備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

出版不況にかかわるミクロ的視点とマクロ的視点

(まずは、ミクロ的視点から)
 自己利益を最適化するという意味で合理的な視点に立つのであれば、ブックオフやアマゾン・マーケットプレイスは最大限利用すべきである。特に後者は、追加的なコストがほとんど発生しない。これらを利用することで得られる剰余的な利益は、売り手が、商品の価値に見合う価格設定ができないことで生じるものであって、公正な価格設定ができる者が売買の間に立ち鞘を取るようにならない限り、いつまでも残る。
 より高価な書籍であれば、公立図書館を利用すべきである。そもそもその価格は、図書館等での「使い回し」を前提にして、一定の利鞘をとれるよう適正に付けられたものである。一回きりの読書のあと、書棚のインテリアにしてしまうのは、無駄(ほんらいの意味での「ムダ」)そのものである。さらにいえば、高価な書籍ほど借りる人はいないので、ほぼ独占的に利用できる。
 これらの機能を利用せず、新商品の所有にこだわるのは、商品の内容よりもその物神性に囚われているか、著者に、あるいは周囲の人間に「見られる」ことを意識した自己愛でしかない。また、ステイタスへの不安を感じつつも、自分の価値を高く考えるという人間の自己欺瞞がその背景にある。

(ついで、マクロ的な視点に立つと)
 書籍の有力な買い手である20〜40歳代の人口はしだいに減少している。人間が読書に費やす時間は有限である以上、これは、書籍の需要が減少することを意味し、いずれは価格が低下し(たぶん、ただし、書籍の市場は独占的市場であり、必然的にそうなるとは限らない)、そして供給される数量が減少する。*1結果、参入者は減少し、一国全体としてみた文化的な資本の「総量」が減少することになる。物神性、自己愛、自己欺瞞といった心性がひろがらない限り、市場の規模を維持することはできない。*2
 そして、無駄こそが、文化的な資本の「総量」を維持するためのかなめである。

(結局)
 「内なるエコノミスト」は、「公平な観察者」とは異なる。(たぶん)
 一方、物神性、自己愛、自己欺瞞によって生かされている人間は、皮肉なことに、これらの心性を批判することで、みずからの中に矛盾を抱えることになる。

*1:現在の出版不況は、デフレ経済の要因も大きいため、景気の回復にともない、状況が改善する可能性があるのはむろんのことである。

*2:これらの心性をひろげるための「仕掛け」は、いろいろ考えられる。