- 作者: 志賀浩二
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2013/08/09
- メディア: 文庫
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本書は、数理科学分野の古典的名著等を数多く出版している「ちくま学芸文庫 Math & Science」シリーズの一冊で、文庫版でかつ比較的柔らかい語り口ながら、本格的な数学書に近い内容を含んでいる。本書のテーマである多様体は、幾何学、あるいは数学に限らず、数物系の様々な分野で使われている基本的なツールである。多様体は、大学数学科の通常のカリキュラムでは学部2〜3年あたりで習う内容であるが、河合塾系の「K会」では入会4年目(高1)のカリキュラムに含まれている。
http://www.kawai-juku.ac.jp/kkai/math/course-guide.html#block2
「K会」では国際科学オリンピックなどを視野に入れた教育が行われているようであり、その点では、東大受験に向けた最短コースのカリキュラムを編成する「鉄緑会」等とも異なり、かなり特殊なカリキュラムであることは事実であろう。*1とはいえ、そこで取り上げられているという事実は、多様体が、現代数学に入門する上でできるだけ早く身につけておくべき基本事項であることを示している。
多様体とは、我々が通常考えるような単一の座標系を持つ実数空間とは異なり、より抽象的な空間概念であるが、ある「点」の近傍では、実数空間(の中における「開集合」)と同一視できるような局所座標系を持った空間である。かなり大ざっぱに考えれば、実数空間を切り取って貼り合わせたような空間である。そのような空間に「近さ」の概念(位相)や微分の概念、局所座標間の交換規則等を順次導入することになる。本書では、こうした前段階にある基本概念についてもそれぞれ章を設け、ていねいに説明している。このため、いきなり専門書から入る猛者が陥りがちな「無限後退」を避けることができる。その点では、同じ著者が書いた『多様体論』(岩波基礎数学選書)が大学教養レベルの知識を前提としているのとは大きく異なる*2。
- 作者: 志賀浩二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2002/06/10
- メディア: 単行本
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そうした意味では、より本格的な『多様体論』へと進む準備として、あらかじめ本書を読んでみるといった使い方もできるだろう。そうでないとしても、多様体のさらに一段上の抽象概念である接空間、余接空間については本書でも詳しく説明されており、さらにはより「高級」なファイバーバンドル*3等の概念の入り口くらいまでは到達している。自分が理系の大学に通っていた頃は、そこの純粋数学分野では「幾何学的量子化」という考え方が流行(はやり)で、学生のほとんどはいろんな方向から理論の構成にアプローチしたり、一部の系について計算したりしていたような印象があるが、接空間、余接空間といった概念は、それらの研究において(概ね)必須の概念だった気がしている。
さらには、既に多様体を知った人間でも、もしかしたら本書を読んで「目から鱗」を感じることがあるかもしれない。自分が最も感動を覚えたのは、52〜61頁における、三次元球面は2つのトーラスをそのトーラス面に沿って張り合わした空間と同相になることの説明である。この話は最初に聞いたときは全く理解できず、わからないまま今の今まで来てしまっていたのだが、本書の説明は(完全な証明にはなっていないとしても)「目から鱗」である。加えて、214頁以降に出てくる多次元球面に入る異なる微分構造の個数の話もとても興味深かった。多次元空間がいかに我々の直感とかけ離れたものであるかをこのことは垣間見せてくれている。
さて、先ほどふれた岩波基礎数学選書の『多様体論』であるが、つぎのような章立てとなっている。
序 章 多様体論の成立
第1章 多様体の基礎概念
第2章 ベクトル・バンドル
第3章 多様体上のベクトル・バンドル
第4章 接続
第5章 ファイバー・バンドル
第6章 de Rham コホモロジー
第7章 多様体論の展開
この章立てをみると、先ほど紹介した「K会」のカリキュラムととてもよく似ていることに気付く。この章立ては多様体論として一般的なものというわけでもなく、恐らく、「K会」のカリキュラム編成に当たって、この本はそれなりに参考にされたのではないかと思える。つまりは、『現代数学への招待』をベースに『多様体論』に進むという道筋は、現代数学にとってそれなりにオーソドックスなものだとみてかまわないのではないかと思う。
それにしても、音楽家が有名な先生の個人授業を受けるように、数学的才能者が文科省的カリキュラムを超えて「レッスン」を受ける場がこうした形で用意されているというのは、ほとんど最近まで知らない事実であった。こうした塾の存在は素晴らしいと感じるとともに、もし地方在住者(あるいはお金がない場合も同様)が数学的才能に恵まれた場合、同じ土俵で勝負することはかなわないのではないかとも思う。そうした意味では、『数学ガール』に出てくる「村木先生」のような存在はとても重要である。自分が高校の頃もそんな数学教師がいたような気がする。もう少し出会いを大切にしておけばよかったな、とは、今となって感じるものである。
*1:「K会」立ち上げの経緯については、中島 さち子『数学と音楽と人生』( http://www.kawai-juku.ac.jp/kkai/tsr/#block0 )の中に記載がある。お金に余裕があれば(かつ子どもについて行ける力があれば)是非子どもを通わせたい、というか自分が通ってみたいと思えるようなカリキュラムである。
*2:例えば「ハウスドルフ空間」「パラコンパクト性」「ウリゾーンの定理」といった位相空間論に関する用語が、何の前置きもなく記述されている。
*3:ファイバーバンドル(ファイブレーション)については、右サイトの内容がとても面白い。ビデオでは、二次元トーラスの四次元空間上での回転がデモンストレーションされている:http://www.dimensions-math.org/Dim_CH7_JP.htm