- 作者: 吉川洋
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2013/01/19
- メディア: 単行本
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本書では、最初に、マスコミの論調を取り入れながらこの15年間のデフレーションをめぐる議論の動向を概観し、途中、大不況期の議論を挟んで、最後に理論的視点から、日本のデフレーションの特徴と原因を探るという構成がとられている。
本稿では、第3章の大不況期に関する議論から振り返ってみる。まず、大不況期といえば1939年代の世界不況を思い浮かべるが、筆者は、日本のデフレーションはこれとは異なり、19世紀末の英国の状況に似ているという。この時の英国は、だらだらと四半世紀の間、物価が緩やかに下落し続けた。一方、1930年代の世界不況は、リーマン・ショックに端を発した経済危機の時と同様に、激発的にデフレーションが生じている。日本のこの15年間は、当時の英国と同じように、一括りに「不況期」といえるものではないとの見方もできる。
その後は、貨幣数量説をめぐる18世紀以降の理論を振り返る。ヒュームやリカードの唱える貨幣数量説について、マーシャルは、「他の事情にして等しければ」という前提のもとで受け入れるものの、「他の事情にして等しければ」という条件は極めて重要であり、さまざまな実物的要因により物価は変動することを指摘する。また、『貨幣論』におけるケインズは、19世紀末の英国の不況について、「旧式の貨幣数量説では説明できない」と指摘する。実質GDPに比して貨幣供給が足りないことがデフレーションの原因なのだとすれば、利子率は上昇するはずである。ところが実際には、物価の下落にあわせて利子率も低下している(ギブソン・パラドックス)。1950年代に書かれたブラウン=オズガによる論文によれば、英国の物価水準は交易条件と密接に連動している。一次産品市場の逼迫度にあわせて交易条件が変動し、これが英国のデフレ/インフレの歴史と対応している。筆者もまた、「原油をはじめとする一次産品の国際価格は、今もなお日本も含めた先進国の物価水準に大きな影響を与えている」と指摘する。
第4章以降は、改めて貨幣数量説に対する批判と、価格の決定についてのこれとは異なる見方について述べる。物価水準はあくまでも貨幣供給によって決まると考える貨幣数量説の立場からすると、財・サービスの価格を積み上げて一般物価水準を考えることは誤りとなる。特定の財の価格が上昇しても、貨幣供給が一定であれば、当該財の他財に対する相対価格が上昇したことを意味するにすぎず、一般物価水準が上昇したことにはならない。筆者は、この考え方は、スタンダードなマクロ経済学において「暗黙のうちに仮定されている公理」であるという。
貨幣数量説は、貨幣供給を「外生的」に考える。一方、筆者は貨幣供給は、何らかの要因で物価や取引量が定まり、それに対応して「内生的」に定まるものだとし、その実例として、生産の季節的な変動に応じて貨幣供給が変動していることを指摘している。そのような貨幣のコントロールがなされているのは、金利が季節要因によって乱高下してしまうのを防ぐためである。フィッシャー・ブラックもまた「アメリカのような経済では、金融政策は完全に受動的だ」と指摘している。
しかし、日本のデフレーションに対して、内外の著名な経済学者は、貨幣数量説にもとづき、金利がゼロでも貨幣供給を十分に増やすことでデフレーションは止まると主張する。その代表例として、筆者はクルーグマン・モデルを取り上げ、批判を行っている。第一に、クルーグマン・モデルでは、現在の価格に硬直性がある中で、名目金利がゼロになっても、期待インフレ率を高めれば実質金利が低下し、経済は回復することになるが、将来のインフレ予想を決定する最も重要な要因は、将来の貨幣供給よりも現在の物価水準ということになり、「デフレは不況にとって『良薬』」といった倒錯した議論が生まれることになる。*1
第二に、クルーグマン・モデルでは、利子弾力性は「異時点間の消費の代替の弾力性」と等しくなり、(消費のオイラー方程式から)実質利子率が低下すれば、消費などの需要は速やかにに上昇する。しかし、現実の経済には(クルーグマン・モデルでは捨象されている)投資が存在し、投資の利子弾力性が「異時点間の消費の代替の弾力性」に等しいという保証はない。ディキシット=ピンダイクは、「不確実性」の高まりが投資の利子弾力性を小さくすることを示している。日本の長期停滞の中では、利子率の継続的な低下にもかかわらず需要が低迷し続けており、筆者はその理由に、不良債権問題と金融危機、そのほかの理論的根拠として、経済主体の異質性を明示的に考慮した分析について述べている。
物価水準が、貨幣数量説によって説かれるように、貨幣供給によって決まるものでない(あるいは、ブラックが指摘するように、経済主体の期待によって決まるものではない)とすれば、何によって決まるのか。筆者は、個別の財・サービスの価格の決まり方を調べることから始め、その積み上げとして物価水準を考えることが必要だとする。そして、ヒックス、オーカンの指摘、あるいはカーネマンの実験なども引用しつつ、「公正」価格の概念の重要性を指摘する。
カレツキーの「二部門モデル」によれば、生産された財・サービスの価格決定は、一次産品の価格決定とは全く異なる。一次産品市場では、価格が需要に応じて(弾力的に)決まるが、生産された製品については、生産費用に応じて価格が決定される。本書では、価格は、製品一単位当たりの生産費用にマークアップを上乗せされた形で決まり、生産費用は労働コストと原材料価格(原材料価格は為替レートにも影響を受ける)からなるという簡易なモデルから、物価上昇率は、(1)賃金変化率、(2)労働生産性、(3)一次産品の価格、(4)為替レートの変化率、(5)原材料生産の変化率によって説明できることを導く。
