備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

オリバー・ウィリアムソン(浅沼萬里、岩崎晃訳)『市場と企業組織』(1)

※一部追記・修正しました。(07/22/12)

市場と企業組織

市場と企業組織

 エリノア・オストロムとともに2009年のノーベル経済学賞を受賞したオリバー・ウィリアムソンの主著で、経済活動(商品取引)が、市場と内部組織(企業組織、団体等)にどのように割り当てられるかを考察したものであり、主に取引費用に係る「感受性」において、オーソドックスなミクロ経済学とは異なるものとなっている。

 まだ第三章まで読了の段階であるが、内部組織(特に、その最も単純な形態である仲間集団)の形成に係る議論に関し、とりあえずの整理を行っておく。


 市場における現物取引契約(スポット契約)が可能な状況において、内部組織の形成によって、市場取引が組織内での取引に置きかわる(例えば、労働市場における労働力の現物取引契約のかわりに、雇用契約を用いられる)のは、市場における取引費用(探索、交渉、契約遵守のために要する費用)を節約する上で、内部組織が優位性をもつためである。オーソドックスなミクロ経済学では、第一に、設備などの物的資産や情報サービスの不可分性によって、また第二に、(労働者間の)分離不可能性によって、市場取引から内部組織へと移行することが説明される(アルシアン=デムゼッツ)。二人の人間が重い荷物を調子をそろえて積み込む作業を行う場合、それぞれの労働者の限界生産性を測定し、それに応じた支払いを行うことには困難がともなうため、「ボス」が当該チームの業績を監視すること効果的になるというものである。一方、著者は、第一の点については、独占的所有と賃貸の組み合わせが実行可能であることによって市場取引を妨げることにはならないとし、また第二の点については、個々の工程の間に中間生産物の在庫という段階を入れることでおおくの課業は分離可能であることから、内部組織は、分離不可能性によって発生するというよりも、取引関連的な諸要因によって発生するとみている。

 取引費用については、人間の諸要因、すなわち(1-1) 限定された合理性(1-2) 機会主義、および環境の諸要因、すなわち(2-1) 不確実性・複雑性(2-2) 少数性の度合いに応じてその影響力がかわってくる。まず、(2-1) 不確実性・複雑性の大きい環境における市場取引では、(1-1) 限定された合理性から、将来起こり得るすべての事態を予見しこれらの事態に応じた条件をすべて記載した完備な契約を締結することは不可能であり、事態が生じるごとにそれに適応した意志決定を行う内部組織がより優位性をもつことになる。また、(2-2) 市場参加者が少数である場合の市場取引では、(1-2) 機会主義という人間の性質を仮定すると、市場参加者が自己利益を最大化するために欺瞞的行動をとり、公正(均衡)条件との乖離が生じる。*1内部組織は、監視と統制によって機会主義を弱めることができるため、ここでも内部組織は市場取引に対する優位性を持ち、社会厚生のより大きな資源配分を可能にする。
 なお、市場の失敗の一因とされている情報の偏在(情報の非対称性)は、(2-1) 不確実性・複雑性という環境の要因と、(1-2) 機会主義という人間の要因を仮定しなければ、それ自体が取引費用を高めることにはならない。また、情報の偏在によって、(2-2) 少数性という環境の要因が引き起こされることになる。ウィリアムソンのモデルでは、取引費用に独立して作用する要因は、あくまでこれら4つの人間・環境の諸要因と、参加主体の精神的関与に関係する「雰囲気」であるとされている。

 さて、階層を持たない最も単純な組織である「仲間集団」は、機会主義により、

(1) 新規加入者が事前に自らの生産性に係る特性を開示しないか偽って示す
(2) ノウハウ・営業秘密を習得し、その後、ライバル組織を設立する
(3) 加入後、事後的にサボる

