備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ロバート・フランク、フィリップ・クック「ウィナー・テイク・オール 「ひとり勝ち」社会の到来」

ウィナー・テイク・オール―「ひとり勝ち」社会の到来

ウィナー・テイク・オール―「ひとり勝ち」社会の到来

「1人勝ち市場」と過剰競争

 ロバート・フランクらのいう「1人勝ち市場」とは、貢献の小差が経済的報酬の大差に変わるような特徴を持つ市場のことだ。新古典派経済学では、労働者の収入は、限界生産力、つまり労働力の1単位の追加が貢献する生産の増加に応じて決定されるというのが標準的な理解である。このとき、例えば、生産されたものが世界市場で決まる一定の価格で販売されるような状況(収穫一定)を仮定すると、労働時間が10%増えれば、収入も概ね10%程度増えることになる。ところが、1人勝ち市場では、労働者はその貢献に応じた報酬を受け取ることができない。
 1人勝ち市場では、例えば、プロ・スポーツやショー・ビジネス、文筆業のように、最後の勝者の報酬が、成果や能力の差と比べて過大なものになる。その反対に、2番手、3番手の者は、その成果や能力に応じた報酬を受け取ることができない。成果や能力の絶対的な差よりも、その相対的な差によって、報酬の大きな差が生まれるのである。このような市場を想定すると、新古典派経済学の教えとは異なり、自由競争は、経済的な効率を高めることには、必ずしもつながらないのである。
 次のような、2つの社会を考えてみよう。
(1) 職業選択の自由がなく、子は、その親の職業を必ず引き継がなければならない封建的社会
(2) 職業選択の自由があり、親の職業階層や経済的状況に拘わらず、子は、学歴を積み好きな職業に就くことができる現代的社会
 今の社会は、恐らく、(1)と(2)の間でより(2)に近いところに位置している(と思われる)。これらのうちどちらがよいかと聞けば、誰もが(2)の方がよいと答えるだろう。ある職業をめぐる競争は、より適正があって能力の高い者が勝者となることで、経済の効率も高まるというわけである。しかし、それは本当か・・・
 ロバート・フランクらのいうところでは、1人勝ち市場が多くを占めるようになると、地位をめぐる競争は過剰となり、経済の効率は低下する。つまり、ある状況の下では、より(1)に近い方が効率性は高いというのである。

「1人勝ち市場」に関する簡単なモデル

 ロバート・フランクらは、歌手と陶工の例をあげているが(本書の6章)、現代日本における例としては、数少ないアカデミック・ポストをめぐる多くの大学院生という設定が、キャッチーで面白いかも知れない。大学院への進学と、世界市場で価格が決まりそれに応じて賃金も決まるような職業、例えば、製造工場の生産工との間での進路選択の問題を考えよう。*1
 アカデミック・ポストを得ることによる期待利益(給与だけでなく、社会的名誉による効用の増加分も含むとしよう)が、生産工として得られる賃金よりも大きければ、大学院進学者は増えるだろう。このように、アカデミック・ポストをめぐる競争が激化すれば、研究の質も向上するので、その期待利益も上昇するとしよう。*2しかし、期待利益の上昇分が、競争参加者の増加により生産工に就く者が減少することで失われる賃金総額(機会損失)よりも少なければ、国民所得はその分減少し経済の効率は低下する。つまり、国民所得を最大にする競争者の数は、最後の1人を追加する効果がアカデミック・ポストに就く者の期待利益を少なくとも機会損失と同額増加させることになる最大数と同じになる、というわけである。
 しかし『不幸なことにその数は、個々人が自分の期待所得を最大にするように職業を選ぶときの競争者の数には一致しない』のである。競争の激化によって上昇する勝者の期待利益はほんの少しであっても、平均すると不釣合に大きなアカデミック・ポストの期待利益は、さらなる競争者を呼び込むことになってしまうのだ。

不効率を是正する上で適切な方策は何か

 このように、1人勝ち市場では、自由競争が効率の低下を招く。それを是正するために、次のような2つの方策が考えられる。ひとつは、大学院への進学を許可制とし、許可証を競売にかけることである。このとき、大学院への進学のため一定の財力が必要となるので、前出の(2)の社会から、より(1)の社会に近づけることになる。しかし、自由は失われても、経済の効率は向上し国民経済の成長力は高まるのである。
 もうひとつは、累進課税によって、生産工の賃金を相対的に高めることである。そして、ロバート・フランクらが推奨するのは後者だ。なぜなら、最初の方策は、潜在的競争者に十分な財力がなく、資本市場が不完全ならば、許可証の競売は非効率となるためである。
 つまり『累進課税は経済効率を犠牲にするという大方の主張は少なくとも再検討に値する』のだ。自由競争は、ただで最も優れた人を識別するような機能を持っているわけではない。個々の経済主体の市場インセンティブを引きつける1人勝ち市場は、このことが重大な束縛となって、自由競争がさらなる社会の効率の低下を促すことになってしまうのである。

(第6章まで読了)

*1:この設定例は極端であるが、フランクのあげた設定例はもっと極端である。

*2:このメカニズムが働くかどうかはここでは議論しない。とりあえず、そのようなものと仮定する。