では、このモデルにおいて、貨幣供給はどのような役割を果たすのか。貨幣供給は、このモデルの中には明示的に表れてはいないが、(1)賃金変化率と(4)為替レートの変化率を通じて物価上昇率に影響する。また、利子率の変化を通じて景気(=有効需要)に影響を与え、物価上昇率にも影響するが、ゼロ金利下では、政策効果は限られたものとなる。
第6章では、なぜ日本だけがデフレなのかとの問いへの答えとして、賃金の問題が指摘される。日本の賃金は、米国と比較するとはるかに伸縮的である。ボーナスにより、企業業績を反映して伸縮的に動かすことができるからである。筆者は、 労働の効率性(労働者の努力水準)は賃金によって決まるとする 「効率賃金仮説」の仮定を少し変え、労働の効率性は「企業業績と賃金の比」によって決まるとしたモデルを提示する。このモデルによると、賃金は企業業績に応じて上下する(労働分配率は変化しない)のに対し、雇用量は一定水準に維持される。
リプシーとトービンのモデルによれば、名目賃金と労働需給の逼迫度に対する反応が非対称となる場合、すなわち、景気がよい企業・セクターにおける賃金上昇が、景気が悪い企業・セクターの賃金下落を上回るような傾向を持つ経済においては、労働市場の逼迫度はトータルでゼロであったとしても賃金は上昇し、経済はインフレ体質となる。これとは対照的に、景気がよい企業・セクターの賃金上昇が小さくなるような経済は、デフレ体質になる。日本では、サービス産業において、求人増の一方で賃金は上がらないといった現象がみられる。筆者は、日本は他の国よりも名目賃金が下がりやすいデフレ体質を持つ可能性があることを指摘している。
以上、本書の内容を概観してみたが、日本だけがなぜ過去15年にわたってデフレーションを続けてきたのかという問いへの答えは、筆者によれば、日本経済のデフレ体質により、賃金が上がりにくいことによるものだということになる。この点については、本稿の筆者としても一定同意するところがあり、日本経済には、バブル崩壊を遡る1980年代半ばごろからデフレ体質があるように思われる。*2
しかし、日本の(労働者一人平均でみた)賃金が本格的に下落し始めたのは、1990年代半ば以降であり、これは主として、非正規雇用者の構成比の高まりによって生じている。著者は、日本の賃金の伸縮性を強調するが、現実には、むしろ、賃金の下方硬直性があるがゆえに、企業は、非正規雇用者の構成を高めることで、実質的な「賃下げ」を実現することができたのである。同書で取り上げらえている「日本型」効率賃金仮説モデルについても、労働分配率が景気循環に応じて変動している事実をみれば、それが特に日本の現実を的確に説明するものとは思われない。
さらにいえば、この非正規雇用者の増加は、日本経済が持つデフレ体質によって生じたものとは考えにくい。1990年代半ば以降の景気悪化を起点として非正規雇用者はそれまで以上に大きく増加しており、極めて景気の循環的な側面に関係している。この15年間で、非正規雇用者は、日本企業の雇用管理の中に明確に位置づけられ、すでに「構造」化されてしまった可能性もあるが、景気の拡張によって完全雇用に近い状況が経済に生まれれば、その傾向を反転させる可能性がないわけではない。*3
ただし、いずれにせよ、デフレーションからの脱却のためには、賃金の上昇が極めて重要である。 本書の内容からは離れるが、1980年以降の月次のデータにより、物価(季調済み消費者物価指数(コア)の対数前年比)と賃金(季調済み給与指数の対数前年比)の間の短期的な先行・遅行関係などをVARモデルにより分析すると、概ね以下のような結果が出てくる。
- 長期でみれば、賃金と物価は相互に関係している。また、物価の上昇と為替レートの円安は、おおむね連動する。
- 物価の上昇は早い段階で賃金に影響するが、賃金の上昇は数カ月のラグを持って物価に影響する。
- 物価から賃金へ波及する可能性は、ボーナスや残業代を含む現金給与総額で最も高く、これらを含まない所定内給与では低くなる。物価の上昇、あるいは(円安を通じた)生産増、雇用増は、まずはボーナス等を通じて賃金を上昇させる可能性が高い。
- 特に所定内給与では、物価上昇の直接的な効果よりも、生産増や雇用増による賃金の増加効果が大きい。
- 生産増から雇用増への波及は、比較的明瞭に現れる。
総じていえば、物価の上昇が、短期間のうちに、月例給である所定内給与の増加につながるとは一概にはいえず、むしろ、実物的側面である需要の拡大が所定内給与を増加させ、物価の上昇へとつながっていく可能性が高いということになる。
日本銀行は4月の金融政策決定会合において、異例の量的・質的金融緩和(マネタリーベースの増額等)を決定したが、数カ月単位でみる限りでは、マネタリーベースの増加が物価の上昇等に影響するわけではない。こうした政策効果とは別に、物価については、一次産品価格の変化によって変動する可能性がある。実際、2008年には原油高等により消費者物価は上昇しているが、コストプッシュ・インフレは企業のコスト増になることから、必ずしも賃金の上昇にはつながるわけではなく、このときにも賃金はそれほど上昇していない。(短期的には、このように一次産品市況が物価の動向に影響を与えることになるが、このことが、筆者のいうように、日本を含めた先進国の物価動向に決定的な影響を与えるものなのかという判断は難しい。)
一方で、非正規雇用の増加にともなう賃金の持続的な低下傾向を「反転」させるためには、この15年間には実現できなかったような強い景気の拡張傾向を創り出す必要がある。そのためには、息長く、拡張的なマクロ経済政策(財政・金融政策)を持続させることが重要である。短期的には、物価が上昇する一方で月例給は上昇しないといった状況が生じ、政策批判が盛り上がる局面も考えられるが、こうした動きは、むしろ日本経済の復活の妨げになるのではないかと考えざるを得ない。