という3つの仕方で利己的に利用される。この仲間集団を、ここでは、長期雇用契約によって採用されるある大企業の正社員集団におきかえて考えてみたい。

 (1)については、生産性が高く、自身の生産性が高いことを理解している求職者は、年齢等に応じて一律の報酬を支払う企業とは雇用契約を締結せず、市場におけるスポット契約によって締結したがる傾向を持つため、雇用する正社員間に賃金格差の少ない大企業には、生産性が相対的に低い求職者のみが応募しがちになるという逆選択の問題として現れる。この問題に対処する方法としては、事前に生産性の低い求職者をふるい落とすか、生産性に応じた報酬体系を導入することがあるが、後者については、内部組織の優位性を弱め、正社員間の機会主義を誘発する可能性がある。このことは、仲間集団に対する各メンバーの精神的関与(忠誠心)を考慮に入れると、より大きな問題となる。内部組織の生産性測定能力に対する疑念が生じれば、組織に対する忠誠心を弱めることになる。

 (2)については、新規加入者に、訓練期間中は低い報酬を受け入れるよう要求する(例えば、入職初期には生産性以下の賃金を受け入れる代わりに、後期は生産性以上の賃金を受け取れる年功賃金制は、これと類似した仕組みであるといえる)、ないしは事後的に訓練費用を請求することによって対処することができる。本書は、ところどころにおいて保険を事例的に用いているが、本稿の筆者も、年功賃金制について、平純保険料方式にたとえて説明したことがある。

 このような生産性と賃金それぞれのプロファイルの違いは、エドワード・ラジアーによって提唱された「インセンティブ契約」という考え方によって説明することができる。すなわち雇用する労働者の努力水準を使用者が観察できないとき、若年時には生産性以下の賃金を支払い企業業績が好調なときに事後的に生産性以上の賃金を支払うという長期的な契約に労使間が合意することがあり得る。(中略)これは生命保険の保険料を算出する際に一般的に用いられる「平準保険料方式」にたとえて考えることができる。通常、死亡するリスクに応じた保険料は、加齢によって死亡するリスクは高まるため、年齢が上がると保険料も上昇するはずである(自然保険料方式)。しかし平準保険料方式では、保険料が保険期間中一定となるように〈公正な原理〉にもとづいて算定する。その算定にあたって使用されるのが、ある時期における年齢別死亡率が今後も一定であるとしたとき、各年齢に達した者が平均してあと何年生きられるかを生命関数(死亡率、生存数、平均余命等)によって表現した「生命表」である。これによって保険契約者は、死亡するリスクが高まる将来においても一定の保険料を支払い保険契約を継続することができるようになる。これと同じように、労働者はインセンティブ契約のもとで、雇用契約によって約束された期間、その生産性に関わりなく平準化された賃金を得ることが理屈の上ではできることになる。ただし、生命保険の保険料が契約更新時に高くなるように、定年等により雇用契約が終了した労働者の再就職時の賃金は引き下げられることになる。

 (3)については、著者は、非公式的な仲間集団の圧力を動員することで抑止することができるとし、最も軽い段階からあからさまな強制と追放という最後の段階までの四段階の圧力(ハンプトン=サマー=ウェッバー)について指摘している。この「仲間集団の圧力」については、萱野稔人×濱口桂一郎『これからの労働の話をしよう』*2の中で、「会社の言うとおり際限なく働く代わり、定年までの雇用と生活を保障してもらうという一種の取引」として取り上げられていることと重なる。上述の対談では、後半の「定年までの雇用と生活の保障」がない、単なる仲間集団の圧力として、いわゆる「ブラック企業」のブラック性なるものを抽出し、定義付けている。
 このことは、見方をかえると、長期雇用契約におけるモラルハザードを防ぐために用いる仲間集団の圧力が、企業経営者の機会主義によって、利益をより大きなものとするため、公正(均衡)条件から乖離した労働条件が締結されるよう促すために用いられたことになる。すなわち、ブラック性とは、求職者に対して求人者が少数である場合において大きな問題となるものであって、求人者が多数であるような状況においては、労働条件の均衡からの歪みはより小さくなると考えることができる。

(未了)

*1:多数主体間の競争的な市場では、裁定が働き易くなるため、このことはあまり問題にならない。ちなみに、少数の事業可能主体しか存在しない事業を無理に公募の事業とし、関係する内部組織を廃止することで、結果的に極めて大きな非効率を生んでいる、というような話をよく聞くことがある。

*2:http://homepage3.nifty.com/hamachan/posse09.html