物価は、直感的には「モノの値段」という風に捉えられがちだが、その本質は貨幣と商品(財・サービス)全般との交換比率、すなわち貨幣の価値を示すマクロ経済的な概念である(経済主体それぞれの購入する商品構成が異なれば、経済主体それぞれに異なる物価が構成できる)。本書は冒頭で岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』で用いられた蚊柱と蚊の比喩を使い、『物価とは「蚊柱」である』と表現する。中央銀行の金融政策が目指すのは「物価の安定」、すなわち貨幣価値の安定であるが、同じ「物価の安定」であっても、「個々の価格は忙しく動きまわるけれど全体としてみると安定している」のと「個々の価格が全く動かず、その当然の帰結として全体も動かない」のとでは様相は大きく異なる。著者は、今の日本経済は後者、すなわち個々の価格が動かない「病的」な状態であるとする。
要素還元主義による物価分析
消費者物価指数(CPI)の振る舞いを理解する上で、CPIを構成する個々の商品の振る舞いを分析する戦略がとられる。これは「全体は部分の総和」という暗黙の了解によるもので、デカルトに始まる要素還元主義である。物理学や生命科学において成功を収めた要素還元主義は、自然失業率仮説から合理的予想仮説へとマクロ経済学が「進化」する中で、経済主体はそれぞれの「マイモデル」によって予測を行う(マクロ経済は経済主体それぞれの代表の総和とみる)という形でマクロ経済学にも取り入れられる。マクロ経済学の学説的な流れについては、日本のデフレーションをめぐる動きも含め本書の第2章から第3章にかけて論じられ、人々の「マイモデル」を全て同じとするような当時のマクロ経済学について、著者はサージェントの「モデルのコミュニズム」という言葉を引き批判的に論じる。
一方、物価や金融政策に関する他書と比較し本書に特徴的で、かつ最も読み応えのある部分は、日本の物価に関し、ミクロなデータを用い、これまで得られていなかった知見を得るところであろう。本書では、第1章と第4章にあたる。
著者は「スキャナーデータ」と呼ばれる商品品目ごとに蓄積された民間の価格データを入手し、分析に用いている。民間データは、総務省統計局が公表する消費者物価指数では得られない頻度と粒度を持ち、これを用いることで、以下のような知見が得られる。
- 売上が大きい企業は商品数も多い傾向がある。少数の大企業(=商品数の多い企業)が全体の物価を支配している。地域間の価格差(商品によっては2倍以上)は、売る側の事情で生じる。ネット上でも価格差はなくならない。
- 米国では年齢が上がるにつれて購買価格が下がるが、日本では上がる。
- インフレ率の変動は価格更新頻度の変化によってもたらされる。高インフレ期は価格更新頻度が高く、低インフレ期は低い。時間の経過とともに価格更新が発生する確率が高まる(メニュー・コスト仮説や情報制約仮説は、この3番目の事実と不整合)。
最後に取り上げた事実は、マクロの価格硬直性、すなわち貨幣量の変化に対する物価の反応速度に関する観測結果とも不整合である。この点に関し、著者は「蔵本モデル」のアナロジーを用い、(要素還元主義では測ることのできない)企業と企業のあいだ、商品と商品のあいだに存在するであろう「相互作用」の考え方によって説明できるのではないかとする。具体的には、賃金交渉のタイミングのずれや需要曲線の屈折を「相互作用」の事例として取り上げる。
「長期で緩やかなデフレ」のコスト
第4章の後半では日本のデフレが取り上げられる。日本のデフレは、長期にわたり続いていることと、極めて緩やかであるという二つの特徴を持つ。本書では、国際比較に加え、ミクロの価格データを用いてこの問題に迫ろうとする。各国ともインフレ率が低くなると価格を据え置こうとする企業の割合が高まるが、日本では価格を据え置こうとする企業の割合がインフレ率に拘らず他国よりも13%程度高くなる。
値上げに対して厳しい日本の消費者に対し、企業は、新商品を出す際に減量化・小型化した商品を「開発」することで、原材料費等の上昇を補おうとする。こうした日本企業の努力の中に、著者は「長期で緩やかなデフレ」のコストをみる。
このテレビ番組の映像で特に印象的だったのは、減量に取り組む人たちが苦闘する様子です。(中略)それを観たときにはじめて、商品の小型化というのは、作る方からすればまっさらの新商品を世に送り出すのと同じくらいの労力が必要で、企業からすればこれも立派な「商品開発」なのだということを理解しました。
(中略)
あれだけの労力を本物の商品開発に使えば、これまで見たことのない新商品が生まれ、多くの消費者を喜ばせることができるはずなのにと悔しく思うと同時に、現場の方々の悔しさは私の比ではないだろうと想像しました。価格据え置きの状態化は、現場の技術者から前向きな商品開発に取り組む機会を奪うというかたちで、社会に歪みを生んでいるのです。[pp.282-283]
この他、同章では、日本企業が開発する商品の種類数は多く個々の商品が短命であることを取り上げ、つぎのような指摘をする。
日本は長寿命の企業が海外に比べて多く、企業の新陳代謝が活発でないと言われています。生産性が低く本来であれば市場から退出すべき企業がいつまでも居座るために、新しい企業が育ちにくいという厳しい指摘もよく耳にします。ですがもしかすると、日本では企業の入れ替えが少ない分を、商品の入れ替えの多さで補っているのかもしれません。
この指摘に関しては、以前のエントリーに書いた「日本では、企業間の(つまり、外部労働市場としての)雇用柔軟性は低いが、一方で、企業内の(つまり、内部労働市場における)柔軟性は高く、このことが、経済成長を実現し、国際的に比較して低い完全失業率を可能にしてきた」こととの制度的補完性があるように感じられ、個人的に興味が引かれた*1。
なお、著者は「予想に働きかける政策」の有効性に関しては懐疑的であり、「流動性の罠」を回避するための方策としては、FTPLの考え方をもとに、貨幣に対する「税収という後ろ盾をはずしてやればよい」とし、さらにデジタル通貨の実現も見越し、ケインズの「印紙通貨」を実現することも可能であるとみている。また物価指数作成の民営化やビッグデータの活用を提言する。