、この様な問題についての警鐘を鳴らし、そのメカニズムを明らかにすることにあると言える。

(参考)
岩田規久男編著(2004) 「昭和恐慌の研究」
安達誠司(2006) 「脱デフレの歴史分析」

*1:笠・三木の議論は、08/21/07付けエントリーの「誤ったケインズ読解」に基づく主張とも似ている。笠・三木的な志向性は、現代の政策現場にも脈々と引き継がれているのかも知れない。