備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ロバート・フランク「オデッセウスの鎖 適応プログラムとしての感情」(その1)

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

第1章 自己利益を超えて

  • 自分の行動を自ら進んで何かにコミットするよう縛り付けることで解決できる問題(コミットメント問題)については、自分に約束を守らせる誘因を相手に提供すること(コミットメント方略)は有効。罪、怒り、嫉妬、愛等の感情には、そのような感情を持つことを相手が認識することで、コミットメントとしての役割を持つ。(著者は)一見非合理な行動が、コミットメント問題の解決に役立つ感情傾向をコミットメント・モデルと呼ぶが、これは、人が常に効率よく自己利益を追求しようとする自己利益追求モデルと対照される。
  • 機会主義者は、自身を正直者に見せかけることで、自己利益を追求することができる。しかし、正直者に見せかけるためには、実際に正直である必要がある。正直であることの美徳が、現前の利益(脱税金額)よりも大きいかはわからないが、これから検討する証拠でそうである可能性を示す。

第2章 利他主義パラドックス

  • アダム・スミスの考えによると、商人の自己利益の追求は、欲しがっている商品の供給という形で他人に利益をもたらすことが多いが、カルテル等により商人の自由な活動が必ずしも他人の利益には繋がらない場合があることも指摘。自己利益追求モデルの最も強力な知的基盤はチャールズ・ダーウィン種の起源」。自己利益を追求する個体の再生産適応性が向上するので、人間の性質もまた自然選択の力により、基本的に利己的なはずだとするドーキンスの主張。
  • これに対し、自己犠牲的な行動の説明としては、トリヴァースによる、将来のお返しを期待する互恵的利他主義の理論や、繰り返しゲームを同じパートナーと行う場合は、協力には報酬・裏切りには報復を与える「応報戦略」が優越するというアクセルロッドの理論。トリヴァースの説明では、自分の得にならない状況での利他的行動を、寛大さ、罪悪感、義憤や友情、同情といった媒介感情を用いて説明するが、アクセルロッドの説明では、こうした行動は謎のまま残される。*1一方、トリヴァースの説明の短所は、どのようにして個人に物質的利益を与えるか、明確な説明がない点。

第3章 道徳感情の理論

  • 誤魔化し、抑止、交渉、結婚等のコミットメント問題では、提案される解決法は絶望的なほど曖昧で、どのように(合理的ではない)コミットメントが作られるのか説明されていない。ただし、物質的要因は行動を司る唯一の力ではなく、合理的計算は報酬メカニズムへのいくつもの入力のうちの一つ。道徳感情(スミス)は、コミットメント問題解決の手助けとなる。
  • 協力者と非協力者からなるコミットメント問題では、①協力者の見分けが可能か、②協力者の比率により、それぞれの将来の平均利得が異なってくる。協力者の見分けに一定の調査コストがある場合、協力者と非協力者が安定して混在する状態へと導く圧力がある。

第4章 評判

  • 評判についての議論には重大な欠陥。見つかる可能性が少しでもあれば、誤魔化し行為は合理的ではない、というのは間違いであり、見つかるという結果そのものは決定の善し悪しと関係しない。アダム・スミス曰く「世の中では、出来事が起こる前の構想によってではなく、結果によって判断がなされる。このことは、どの時代でも不平のもとであり、美徳を抑制してしまう」。
  • 一方、リチャード・ハーンシュタインの「マッチング法則」によれば、報酬の魅力度はその遅延に反比例する。将来の報酬を割り引くことは合理的であるが、マッチング法則による割引のパターンはこれと一致しない。罪悪感は選択の瞬間に起こるため、マッチング法則によれば、罪悪感と競合する物質的利益よりも割り引かれる程度が少ない。極端な割引については、進化の環境において自然選択がそれを好むことから、容易に想像可能。

第5章 シグナリング

  • 潜在的敵対者間のシグナルには、①真似るのにコストが大きい(コストが小さければ、シグナルは意味をなさない)、②シグナルは、伝達の目的とは関係のない理由でもたらされるという派生原理(進化生物学について、自然選択によるわずかな変化は決定的な有益性をもたらさないというグールドの批判)、③誰かが有利なシグナルを身につけると、他のものはそれが自分に不利なものであっても示さざるをえないという完全暴露原理(示さなかった場合には、逆選択の状況になる)、という特質。

第6章 言葉隠して心隠さず

第7章 協力行動を予測する

  • 他人の感情傾向を予測する方法として、①評判、②身体・行動の手がかり、を検討。実験による結果では、コミットメント・モデルを支持。

コメント この話からは、どうしても金融政策の効果に与える、日銀の行動傾向に対して各経済主体が持つ印象、みたいな話が思いつくわけだが、ありきたりなのでやめときまつ。
(追記)それとコミットメント・モデルについては、高度情報化に伴う商取引の効率化や成果主義、柔軟な企業モデルといった短期的な利益向上志向のある雇用システムに対しての強力なアンチテーゼとなり得ると思う。というよりむしろ、実際の現場では、表層的になされる議論とは異なり、既にコミットメント・モデルに配慮した取引慣行の方が当たり前なのだろう。議論すべきポイントは、90年代後半以降のデフレや市場競争の強まりの中で、過度に短期的な効率性を志向する経営が生まれ、それが長期的な成長を疎外したり、合成の誤謬を生じさせたりしているという点があるのか(ないのか)、というところにあるか。その原因なのか結果なのかはわからないが、少なくとも、他者のコミットメントが信頼できなくなってきた、そのような方向に、人間の感情傾向、価値観が変化してきたということはあるような気がしないでもない。

*1:繰り返しジレンマにおいて「応報戦略」を選択させる動機という根本的な問題。