- 作者:酒井 正
- 発売日: 2020/02/06
- メディア: 単行本
主として「就業」及び「格差」の観点から、日本の(広義の)セーフティネットについて、筆者自身の研究も交えつつ、近年の政策研究をサーベイする。日本のセーフティネットは、主として(労働保険を含む)社会保険によって担われるが、本書は、両立支援、高齢者雇用、若年者雇用、職業訓練、就労支援等セーフティネットに関わる制度を広く取り上げる。社会保障について、本書は、「働けない」リスクに対応するもの、と位置付ける。
両立支援に関する章は、取り上げられる論文等が豊富で内容が充実しており、近年、この分野の政策研究が盛んであったことがわかる。一方、若年者を中心とした就労支援政策については、日本では、政策研究がまだ十分に進んでいないようにみえる。
本書の特徴的な点をあげると、社会保険の事業主負担に関する「帰着問題」、客観的な証拠に基づく政策形成(EBPM)について、それぞれ一つの章を割いて取り上げていることである。特に後者については、(類書にみられる)因果推論に特化した説明とは異なり、エビデンスの活かし方、そもそも活かすべきか等にかなり踏み込んだ内容となっている。
「日本のセーフティネット」と謳う一方で、最低賃金、生活保護等必ずしも十分な記述がない分野もあるが、本書が取り上げる政策範囲には一定の広さがあり、またその内容も深い。政策課題が目まぐるしく変化する現代にあっても、少なくとも今後数年間の「耐性」を持つと思われる。一方で、具体的な分析・推計の手法まで踏み込んで理解したい場合は、原典の論文等にあたる必要がある。
あとがきによれば、筆者は大学と大学院を通じ樋口美雄(慶応大学教授)に指導を受けたとのことであるが、本書の構成は2001年(約20年前)に刊行された以下の本を思わせるもので、同書のはしがきには筆者の名前も記載されている*1。
個別の内容について
以下、各章の個別の内容を備忘録的に取り上げておく。
- 非正規雇用の増加は、長期的に、未納問題や雇用保険受給者割合の低下に影響。未納問題は主として国民年金・国民健康保険の問題であり、これらの受給者は、従来は個人事業主や農業従事者が中心であったが、近年は雇用者や失業者が多くを占めるようになった。未納の理由は、①流動性制約要因、②逆淘汰要因、③近視眼的要因の他、就業移動時の手続漏れが考えられるが、実証性があるのは①のみ。
- 社会保障の手厚さは、①カバー率、②受給者割合、③給付額の水準等の3つの軸から評価できる。近年進められている「適用拡大」は①を改善するが、それだけでは必ずしも課題の解決にはつながらない。
- 雇用保険の失業等給付は、近年、育児休業給付、高年齢者雇用継続給付など景気に左右されない給付の占める割合が高まった。一方、受給者割合は、非正規雇用・長期失業者の増加を主たる要因として低下(格差の観点からみると、セーフティネットとしての機能が低下)。
- 雇用保険の給付水準と失業期間の正の関係は、経済学的には従来、「モラルハザード」として捉えられてきた。この研究上の"stylized fact"は、流動性制約の要因を軽視していた可能性。
- 待機児童問題は、経済学的には「超過需要」「待ち行列」の問題。保育料を無償化すると待機児童が増える。「待ち行列」の「長さ」を政策目標とすることには不都合が伴う。
- 保育所定員数の増加は,母親の就業増加をもたらさない(祖父母から保育園への預け替え)。「職場復帰給付金」は,職場復帰のインセンティブとはならなかった。
- 保育政策は、2000年代以降、本格的に少子化対策に位置付けられる。
- 介護者の就業率が非介護者よりも低いことは事実だが、就業していないから(就業するあてがないから)介護を引き受けている、という逆因果を考慮すると、欧米では介護の就業抑制効果は実証されない。一方、日本では就業抑制効果が確認できる。
- 社会保険料の事業主負担に関する「帰着問題」、すなわち「実際には賃金に転嫁されることで労働者の負担に帰着している」ことは実証済み。社会保険料負担の増加が非正規雇用の増加をもたらした,という仮説は実証されない。
- 学卒時の景気がある世代に持続的に影響を与えることと、世代の人口規模が持続的に影響を与えることには異なる部分があり、前者を広義の「世代効果」と分けて「烙印効果」と呼ぶ。ミクロデータを用いた研究では、学卒時の景気と結婚確率との間に、男性については正の関係がみられるが、女性については結果がまちまち。
- オーター=ハウスマンの研究では、(派遣など)間接雇用は,低技能労働者を安定した雇用に結びつけることに成功していない。同一雇用者によって,その後の賃金上昇の大部分がもたらされる。
- 「出版バイアス」に関し、最低賃金と雇用の負の関係についての事例*2。
- 価値観は事実の集積とは異なり、事実は人と共有できても価値観を共有できるとは限らない。(本章の全体的な含意を踏まえれば、事実の「正しさ」と、合意によって得られる政策の「正しさ」には自ずと違いがあることになるが、本書の記述は、その点が必ずしも「整理されていない」印象がある。)
「政策、なかでも労働政策は、総合的な観点から判断し、立案・実行されるものだ。多くの前提条件に基づく、たかだか一本の論文からもたらされた含意など、そのまま通用するほど政策は単純ではない」(玄田[2010])[p.284]
- 政策目標が政策当事者の行動を歪める問題(マルチタスク問題、ゲーミング問題)。(この点は、ジェイコブス『市場の倫理 統治の倫理』において、市場の道徳と統治の道徳の混乱の事例として取り上げられた話に直結する。)
本書の各章で繰り返し主張されるのは、それぞれの道徳体系がそれに似合わない役割を負わされると異常なことが生じ、二つの道徳体系を混ぜ合わせることは大いなる害悪を生み出す、ということである。科学の分野に(政府の研究費補助に伴い)統治者の考え方が忍び込むと、科学者のインセンティブは変化し、統治者の関心に自分の興味を合わせるようになる*1。「大商人の支配者グループが軍事独裁政権を擁立」すれば、彼らを批判する言論人が弾圧され、抗議行動を起こすものが殺される。鉄道警察が活動の評価基準に(商業コンサルタントが持ち込んだ)1労働時間当たりの逮捕件数を用いれば、もっともらしい「でっち上げ逮捕」(その対象は大抵スペイン系か黒人)が増える。こうした道徳の混乱を、アームブラスターは「混合道徳」と呼ぶ。このようにして道徳体系の一貫性が失われる場合、公正な解決策を導くことは困難となる。